ずっと前から、写真を撮られることが、わたしたちにとってどういうことか、考えています。
だって写真って変なんです。
あとから振り返ったときに、写真は記憶のよすがになります。
でもそのわりには、わたしたちはカメラの前で、ふだんしないことをしがちです。カメラなしではピースサインなんてしないし、観光地の顔出しパネルではしゃいだりしないし、クラス全員で接近していっせいに同じ方向を向いたりなんかしません。
そんな変なことをしたときのことばかりが、写真になってあとあと残るのです。
どんな風にしていたって、写真を撮られるとわかっていたら、多かれ少なかれ“それ用の行動”をしてしまうのです。
写真なんて、短い時間だけの魔法みたいなやつだとわたしはずっと思ってきました。
そんなことを、ちょうど考えている歌詞がありました。
それがBUMP OF CHICKEN『記念撮影』です。
きょうは、手元で辞書を引きながら、この歌詞の話を考えています。
BUMP OF CHICKEN『記念撮影』歌詞(歌ネットへリンク)
目的と理由の話
ふだん口にすることはないけれど、記念撮影にはたいてい目的があります。
『明鏡国語辞典』には、「記念」の語釈として下記のようにあります。
「記念」という言葉そのものに「なるように」という目的の意味が埋め込まれていることがわかります。
でも、この歌詞の冒頭は、こういう感じです。
目的や理由のざわめきからはみ出した 名付けようのない時間の場所に
紙飛行機みたいに ふらふら飛び込んで 空の色が変わるのを見ていた
「目的や理由のざわめきからはみ出した」という特徴は、ふつうの記念撮影とは大きく違います。
「名付けようのない時間の場所」も、やっぱりふつうの記念撮影とは大きく違います。
主人公たちは、このように記念撮影とは大きく離れたところから、この歌詞を始めています。
「目的」と「理由」は不思議な言葉です。それぞれ『明鏡国語辞典』で確認してみます。
「目的」の語釈はこういう感じ。
「理由」の語釈はこういう感じです。
「目的」には現在があり、「理由」には過去があります。ここまでたどり着く過程で通ってきて、あるいは通っているところのものです。
「(いま)実現させようとして目指す事柄。めあて。」
といえるし、
「物事がそうなるに至った(過去の)事情。」
といえるからです。
「目的」にはいまおこなっていることに意味があり、「理由」は過去起きたことに意味があるのです。
遠くに聞こえた 遠吠えとブレーキ 一本のコーラを挟んで座った 好きなだけ喋って 好きなだけ黙って 曖昧なメロディー 一緒になぞった
こうしてふたりはいま、目的からも理由からもはみ出した時間を過ごしています。
好きなだけ喋ったり、好きなだけ黙ったりすることに、ふたりには目的も理由も持ち合わせていないでしょう。
これから、このふたりは、記念撮影に別の意味をもたらそうとします。
それはいま起きていることが、未来から見て意味があったとわかる、というタイプの意味です。
きょうはそれを「効果」と呼ぼうと思います。
あれほど近くて だけど触れなかった 冗談と沈黙の奥の何か
ポケットには鍵と 丸めたレシートと
面倒な本音を つっこんで隠していた
この歌詞の中で、ポケットには3つのものが入っています。鍵と、レシートと、本音。
鍵はいまはしまわれているから、未来に使うもの。
レシートは済んだ会計を記録したものだから、過去のもの。
そして本音は言うべきタイミングで言ってこそ本音だから、現在のもの。
こうして考えると、未来と過去と現在を合わせて考えようとすることが、この歌詞の中身にも合うように思えてきます。
昔と今の話
固まって待ったシャッター レンズの前で並んで
とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった
この歌詞の、13連あるうちの、ちょうど真ん中にあるのがこの連です。
はっきりと写真を撮ることが唯一描写されているこの連を折り返しにして、歌詞の時制は一気に変化します。
そして今
想像じゃない未来に立って 相変わらず同じ怪我をしたよ
掌の上の 動かない景色の中から 僕らが僕を見ている
「そして今」と歌われて、シーンは一気に変わります。
これより前は写真の中のシーンで、そしてこれよりあとは写真を見ているシーンみたいです。
掌の上の 動かない景色の中から 僕らが僕を見ている
という部分は、コーラを挟んで座った「僕ら」の写真を、主人公が手に取って見ているのを表していると思ったからです。
折り返し部分の前と後で、同じ言葉がいくつか出てきます。
たとえば、遠吠えとブレーキ。
遠くに聞こえた 遠吠えとブレーキ 一本のコーラを挟んで座った 好きなだけ喋って 好きなだけ黙って 曖昧なメロディー 一緒になぞった
だったのが、
聞こえた気がした 遠吠えとブレーキ 曖昧なメロディー 一人でなぞった
に変わります。
写真の撮ったとき、遠吠えもブレーキも、そこにあったのは偶然で、目的も理由もありませんでした。
でも効果はありました。一人になった主人公が、あのときの自分たちを重ね合わせるための目印になったのです。
たとえば紙飛行機もそうです。
紙飛行機みたいに ふらふら飛び込んで 空の色が変わるのを見ていた
だったのが、
言葉に直せない全てを 紙飛行機みたいに
あの時二人で見つめた レンズの向こうの世界へ 投げたんだ
に変わります。
ふらふらして、あいまいなイメージだった「紙飛行機」は「あの時二人で見つめた レンズの向こうの世界へ 投げたんだ」というように、別のイメージを持って、新しい時制の中に飛び込んできます。
あのとき投げた「紙飛行機」には、目的も理由もありませんでした。
でも効果があったのです。「レンズの前で並んで」撮った写真の目線と、紙飛行機が重なり合うからです。
写真を撮ったとき「君」は主人公に向かってこう言いました。
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
このとき、この言葉には二人なりの目的や理由があったことでしょう。ふたりはまっとうな世の中からはぐれた迷子で、でもそのままでも大丈夫だと確かめ合ったのだと思います。
写真を見ながら、主人公はこの言葉をもう一度繰り替えて歌います。
迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う
君は笑っていた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて今僕がいる未来に向けて
同じセリフが、いまの主人公には違って聞こえています。なぜなら主人公は、いま一人だからです。
写真の中では「迷子」なのは二人でした。でも、いまは「迷子」なのは一人だけです。主人公か「君」か、どちらか片方だけ。
この曲に2回出てくる「終わる魔法」とは、写真のことだと思います。
この魔法は、2回終わったのです。
1回目は、レンズの前で並んだ二人が、写真用の行動をしてしまったとき。
そして2回目は、写真を見た主人公に、そのときの思い出が届いたとき、です。
BUMP OF CHICKEN『記念撮影』でした。
ところで一般に、わたしたちがいまやっていることの意味を、わたしたちはいま知ることはできません。
哲学者の戸谷洋志さんはそういうことをおっしゃっていました。
それは解釈学にさかのぼる話題なのだそうですが、わたしはその話を聞いて、「えっBUMP OF CHICKENじゃん…」ってめっちゃ思いました。
そういう経緯があり、しかもずっと考えていた写真のこととも絡めることができて今回はとってもよかったです。
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歌詞のことをブログに書こうとしたとき、BUMP OF CHICKENなんて安直だから嫌だな、と思っていた時期もちょっとあったんですが、振り返ってみたらこんなに集まってしまいました。
おかげさまで今回もスタートラインから随分遠くまで考えることができて、相変わらずたのしい歌詞だなぁって思っています。
気負うことなく、またよさそうなことを思いついたら書くことにします✨
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次回はあいみょん『君はロックを聴かない』のことを書きます!