AKASAKI『Bunny Girl』の歌詞の話をします!
こないだこの歌詞の「考察」や「解釈」を偶然ネットで見かけました。
わたしには珍しいことです。
で、読み進めてみると、この歌詞の主人公はBunny Girl側だと書かれていました。
え?ってなりました。なんかそんなことなさそうだけど……。
なので、試しに似たようなブログや記事を10個ほど見てみたんです。
そしたら、こんなことがわかりました。
結論:主人公を示している記事ではすべてBunny Girl側が主人公判定だった
だけど違うと思うんです。ちょっと読み進めてみて、わたしの結論はこうです。
目線は途中で入れ替わるけど、カメラは常にBunny Girlを向いている。
いっしょにこの歌詞について見ていきましょう。
カメラはいつもBunny Girl側を向いている。
いろんな記事を見ると、一見Bunny Girlを口説く側が主人公に見えるが、実はそうではない、という論調になっていることが多いようで、どうやら逆張りとしてのBunny Girl主人公説がはびこっているようです。
それもそのはずです。たとえば歌詞の冒頭サビの部分はこういう感じ。
夜の始まりさ Bunny Girl 誘惑される鼓動に
弾け飛ぶ葛藤に愛を乾杯 伝えられなくても
恋の始まりさ Bunny Girl 誰かを穿って
澄んだ君の目を 孕んで
「誘惑される鼓動に」のあたりは、主人公が客の側で、Bunny Girlに誘惑されにきた、と捉えるのが最も自然なように思えます。
確かにこの連ではそういう読みが十分に可能です。
4行目の「澄んだ君の目」とかもそれでしっくりくる感じがします。
やはり主人公は男性。
ではね、いまからBunny Girlを誘惑していこうと思います。
ところが。
間奏をはさんだAメロ部分は違います。
さあ キザなステップを刻んで
仕事帰りの疲れは 私と、このグラスに
さあ 自分好みに縋って
世間に対する気持ち 私に注いでみない?
「仕事帰りの疲れは 私と、このグラスに」と語るのが客の側だとするとちょっと変な感じ。
AメロはBunny Girlが主人公です。
「世間に対する気持ち 私に注いでみない?」というのはつまり、Bunny Girlが客に対して話を聞くよ、と持ちかけていると捉えることができそうです。
ここで、人称代名詞に注目します。
サビの部分では人称代名詞はひとつだけ「君」というのが出てきました(「誰」を除く)。
これは客の目線から見た二人称、つまりBunny Girlのことです。
次のAメロの部分でも人称代名詞はひとつだけ「私」が出てきています。
これはBunny Girlから見た一人称、つまりBunny Girl本人です。
サビとAメロとで、目線は変わったけど描かれているのはずっとBunny Girlです。
これがこの曲の主人公であり中心です。曲が移り変わっても、目線の持ち手が変わっても、常にその先にはBunny Girlがいます。
この歌詞はそういう風にできています。
続く部分を見てみます。Bメロです。
ありがちなラブソングでも 愛が込められてるの
それでも汚れるのね 君を見れば分かるの
下を向く君の目を 無理矢理剥ごうとはしない
だからそんな顔せず手を差し伸べて
ほら
この部分では人称代名詞として「君」だけが出てきます。ということはつまり、この部分は客側の目線から描かれていて、Bunny Girlに向かって語られているということになります。
この曲は、それぞれの連(ブロック)に対してひとつの人称代名詞しか出てきません。
だから途中で語り手が変わっても、それを手掛かりにだれが語り手なのかがわかるようになっています。
そうとわかったら歌詞がとても見通しよく感じられます。
ここでいったん歌詞から離れて、一般論を考えます。
Bunny Girlがいるような店というのは(行ったことないけど私見では)演技の場だと思います。
つまり客が語り手、Bunny Girlが聞き手になって会話を楽しみ、その中で疑似恋愛関係も生まれる、って感じなんじゃないかなと思っています。
その中でこの歌詞は、カメラが次々切り替わりながらひとつの関係を描いていました。
だけどそこには本来的な対話がなかったんだと思うんです。つまり疑似恋愛関係がうまく機能していなかったと思います。
歌詞の冒頭から再度引用していきます。
夜の始まりさ Bunny Girl 誘惑される鼓動に
弾け飛ぶ葛藤に愛を乾杯 伝えられなくても
恋の始まりさ Bunny Girl 誰かを穿って
澄んだ君の目を 孕んで
この部分の客の語りです。
その態度は、擬似恋愛関係にしては地に足がつかなすぎな感じがします。
続くAメロ。
さあ キザなステップを刻んで
仕事帰りの疲れは 私と、このグラスに
さあ 自分好みに縋って
世間に対する気持ち 私に注いでみない?
この部分はBunny Girlの語りです。
さっきの客の態度に比べてずっと落ち着きがあり怜悧です。
続くBメロ。
ありがちなラブソングでも 愛が込められてるの
それでも汚れるのね 君を見れば分かるの
下を向く君の目を 無理矢理剥ごうとはしない
だからそんな顔せず手を差し伸べて
ほら
ここは客の語りです。
疑似恋愛関係をはみ出して、役割から外に出ようとする言葉の投げかけが多いように見えます。
たとえば「それでも汚れるのね」とか。
ピュアな恋愛にしては汚れて見えるのかもしれないけど、この恋愛はそもそもまがいものなのに。
ところが、少し飛ばして2番のBメロにはこんな歌詞があります。
君の愛を知った気で ハイになっていて
感度去っていて 毎度泣いていてさ
それくらいがいいんでしょ
ここは「君」って書いてあるから客側の語りです。
ここには「それくらいがいいんでしょ」ってフレーズがあります。
客側、この疑似恋愛関係を理解したっぽい!
ちぐはぐだったふたりのおままごとは、ここから収束に向かいます。
ラスサビはこう。
私をあげるわ Bunny Girl 誘惑される鼓動に
弾け飛ぶ葛藤に愛を乾杯 伝えられてるはず
夜の始まりさ Bunny Girl 誰かを穿って
澄んだ君の目を 孕んで
最後の連はほかと異なる点があります。
この4行の中に「私」と「君」の両方がいるのです。
これ、いままでは一度に片方の語りしか描けなかったのに、いまは一度に両方の語りが描ける、ということです。
つまり、ふたりの疑似恋愛関係が同じ話を描くことができるようになった、っていうのを示しているとわたしは捉えました。
お酒をいっぱい飲むことによって、客の男は現実の辛いできごとを忘れることができたのです。やったね。
おしまい。
AKASAKI『Bunny Girl』でした。
目線が違っても同じものを見ている、という観点で、ひとつ思い出したことがあるんだけどセンシティブだから書くのやーめた!