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歌詞を読み、統計したりしています。

奪われた「照明」を求めて - ヒトリエ『るらるら』

こんにちは。

今日はヒトリエ『るらるら』の歌詞の意味を考えました。
ヒトリエ『るらるら』歌詞(歌詞サーチへリンク)

あなたは奪われた照明
頻りに探し続けていて
そつがない暮らしの向こうで
盗まれた憧れはどうだい?
「どうだい?」って言われても…。
この曲は、全体的に単語が指し示す意味がちょっと難解です。
「奪われた」も「照明」も、言葉は私たち知っているけれど「奪われた照明」が何なのか、はっきりわかりません。
この「照明」は何かの比喩みたい。でも何の比喩なんだろう…。
今回はそういうことを考えました。最終的には、それっぽい解にたどり着くことができました!

ふたりの主人公

この歌詞をぱっと見て、気づくことがあります。
この曲には主人公がふたりいるということです。
1番にはこういうフレーズがあります。

認めない 思いは如何あれ
「あなたには僕がいるんだ」
2番の同じところは、こういう感じです。
独りぼっちだって知ってしまった
「わたしには君がいるんだ」
1番の「あなたには僕がいるんだ」が、2番では「わたしには君がいるんだ」になります。
ふつう、ひとつの歌詞にはそんなにたくさんのことを盛り込まないので、このふたつはきっと同じことを指し示しています。
つまり、この曲は途中で主人公が切り替わっている、ということです。
この歌詞には「僕」「わたし」のふたりがいて、前半では「僕」が、後半では「わたし」が主人公になっています。
境界線は、1番と2番の間だと思います。
理由は、1番には「僕」がいくつか登場するのに、2番にはまったく出てこなくなるから。
2番が終わってからは、さらに主人公が切り替わります。全体として見ると、このようになります。
歌詞
歌詞の中で色をつけた部分は、主人公の同定の手がかりになるものです。
具体的には「僕」「あなた」が出てくる個所は主人公が「僕」「君」「わたし」が出てくる個所は主人公が「わたし」としました。
こうして見てみると、歌詞の切り替わりの境界線がよくわかります。
また、変に混ざり合っている部分もないみたいでいい感じです!
また、後述する“あるものごと”への考え方が違うので、それも証拠になります。
続き見てみましょう!

「暮らし」観

ここまでで、この歌詞を「僕」サイドの部分と「わたし」サイドの部分に切り分けられるのを見ました。
今度は、この両者の違いの中身に踏み込んでみます。
私が注目したのは「暮らし」観です。
1番にはこういう個所があります。

そつがない暮らしの向こうで
盗まれた憧れはどうだい?
実は2番にも似たような個所があります。
みっともない暮らしには
そうだ うんざりしてるんだ
「僕」「わたし」は、暮らしに関する考え方が違います。
「僕」はこの暮らしを「そつがない」と言っています。
「そつがない」は「手落ちがない。手抜かりがない。むだがない。」という意味。この言葉は常にポジティブな意味で使われるとは限りませんが、でも「僕」は別段この暮らしについてそう悪し様に言っているわけでもありません。
一方で、「わたし」はこの暮らしのことを「みっともない」と言っています。
「みっともない」とは「見た目にわるい。体裁がわるい。」という意味。「わたし」がこの暮らしに満足していないのは明らかです。

「僕」は、この無難な暮らしに変化が必要だと感じています。
でも、変化を巻き起こすだけの行動力はありません。
その心境の現れがさっきの「そつがない暮らし」という表現なのだと私は思います。
そう思って見てみれば、

臆病な僕だ
その期待に背いてしまえば
どうにだって
次の数秒は変わるんだ?
恥を捨てれば!
というように「僕」が自身の臆病さを不甲斐なく思っている描写がいくつも見つかります。

一方「わたし」のほうが不満なのは、自身ではなくて暮らしそのもののほうです。

つまらないだけの異世界
今日も虚しく回りだすんだ
散々だなあ
みっともない暮らしには
そうだ うんざりしてるんだ
2番にはそういう描写がたくさん見受けられます。

1番と2番の違いは、両者の境遇の違いでもあります。
どうしてこういう差が生まれているのでしょうか。
それはこの歌詞の中で「僕」なら自分の力で世界を変えることができるからです。そして「わたし」にはそれができないからです。
1番にあって、2番にないものがあります。

るらら るら
るららるら
という部分です。
たぶんこの「僕」だけに使える呪文のようなものが、世界を変えるキーワードなのでしょう。

世界を塗り変えてみなイカ

で、わたしはこの曲、領土問題の曲だと思ったんです。
具体的な例を挙げると角が立ちますので、それぞれ妄想してください。

あなたは奪われた照明
頻りに探し続けていて
この「照明」というのは、きっと領土のことです。
「照明」って光り輝くものですから、聖地のような特別な領土かもしれません。
「あなた」はある国です。聖地を奪われて、それをしきりに探しています。
どちらの味方にもならない
臆病な僕だ
「僕」はその直接の当事者ではありません。ただ、とても身近に思いながら見ています。
なぜなら「僕」には力があるからです。
その期待に背いてしまえば
どうにだって
次の数秒は変わるんだ?
世界情勢に自分は背くことができます。そして、そうするとこの領土問題を大きくひっくり返せることを「僕」は知っています。
どちらの味方にもならない
臆病な僕だ
自分を「臆病」だと自嘲していた「僕」も、
いっそ繰り返しの迷子で
恥を捨てれば!
認めない 思いは如何あれ
「あなたには僕がいるんだ」
「あなたには僕がいるんだ」と表明するに至ります。
これはとても大きなことです。
この領土問題について、中立を破ったということだからです。
「認めない 思い」というのは、「わたし」の聖地に対する思いのことだと思いました。
「僕」は、「わたし」が聖地に対してどう思っているのか感知しないと言っています。
つまり「僕」は、単に打算で動いている、ということです。クール。
るらら るら
るららるら
「るらるら」というフレーズは「僕」が持っている権力です。それは何かの強大な武器かもしれませんし、もっと恐ろしい政治力のようなものかもしれません。
とにかくここに「僕」は宣戦布告をするのです。「わたし」と協力して。

さて。
2番になると主人公が「わたし」に変わります。

浅い夜の底
一つもない答えを
合わせていく両サイド
主人公は、この領土問題に悩んで、眠りも浅い様子です。
散々だなあ 見えない希望の橋を
譲ってくれない?
「希望の橋」とは、1番に出てきた「照明」と同じ、領土のことだと思います。
「橋」なので、もしかしたら回廊のようなものなのかも…。
そこで「わたし」は、「僕」が味方してくれることを知ります。
「わたしには君がいるんだ」
と歌うわけです。

そのあと、主人公は再び「僕」に戻ります。

認めない 思いは如何あれ
「あなたには僕がいるんだ」
最後の「認め…」でじらすのめっちゃかっこいいですね!
「認める」って言うのかな?
って私たちは期待しちゃいます。
でも、じらしてじらして、結局「認めない」のままです。
「僕」は最後まで「自分は打算で動くよ」って宣言したままです。
でもここまでじらすことに、意味がないわけないのです。
最後の
るらら るら
るららるら…
は、もしかしたら「僕」「わたし」がふたりで歌っているのかもしれないですね。
ばらばらだったふたりは、「照明」奪還に向けて共闘するに至るんですね。
ふたりはきっと、ネットスラングで言うとこんな感じのことを言うでしょうね。
「よろしい ならば戦争だ」
って。

というわけで、ヒトリエ『るらるら』でした。
ヒトリエで歌っているwowakaさんはボーカロイド楽曲で非常に有名です。
いままで私はwowakaさんの曲に何度も取り組み、その度に挫折していたので、今回曲がりなりにもカタチになってうれしいです。

ところでライブ映像かっこよすぎるから最後まで見て! 1回でいいから最後まで見てみて!!
https://itunes.apple.com/jp/album/rurarura/id775872594?i=775872617&uo=4&at=10lrtS

るらるら

るらるら

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次回はすみませんが、一度お休みをいただきます。こんなことこのブログを始めて初めてですが、今回はちょっと時間取れなさそう。
また7月20日にお目にかかります!