Official髭男dism『Sharon』の歌詞についての話。
4分40秒の楽曲でひとってここまで誠実に語れるんだ……っていうのがわたしの初聴の感想。
しかも歌詞が進むにつれてその誠実さは増していく仕組みになっています。
最近は歌詞を飛び飛びで引用していいよね〜っていうタイプのブログをわたしは書きがちという自覚がありますが、この曲は最初から順に追っていくのがいい感じ。
それは誠実さが時間の流れと共に深まっていくからです。
1行目から順に味わいたい歌詞をいっしょに追いかけましょう!
誠実さを深めて
最初のシーンから順に引用します。
「ただいま」の代わりに扉の音を殺して
暗い部屋へと抜き足差し足で入り込んで眠る日々の先に
やっと軽くなったカバンを肩に掛けて
子供の声飛び交う道 寝不足らしくもない早歩きで進む
主人公が仕事を終えて家に帰宅するシーンに見えます。
「「ただいま」の代わり」ということは、本来「ただいま」という相手がいるのにそれを言っていなくて、それはつまり遅い時間なので相手が眠ってしまっている、というように読めます。社畜です。
家の中ではパッシブな言葉、家の外ではアクティブな言葉がたくさん出ていて、対比が印象的です。
| 場所 | 状況 |
|---|---|
| 家の中 | 音を殺して、抜き足差し足、暗い部屋、眠る |
| 家の外 | 軽くなったカバン、子供の声、早歩き |
これはつまり、主人公の仕事が足枷になっていて、パートナーとの生活が差し支えている、という感じ。
「寂しい」と告げる事さえ躊躇ってたあなたには
「溢れ出しそう」を溢れ出さして欲しいんだ
どんな言葉も力不足なら 早くドアを開けよう
主人公は、そんな相手に対して「「溢れ出しそう」を溢れ出さして欲しいんだ」と歌います。
まずここをちゃんと押さえたいんですけど、これはまったき優しさです。
不満をちゃんと伝えてほしい、そしてそれが力不足なら「早くドアを開けよう」とも歌います。
そうだよね、そうしてこの生活がふたりの思い描く環境に少しでも近づくといいよね、とわたしはほんとに思います。
こういう描写で終わる曲もいっぱいあると思います。この時点でもわたしはこの曲に十分な優しさを感じます。
この部分でメロディーのキーはB♭になり、いままでで一番高い音になります。
メロディーの意味でも、歌詞の内容の意味でも、この部分がいままでで最も強い、印象的な部分になったでしょう。
だけど、この時点でこの曲全体の25%しか終わっていません。
この誠実はまだ続きます。
サビです。
ただ「気をつけて」と伝え帰りを待ち侘びてた
あなたの優しさにはもう用はない わがままだけ聞かせて
「あなたの優しさにはもう用はない」って強い表現です。
「用はない」といったら掃いて捨てるようなきついネガティブな表現だけど、それの対象は「あなた」ではなくて「あなたの優しさ」です。
優しさを捨ててほしい、と伝えるためにわざとこうした粗野な言い方をすることによって、その気持ちの強さを表現することができているように感じます。
主人公が「ただいま」も言えないほどの時間に帰ってくることを甘受して/させているのは、「あなた」ではなくてその優しさであることに、主人公は自覚的なのです。
夢や生き甲斐って馬鹿でかい絵空事の中
あなたがいなくちゃ何にもないのと同じ
「ただいま、おかえり」のくだりがやけに響く
主人公は続いて、「あなた」の存在の重みについて語ります。
「あなた」なしでは「夢や生き甲斐」は無価値であることの語りの最後で、卑近なふたりのやり取りについてまた想いは立ち帰り、1番が終わります。
めちゃくちゃ誠実です。
不満を伝えてほしいというばかりでなく、それが自分の「夢や生き甲斐」の中でどういう立ち位置にあるのかを言葉にしようとするから。
そして毎日ある(はずの)やり取りがそれを支えていることに自覚的だから。
だけど、この誠実はまだ続きます。
ここから2番。
とはいえ暮らしとは理想よりずっと忙しなく
すぐに鞄の中重くなって 要領の悪さに我ながらに呆れる
この「とはいえ」、すべての歌詞の「とはいえ」の中で今いちばんすきです。
1番のサビできれいなことば……というか、ある意味で綺麗事が歌われた後で、2番に入って歌詞は現実に立ち返ります。
ライターの古賀及子さんがエッセイ的なブログでたびたび言及しているように、暮らしというのは強度があって、多少のことではかたちを変えません。
優しさに用はなくても、鞄はちゃんとまた重くなってしまいます。
つまり理想は簡単に敗れ、昨日と変わりのない日常がのしかかってくるのです。
「寂しい」と告げる事さえ躊躇ってたあなたから
「溢れ出しそう」を溢れ出さしたのは僕なのに
約束はもうボロボロになってた それでも笑ってくれた あぁ…
2番のBメロ、1行目は1番とほとんど同じですが、2行目がぜんぜん違います。
1番の時点で「溢れ出しそう」はかぎかっこに入っていました。これはつまり引用で、つまりパートナーが語ったことで、つまり「溢れ出しそう」はその時点で溢れていたのです。
主人公はそれにも自覚的でした。
嘘つきが偉そうな事また言うけれど 許してほしい
有言実行にはほど遠くても誓う事で
あなたに支えてもらいながら 救われながら
ふたりの約束はボロボロです。主人公はそれをわかって「嘘つき」と自分を言います。
それでも主人公は誓います。「有言実行にはほど遠くても誓う事で」と言います。
この連のそのあとのフレーズはぜんぶ言い差しになっていて、文を完結させることがありません。
それは約束を守り切ることができない主人公に重ねることもできるでしょう。
それでも誓おうとするその姿勢こそで、主人公は「ドアを開けよう」とする態度を示そうとしています。
誓うことは言語行為です。つまり、誓うと発言すること自体が行動になります。
それがわかって、のたうち回りながら、この歌詞を歌うことが誓うことであり、誓うことが約束の履行に結びつくのです。
ただ「気をつけて」と伝え帰りを待ち侘びてた
あなたの優しさにはもう用はない わがままだけ聞かせて
夢や生き甲斐って馬鹿でかい絵空事の中
あなたがいなくちゃ何にもないのと同じ
だから2回目に聞くこのフレーズは最初よりも強度を増して聞こえます。
これはただの繰り返しではなくて、歌うこと自体が状況の変化をもたらしているのです。
この曲の最初は、深夜、寝静まった家に一人で主人公が帰宅するシーンで始まっていました。
曲の最後も同じ。
「ただいま、おかえり」のくだりがない日も聞こえる
ああ、明日は早く帰れるよ おそらくだけど
いつもごめんほんと
明日の帰宅について語るシーンで終わります。
毎日はその繰り返し。そのひとつ分を切り取っただけだけど、その前後では比べられない変化があることがしっかり描かれているのです。
Official髭男dism『Sharon』でした。
主人公は軽い言い方をすれば“社畜”っていうものなんだと思いますが、そう考えると「Sharon」というのは「社論」ということなのかもしれないなと思いました。
これは辞書的な意味ではなくて、会社で働くということについての考え、ぐらいの意味です。
「Sharon」とは女性の名であると同時にイスラエル南部の平野の名前だそうですが、わたしはこれ漢語として捉えるのがいいなぁと思っています。
最近は曲のどこで切り取ってもきちんとポップなTikTok向け楽曲を楽しんで聴いていたけど、こういう重厚さもやっぱりJ-POPの豊かさです。
しかもこの曲がとても有名でたくさんの人が見たり聴いたりしている世界、豊穣ですき。この環境で音楽に触れることができてきょうもうれしいです♡
Official髭男dismの曲は過去にこの辺もよく考えたことがありました。
hacosato.hatenablog.com hacosato.hatenablog.com
『アポトーシス』は今回と同じ歌詞の中身について立ち入って考えてみたもの、『Cry Baby』『ミックスナッツ』のほうは歌詞の中身にはあまり立ち入らずに歌詞を計量的に考えてみたものです。どちらもよかったら読んでください!