夏なので夏の曲。
この曲、相手に自分をわかってほしいって描写がいっぱいあります。
思い切ってカラオケで リアルに聴いてる曲入れた
引かれるかも でもそろそろ 知ってほしい
ほんとうは…
冒頭のシーンはまさにそうで「知ってほしい」というストレートな表現があります。
買ったけど着たことない
ビキニがあるからお風呂はいろ
これも知ってほしいって描写。
わかってもらうためには感覚を研ぎ澄ませることが必要で、相互理解のためにセンサーの感度を高めていくことが必要です。
眩しいけどちゃんと見なきゃって目を見開く
「目を見開く」はまさにそれ。理解のために感度を高めていくっていうのがなんだか夏って感じがします。他の季節だったら周りを遮断しているとこだったわ。
ほかにも
食べログ評価の低い味でも
美味しい思いしようよ
味覚でも、
追い炊きで しばらく アツアツのままいよう
あっちぃ gyu gyu gyu
触覚でも。
多様な感覚器官の研ぎ澄まされが要求されます。
一方で主人公はそれを信用していないとこもあります。
幸せのイメージは 捉えた瞬間過去になる
とはいえ主人公は感覚器官を信用していなくてもべつに平気です。
感覚のギャップをなくすにはどうすればいいかがわかるから。
感覚する側と感覚される側がまざりあってひとつになればいい、これです。
それがみっくしゅじゅーちゅ。
この夏 君と私は2人きり
みっくしゅじゅーちゅになろうねって言った
君か私かわからなくなるほど
CRAZY CRAZYに溶けて
二個で一つのだっさいネックレス
……っていうのがこの曲の骨格だと思いました。
なんだけど、いまわたしめちゃくちゃ飛び飛びに引用したんですよね。
これどういうことかっていうと、歌詞全体がよく見るとみっくしゅされてて、順番がばらばらになっている、ってことだと思うんです。
この曲では「君と私」がみっくしゅじゅーちゅになることによってお互いのことがわかっていく、そういう夏を描いているんだと思うんですけど、それはそれとして歌詞全体もみっくしゅじゅーちゅになっているんですね。
歌詞のひとつひとつの描写もきらきら光っててすごく好きだけど、全体の構造も自己言及的ですごいな、って感じました!(あとそれを破綻に感じさせない力にも!)
大森靖子『みっくしゅじゅーちゅ』でした。
ところでこの曲のMVがカラオケの映像みたいな仕立てになっているのは、歌詞冒頭部分とシンクロしているからだと思いました。
たとえば夏休みに友だちとカラオケに行って、この曲のイントロが流れて「知らない曲だな〜〜😯」って思って聴き流していたとしても、
思い切ってカラオケで リアルに聴いてる曲入れた
って歌われたら「!?」ってなると思うんです。
DAMだと本人映像あるじゃん……
この夏、まだそんなに仲良くない友だちといっしょにカラオケに行ってこの曲歌ってみたいな、そういう夏がいいな〜〜!