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見たくないモノから目をそらすために - BUMP OF CHICKEN『天体観測』

こんにちは。

BUMP OF CHICKEN『天体観測』歌詞(歌ネットへリンク)

今日はBUMP OF CHICKEN『天体観測』の歌詞を読みます。

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
私はこの部分、主人公が望遠鏡を覗き込んだのは、見えないモノを見ようとしたからではなく、見たくないモノから目をそらすためだった、と考えています。そうだとすると、たくさんのことのつじつまが合うように思うから。
今回はBUMP OF CHICKEN『天体観測』、そんな風に読んでみることにします。

1番は思い出の章

この曲には、ふたつのエピソードが出てきます。過去のことと、現在のことです。
そのうち、1番では過去のことが綴られます。

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい
 
二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して
「望遠鏡を担いでった」「二分後に君が来た」「大袈裟な荷物しょって来た」と、過去を示すタ形の動詞が続きます。言い切りの形になっている部分はみんな直接話法で書いてあるように見えるので、この部分は全体が過去のエピソードのようです。
『天体観測』というタイトルの曲なのに、「始めようか 天体観測」の部分が、さらっと歌われるのが意外です。タイトルの部分だからもっと目立つように歌ったらいいのに。って最初は思いました。
でも、ここがさらっとしていることが、あとになっていい効果を生み出します。
考えてみれば、ここでは深夜の待ち合わせで、小さな声で話し合っている感じが出ているという時点ですでにとてもいい感じ。
深い闇に飲まれないように 精一杯だった

君の震える手を 握ろうとした あの日は

1番のBメロ。「あの日は」とあるので、なんだかこの過去のエピソード全体が回想であることが見えてきます。この部分は単に過去を描いているだけなのではなくて、過去が回想されているのだとわかります。

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
この部分、主人公は望遠鏡を覗き込んでいます。望遠鏡を覗き込んでいる目で、周囲のことは見えません。
主人公のすぐそばには、震える手の「君」がいました。でも主人公は、遠くのことにかまけていて、すぐそばの「君」のことをおろそかにしてしまっています。
主人公は、“遠く”に気を取られ、“近く”をおろそかにしています。

これと同じ構図が、すぐ次の部分にもあります。

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた
主人公は、「イマ」というほうき星に気を取られ、「明日」をおろそかににしています。
遠くのことと「イマ」に気を取られ、すぐそばの「君」と明日をおろそかにしているわけです。
これは、ふつうの対応関係とは少し違います。
ふつうは、近さと現在がセットになり、遠さと未来(または過去)がセットになります。「ここ」と「このとき」がセットになり,「あそこ」と「あのとき」がセットになります。
でもこの曲では、距離的な遠近感と時間的な遠近感が、逆になっているのがおもしろいところです。
サビの前半/後半に出てくるものを、気を取られてる/おろそかにしてるのふたつに分けて表にすると、以下のようになります。

  気を取られてる おろそかにしてる
前半 望遠鏡 君の震える手
後半 「イマ」という ほうき星 明日

どうして、距離的な遠近感と時間的な遠近感が逆になっているのでしょうか。

すれ違いの夜

それは、主人公と「君」の行き違いが原因なのだと思います。
主人公は「君」を天体観測に誘いました。待ち合わせは午前2時、場所はフミキリ前です。
でも「君」はそれを、単なる天体観測とは取りませんでした。「君」はそれを、駆け落ちのための待ち合わせだと考えたのです。「大袈裟な荷物しょって来た」わけですから。

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
主人公はそんな「君」の様子を見て、相手の意図を察します。一方「君」のほうも、望遠鏡だけを担いだ主人公を見て、これがただの天体観測なのだと悟ります。すれ違いが露見するわけです。

だからわざわざ主人公は、

始めようか 天体観測 ほうき星を探して
「始めようか 天体観測」だなんて口にするのです。いまからするのはただの天体観測だよ、駆け落ちじゃないよ、と宣言しています。気まずい沈黙を、こうして打ち消していくのです。

でもこの部分「君」の勘違いを一方的に責めるのもお門違いです。

  • 例えば「君」が今いる環境に倦んで、精神的に極端に疲れてしまっていたらどうでしょう。
  • 「はああ今いる場所から逃げ出してしまいたい…」って言っていたらどうでしょう。
  • そのタイミングで主人公が「じゃ午前2時に天体観測に行こう」って言いだしたらどうでしょう。

メンヘラじゃなくてもちょっと期待しちゃいますよね!
駆け落ちじゃなくたって、たとえば小旅行とかだったとしても。

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
「明日」とは、すぐ隣にいる「君」の「大袈裟な荷物」のことです。駆け落ちの準備をした「君」。準備とは未来のことです。主人公には、ふたりのそんな未来は、ちょっと重すぎるのです。

「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけていた
主人公が見ているのは、望遠鏡の向こうに見える「イマ」です。
ほうき星は天球の上で動いて見えたりはしないですが、長い尾を引きずっている星を望遠鏡で捕らえるのは、まるでハンティングのようで「イマ」を感じさせるに十分です。
一見反対に見えた距離的な遠近感と時間的な遠近感も、こうして考えればちぐはぐにならないように思えます。
1番はおしまい。ここからは2番です。オーイエー、アハーン。

2番は現在の章

2番からは現在のことが綴られます。その証拠に、1番で多用されていたタ形が、2番ではほとんど出てこなくなります。

気が付けばいつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 哀しみの置き場とか
「気が付けば」という言葉が、回想から現実に戻ってきたイメージを引き立てています。
ここに出てくる「幸せの定義」や「哀しみの置き場」は、「君」との会話の中で出てきたものなのだと私は思います。というか、そうだとしたらとてもいい感じのイメージが像を結びます。
現在、主人公のそばにはもう「君」はいません。主人公は昔を思い出しては「君」がいたころの回想にふけっています。「君」とはよく「幸せの定義」や「哀しみの置き場」の話をしたものでした。
だから、主人公は「君」をなくしても、そのころのことを思い出すと、自然と「幸せの定義」や「哀しみの置き場」に思いが至るようになるのです。こんな感じだとすると、かなりよいです♪

生まれたら死ぬまで ずっと探している
さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して
ここでは「天体観測」という、1番と同じ言葉が登場します。
でも、1番とは違うところがあります。「さぁ」という部分。
主人公は、いまはひとりです。ひとりだけど、昔と同じように天体観測を始めようとしています。
いまはひとりだし、まだ家にいます。だから、大きな声で「さぁ」と言えるのです。大きな声で発声することによって、自分を鼓舞しているみたいです。

今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも
主人公がいま再び天体観測に行く理由は、不甲斐なかった過去の自分と向き合うためです。本当は乗り気になれない自分もいるけれど、そこは「さぁ 始めようか」とあえて大きな声を出して自分を奮い立たせるのです。
「過去の自分と向き合う」という読みは、以前にもしたことがあります。


どちらも、過去の自分と向き合うために、過去と同じことをしようとしています。でも結末は、三者三様。

『天体観測』に戻ります。

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らす様な 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている
前半2行は過去のこと。後半2行を「そうして」で繋いで、前半を受けています。
サビの終わり、1番では「君と二人追いかけていた」だったのに、2番では「今も一人追いかけている」に変わっています。
1番は過去のことが歌われていて、そこには「君」がいました。2番は今のこと歌われていて、主人公はひとりぼっちです。その対比がはっきり見えるポイントです。

背が伸びるにつれて 伝えたい事も増えてった
宛名の無い手紙も 崩れる程 重なった
「背が伸びるにつれて」という部分で、時間の経過がわかります。1番に出てきた過去のことは背が伸びる前で、2番以降に出てくる現在は背が伸びてからのことです。この間に、思春期が横たわっています。

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ
続く部分は、主人公は「君」に書いた手紙の中身です。この中で主人公は「ただひとつ 今も思い出すよ」と、後悔の念を書いています。
でも「宛名の無い手紙」なので、この手紙は出されることはありません。この手紙は、手紙というていになっているけれど、主人公にとっては日記のような存在です。

予報外れの雨に打たれて 泣きだしそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を
今度は「今も思い出す」の中身に触れられます。「雨」と「泣き」は縁語です。

さて、で、淡々と引用したこの部分、3連にわたって複文が入れ子になっています。
手紙があって、その中身があって、その中身に回想があって、その回想が続きます。
そうして、主人公が本当に向き合わなければならない、「あの日」の思いが最後に来ます。
「君の震える手を 握れなかった」という思いです。
ここがじわじわと露わになっていく構成、手が込んでてかっこいいです。

見えてるモノを 見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
「イマ」という ほうき星 今も一人追いかけている
さて、「今も一人追いかけている」とあります。主人公は、今やひとりです。
でも望遠鏡を担いで、あの日と同じ道を駆け抜けます。あの日の痛みと向き合うためです。

もう一度君に会おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
「前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ」に出てくる「よ」は、手紙のときに出てきたのと同じ終助詞です。だからきっと、これは独り言のようなものなのだと思います。
もう一度天体観測に行っても「君」はもういません。主人公はそれを知っています。それでも主人公が駆けていくのは、あの日の痛みに支えられているからです。

始めようか 天体観測 二分後に君が来なくとも
「イマ」という ほうき星 君と二人追いかけている
この「天体観測」という言葉の乗り方が本当に印象的です。1番や2番では、Aメロの目立たないところにいた言葉が、サビのメロディに乗るのです。
いままでは「天体観測」という言葉に、痛みが伴った辛い印象を、主人公は持っていたのだと思います。だから「天体観測」という言葉は、Aメロの地味なところに、控えめに配置されます。
でも主人公それを振り切ったのです。だから最後には、こんなに高らかに「天体観測」という言葉を奏でることができるのだと思います。
主人公のそばには、もう「君」はいません。けれど痛みと向き合うことができたとき、主人公はひとりだけど、ひとり“ぼっち”ではないのだと知ります。
だから「君と二人追いかけている」って歌えるようになれたのだと私は思いました。
この曲は、主人公が過去にかかった呪いを、断ち切るような曲なのです。


というわけで、BUMP OF CHICKEN『天体観測』でした。
記事を書き終えてから知ったのですが、

このブログでも同じ曲が俎上に乗っています。しかも駆け落ち読みがかぶってる!歌詞読みお好きな方はお楽しみください。

また、BUMP OF CHICKENは以前にも読んだことがあります。

また、稚拙なのであまり晒したくないのですが、

この記事も。
後者、BUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』の記事は、実質的にこのブログの1つめでした。いま見ると痛々しいから、あんまり見ないようにしてたけど。
でも『天体観測』を読んだ感じだと、私はこの痛みと向き合わないといけない感じがします。リライトしよう。呪いを断ち切ろう。って私は思いました。
https://itunes.apple.com/jp/album/tian-ti-guan-ce/id201478063?i=201478138&uo=4&at=10lrtS

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次回はクマムシ『あったかいんだからぁ♪』の歌詞を読みます。緻密! たのしい!