5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

近づくほどに遠ざかり、不意に現れる理想-BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU『ray』

こんにちは。

今回はBUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU『ray』を取り上げます。
予定ではEXILEを取り上げようと思っていたのですが、YouTubeに心を打ち抜かれてしまったので予定を変えました!
私はふだんはこのブログでは、歌詞のこと以外ほとんどなにも話しません。アーティストから見た当該楽曲の意義とか語らないし、シーン全体から見た未来の予測とか語らないし、音作りのこともMVのこともほとんど語りません。だってわかんないんだもん!
でも今回は別です。私はMVに心を打ち抜かれちゃいました。なんて未来的なんだろう。
繰り返し見ていた私は、この曲のMVが歌詞の内容と強いつながりがありそうだと気づきました。単にミクがBUMPのメンバーと歌ってるだけじゃないと思ったのです。
いつもだったら歌詞ばっかりのこのブログですが、今回はMVなんかのこともいっしょに含めて、考えてみたいと思います。
歌詞(歌ネットへリンク)

MVから

この曲は、BUMP OF CHICKENのメンバーと初音ミクがいっしょに歌っているMVになっています。
その大きな特徴は後処理ではなくライブでミクがBUMPのメンバーと共演しているということです。
ねとらぼはそれを

PV撮影は撮影後にミクをCGで合成するといった処理は一切行わず、あくまでライブ撮影にこだわり、そのことによりバンドメンバーらはミクを「共演者」として迎え入れた、
初音ミクとBUMP OF CHICKENのデュエット曲「ray」の全編PV公開! 藤原さんとミクがハイタッチ - ねとらぼ
とまとめています。
だからこのMVにはそんなライブ感を盛り上げるような工夫が凝らされています。たとえば冒頭のこのシーン。

曲の冒頭で、ミクは藤原さんとハイタッチすらしています。AKB48『GIVE ME FIVE!』で考えたように、ハイタッチとはふたりの人の“現在”を結びつける儀式だと私は考えています。
わざわざそんなことするなんて。まるでミクがバーチャルを飛び越えてリアルのほうへとやってきたみたいです。
でも、見逃してはならないことがあります。
ミクはそれでも、藤原さんたちと同じ空間にいるのではないということです。

ミクは藤原さんの後ろの円柱形のスクリーンに“映って”いるのです。ふたりの境界線ははっきりしています。私が見つけた境界線は、例えばこのシーンに出てきます。

MVではミクのアップが繰り返し登場します。
でも、ここでは、よく見るとモアレが出ています。だからミクがスクリーンの中の存在であることがばればれです。
カメラがスクリーンから離れているシーンではモアレはまったく気になりませんから、わざわざ近づいて撮らなければいいのにって私は思いました。スクリーンにミク自身を大きく映すか、ミクのバストアップをあとから合成すればいいのになぁ。
でもこのMVではそんなことはしません。それはきっと、実際の人間は急にサイズが大きくなったりしないし、あとからはめ込まれたりしないからです。ミクの挙動は、実際の人間と同じです。
ミクは藤原さんとだいたい同じ背格好で、それはまるで人間のようです。だから合成もされないし、リアルタイムでインタラクティブだし、背だって急に変わったりしません。でも、だからこそミクはアップには耐えられません。
ミクがリアルに近づくほど、ミクが本当はリアルでないことがあらわになっていくのです。

それは音声のほうでも同じです。今回ミクの調声をしたのはlivetuneさん。
このブログではlivetune feat.初音ミク『Tell Your World』のときに取り上げた人です。
livetuneさんのミクは、電子的な触感をたぶんに残しながらも聴き取りづらくないよう精巧に気配りされているのが特徴的です。今回の『ray』でも、ミクが歌う歌詞が聴き取れないようなところはあんまりありません。livetuneさんのミクは「神調教」とは違うけれど、でもとても洗練されています。
今回ミクは藤原さんといっしょに歌っています。人といっしょに歌をうたうのは、人がすることです。でもそうしてミクが人間と同じ土俵に立てば、かえってミクと人との距離が際立って感じられてきます。人間だったらここはもっと滑らかなのに。人間だったらもっと藤原さんの声質に合わせられるだろうに。これは、さっきの映像のこととまったく同じです。
このMVに出てくるミクは、人に近づけば近づくほど、かえって人でないことが明らかになっていっています。映像の面でも、音声の面でも。

歌詞から

近づくほどかえって遠ざかる、というこの構造は、歌詞の中の世界でもまったく同じです。
ここからは歌詞のことを見てみましょう。
この歌詞の中では、主人公は過去に愛着があるみたいです。でも主人公が過去に近づこうとすればするほど、かえって過去が過ぎ去ったものだという現実を突きつけられています。この歌詞はそんな世界を描いています。
1連を引用します。

お別れしたのはもっと 前の事だったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ
「お別れ」、「前の事」。主人公が冒頭から、昔のことを考えてばかりいるのは明白です。
「悲しい光」もきっと過去の何かの思い出なのでしょう。それを「封じ込め」るとは、思い出の写真を額縁に入れて飾るかのようです。楽しかった過去を思い返してばかりの主人公です。

2連を引用します。

君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している
「君」や「彗星」は過去の象徴に見えます。主人公は「踵すり減らし」ながら過去の象徴を「探してい」ます。ここで大事なことがあります。主人公が過去を向けば向くほど、主人公は現在からは目を逸らしてしまっているということです。
でも主人公は、まったく近づくことのできない、彼方の夢をむやみに追いかけているわけではありません。実は、主人公はある手段を使えば、過去の象徴である「君」に会うことができます。
それは、夢を使うことです。夢を介してなら、主人公は「君」に会うことができます。「君」に会うことはつまり、楽しかった過去に会うことです。
2番のBメロを引用します。
時々熱が出るよ 時間がある時眠るよ
夢だと解るその中で 君と会ってからまた行こう
ただ、主人公は知っています。「君」と会うその方法が夢であり、現実ではないということ。だから歌詞の中ではわざわざ「夢だと解るその中で」と歌われるのです。
2番のサビを引用します。
あまり泣かなくなっても 靴を新しくしても
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
「靴を新しくしても」は、過去に近づくための儀式になっています。なぜなら主人公は歩くたびに踵をすり減らしていたから。新しい靴は主人公にとって、過去の自分に近づくためのアイテムになるはずです。
けれど、そういう試みはうまくいきません。靴が新しくなっても「あの痛み」は薄れていく一方です。「君」と会うことはできても、所詮それは夢の中でのことです。表面的に過去に近づくことはできても、主人公が真に過去に戻ることはありません。むしろ現在と過去との違いを突きつけられるばかりです。現実は、夢とは違うのです。

この構図は、さっきのMVととてもよく似ています。MVではミクが人間に近づこうとするいろいろな工夫が見て取れました。それは確かにとてもよくできていて、ミクがまるで人間であるように思える瞬間もあります。でもそれよりも、やっぱりミクは人間ではなかったんだという事実を突きつけられることのほうがずっと多いのです。
歌詞の世界では、主人公はずっと過去のことばかりを考えています。過去を目指すいろんな取り組みは、確かに表面上は成果を上げます。でも主人公の心は満たされず、逆に過去には戻れないのだという厳然たる事実を突きつけられるばかりです。

主人公は、このままあきらめるのでしょうか。
そうではありません。

過去のことばかり出てくる歌詞の中、途中から現在の言葉が頻出する個所があります。
それはCメロです。

伝えたかった事が きっとあったんだろうな
恐らくありきたりなんだろうけど こんなにも
注目に値するのは、こそあど言葉です。この歌詞に出てくるこそあどの「あ」は、「あの痛み」「あの透明な彗星」というように、過去を指す言葉とともに出てきます。
でもこのCメロには、この歌詞で初めて「こ」が出てきます。「こんなにも」です。
「あの」が過去を指すなら、「こんなにも」は現在を指せるはずです。
この直後は間奏です。この間に歌詞の世界は一変します。あんなに現在から目を逸らしていた主人公は、ついに現在と向き合うようになるのです。
直後を引用します。
お別れした事は 出会った事と繋がっている
あの透明な彗星は 透明だから無くならない
主人公はこの歌詞で何度も「お別れ」について内省してきました。
その登場の仕方はこうです。
お別れしたのはもっと 前の事だったような
お別れしたのは何で 何のためだったんだろうな
1番や2番では、主人公はお別れのことを疑問文で内省的にぼんやり考えているように描かれてきました。
それが、最後には変わります。
お別れした事は 出会った事と繋がっている
お別れに対して、大きな視座で、しかも自信を持ってに述べることができるようになるのです。ここまでのぼんやりしたお別れ観とは大きく異なって感じられます。
◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
最後のサビもいい感じです。1番の時点では主人公は、
考える暇も無い程 歩くのは大変だ
と、現在のことをあまり考えることなく、大変さにかまけるだけでした。
それが、
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
と、現在と向き合った結果のポジティブさが出てきます。
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
主人公は最後には、過去を追求するのをやめてしまいます。でもそのとき初めて、夢ではない現実の世界で「君」を感じることになります。
それは決して手触りのある感覚ではありません。でも「君がいる」と言い切る価値があるような、確信のある感覚なのでしょう。

というわけで、BUMP OF CHICKEN feat. HATSUNE MIKU『ray』でした。
MVの世界と歌詞の世界は、途中までとてもよく似ていました。何かを目指して進めば進むほど、理想と現実とのギャップがあらわになる、そんな風にまとめられそうです。
でも、歌詞の世界では、途中で大きな展開がありました。短期的な目標をいったんあきらめたら、かえって根源的な幸せが見えてきた、って感じ。
MVのほうでは、該当する表現はないのでしょうか。
で、私が注目したのは最後のシーンです。

この部分、ミクがまるでステージの上で踊っているように見えるのに対して、藤原さんはシルエットだけが映っています。ミクが3Dにしか見えないのに、藤原さんは2Dに見える!
リアルを追い求めてきたように見えたミクが立ったのは、藤原さんよりもさらにリアルな世界でした。そういう風に考えると、歌詞もなんだか符合する風にも読めてきます。
過去の幸せを追求し続けた主人公が最後に手にしたのは、求めていた過去ではなく、もっと根源的な幸せだったのかもしれないですね。

このブログでは以前にBUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』も取り上げたことがあります。古いので稚拙なところも多いのですが、よければぜひお読みください!https://itunes.apple.com/jp/album/ray/id835817664?i=835817840&uo=4&at=10lrtS
次回こそEXILE『道』を取り上げます。