こんにちは。
あのですね、嵐『愛を叫べ』の歌詞がおもしろいんですよ!
思えば長い付き合いだけど (今日は) 世界中の誰よりも綺麗だぜっていう感じの歌詞。お友だちの女子が結婚式を迎えて、それを主人公たちがお祝いするっていう曲になっています。
おまちかね 俺たちのマドンナに (今日は) あの頃の仲間で お祝いさ
なんですけど、この曲にはすこしめずらしい…っていうか、わたしはあんまり見たことない感じの構図になっています。
だってさ「仲間で」ですよ!?
そうですこの曲、恋愛の曲じゃないんですよ。
エロスじゃないんですよアガペーですよ!!(ちがいます)
っていうのがきょうの話。
たくさんの一人称、あと二人称
この曲、主人公“たち”を指す言葉がめっちゃたくさん出てきます。一人称複数形です。
おまちかね 俺たちのマドンナに (今日は) あの頃の仲間で お祝いさ「俺たち」とか「仲間」とか。
おまえは今でもアイドルさ みんな大好きだぜ「みんな」とか。
この3つはぜんぶ同じ人たちです。
けど、そんなことよりもっと多様な表現で描写されるひとがいます。
それは「マドンナ」です。
おまちかね 俺たちのマドンナに (今日は) あの頃の仲間で お祝いさここに出てくるのは「マドンナ」。
やっぱりスーパーレディー 変わらない 高嶺の花だぜ「スーパーレディー」とか「高嶺の花」とか。
このアイ・ラブ・ユーを 親愛なる人に「ユー」とか「親愛なる人」とか。
おまえは今でもアイドルさ みんな大好きだぜ「おまえ」とか「アイドル」とか。
なってくれなきゃ困るぜ ベイベー「ベイベー」とか。
この曲は、短くいえば「おまえは今でもアイドルさ みんな大好きだぜ」って感じの、シンプルなメッセージの曲です。
なのに、こんなに多様な表現で「おまえ」と「みんな」が描写されます。めっちゃ多いです。なにかがおかしい…。
冷静に考えて! ふつうは、こんなことにはなりません。
たとえば、斉藤和義『ずっと好きだった』という曲があります。
同窓会かなにかで「キミ」と再会した主人公が、「キミ」を口説き落とそうとしてる曲っぽいです。再会というキーワードで考えれば、今回の『愛を叫べ』と少し似ています。
サビは
ずっと好きだったんだぜ キミは今も綺麗だって歌詞。
ここで注目なのは、「キミ」という言い回しです。
この曲、二人称を指す言葉は「キミ」しか出てきません。そして、一人称を指す言葉はひとつも出てきません。
でもこれは特殊なことではありません。
よくある歌詞ってだいたいこんなもので、相手のことを「キミ」と呼んだり「あなた」と呼んだりころころ変わったりはしません。
もしころころ変わってたら、わたし「それって別の人物では…」みたいな可能性を考えだして手に負えなくなります。
以下、負えなくなってしまった例です。
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
本題に戻って『愛を叫べ』なんですが、この曲どうしてこんなにいろんな表現で自分たちや相手のことを指すんでしょうか?
それは、長い間の蓄積があるからです。そして、たくさんのひとがそれに関わっているからです。
『ずっと好きだった』の場合、過去の出来事はだいたい捨象されて、現在に至るまで「ずっと好きだった」ってことだけがフォーカスされています。歌詞はシンプルだし、力強くてわかりやすいです。
『愛を叫べ』も、基本的には「おまえは今でもアイドルさ みんな大好きだぜ」っていうメッセージが中心になっています。シンプル!
でもね。
でも、その「みんな」はそれぞれ別々の人物です。
「マドンナ」に対して、ヤバいぐらいの熱い思いを秘めてた人もいれば、それを行動に出した人もいるし、逆に淡い気持ちを見ないふりして希釈させていった人もいるでしょう。
この曲は「あの頃の仲間」が集まっているので、仲間たちのすこし違いをみんな知っているのです。そっから目を背けるわけにはいかないのです。
だからこの曲では、たくさんの表現で人物を描写してるんだと思います。っていうか、たくさんの表現で人物を描写しているところから、そういう背景が透けて見えるのです。ヤバいな最高だな。
たくさんのアイ・ラブ・ユー、あとダーリン
ところでこの曲は愛まみれです。
このアイ・ラブ・ユーを 親愛なる人に1番のサビはこういう感じ。この「アイ・ラブ・ユー」は、主人公たちから「マドンナ」へのラブです。
おまえは今でもアイドルさ みんな大好きだぜ
図で書くと、こうなります。
でも、2番はちがいます。
いまアイ・ラブ・ユーを 最愛なる人へ「親愛なる人」が「最愛なる人」に変わりました。
あいつはおまえにお似合いさ みんな降参だぜ
結婚式に呼ばれたゲストが、花嫁に向かって「親愛なる人」っていうのは自然です。
でも、結婚式に呼ばれたゲストが、花嫁に向かって「最愛なる人」っていうのはちょっとちがうじゃん?
「最愛なる人」ってことばは、新郎と新婦との間でしか使っちゃいけないって先生に言われたよね!(言われてない)
で、2番の「アイ・ラブ・ユー」は、新郎から新婦へのアイ・ラブ・ユーだと思うんですよわたしは。なぜかっていうと、その直後に「あいつはおまえにお似合いさ」ってあるから。
つまりだな、図で書くとこうなります。
「俺たち」と「あいつ」が「マドンナ」にラブを送り合っているという構図になっています。どっちだ、どっちを取るんだ。
ところで、この曲はこれで終わりではありません。
最後にまた1番のサビを歌って終わりなのかとおもいきや、そのあとにこういう連が来るんですよ。
ダーリン ダーリン ダーリン 泣きながら笑えJ-POPにはびこるダーリン問題と絡めることもできそうですが、その話はまた今度にします。
ダーリン ダーリン ダーリン おめでとう これこそがトゥルーラブ
おめでとう 俺たちのトゥルーラブ
とにかくここでいきなり「ダーリン」が出てきます。
ふつう「ダーリン」は、女性から男性に向けて使う言葉ですよね*1。
ってことは、この「ダーリン」は新婦から新郎への言葉だということになります。図で示すなら、こうです。
やっぱりマドンナは「あいつ」を取ったんだ! 負けた…俺たちの負けだ…。
つまりこの曲はですね、ゲストのみんなが新婦のことを「だいすきだぜーー!」って言ってるのに、新郎と新婦がお互いのことをあまりに愛し合っているので、ゲストのみんなが「かなわねぇや!」って言ってる、という構図の曲だと思うのです。
でも結婚式ってそういうものですよね。わたしは結婚式にゲストとして参加したことしかないんですが、そういう認識です。自分の慣れ親しんだひとが、これから新しい人生を歩むにあたって、ちゃんと幸せなんだぜっていうのを見せつけられるのを楽しむ会ですよね結婚式って。
この曲はまさにそれを体現しています。かなわないことを含めて楽しんでいられる主人公たちはほんとにハッピーです。こういうとこほんと最高だな!
さっき「マドンナ」を示す言葉としてマドンナ、スーパーレディー、高嶺の花、ユー、親愛なる人、おまえ、アイドル、ベイベーを挙げましたが、まだありましたね。
おめでとう 俺たちのトゥルーラブそれは、「トゥルーラブ」です。「ラブ」って言葉、呼びかけにも使うもんね。
「俺たちのマドンナ」はこの日、愛を体現する存在になったのでした。
ご結婚おめでとう〜〜!!
というわけで、嵐『愛を叫べ』でした。
前半は斉藤和義『ずっと好きだった』と比較してきましたが、この曲とはもうひとつ、とても対照的なことがあるのですよね。
それは、『ずっと好きだった』がはっきり1対1の恋愛を志向してるのに対して、『愛を叫べ』はまったくそんなことない、ということです。
『ずっと好きだった』にはこんな歌詞が出てきます。
今夜みんな帰ったら もう一杯どう? 二人だけであのですね、これが下心じゃなかったら、わたしはもう何も信じないぞ!!
一方で、『愛を叫べ』ではこうです。
一緒に撮ろうよベイベー そこら中がラブ&ピースラブの数はべつにひとつではなく「そこら中がラブ&ピース」です。
でも仲が悪いとかではけっしてなくて、むしろみんなととっても仲良しな様子です。人付き合いがいやだとかではないのです。でも、1対1の恋愛を追求したりはしないのです。
これって、いま若者は絶食系って言われたりするやつと、なんとなく符合するんじゃないかなぁってわたしは思いました。社会学が好きな人は、こういう切り口からなんか楽しいコト書いてください♪ 楽しみにしてます!
あと、今回みたいな幸福な三角関係は、前に下記の記事でも取り上げました。
hacosato.hatenablog.com
もうほんとにこの曲最高なんで、記事見なくてもいいから曲を聴いてくれ…。わたしは引用するだけでいいのに3周も曲リピしてしまった…。3周で留めたのエラい…(ばたっ)。