5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

マスカラが剥がれる=飾らない笑顔、だけれど…… - SixTONES『マスカラ』

SixTONES『マスカラ』の話をします👀

SixTONESオールナイトニッポンってラジオ番組があるんですけど、その中に「土曜ラジオ劇場『マスカラ』」ってコーナーがあるんです。

飾らない笑顔で
ありきたりなキスをして
凡庸なラブストーリーが丁度いい

それがね、この歌詞の中の「凡庸なラブストーリー」ってフレーズを踏まえて、6人のメンバーが連作のラジオドラマを作ってひとりずつ読み上げる、っていう企画で、

  • 泣ける
  • 切ない
  • ティーンにガン刺さりのありえん鬼バズる→ティーン鬼

ってコンセプトになってます。

なにごと!?ってなると思うんですけど気になる方は各自調べてもろて。。

とにかく、いまメンバーの6人がこの曲の歌詞をもとに二次創作を作っていて、私の執筆時点で全6話中5話が公開されています。

このままだと樹がオチを決めて話は完結し、それが正史になってしまうところなんですが、その前に書いておこ!って思ったのでいまこれ書いています!

対戦よろしくお願いします!!💥

(なお、以降玄関は出てきません!!)

“あの頃の二人”はだれの理想?

一般にマスカラって女性がするもので、男性はいまのところしないひとが多いと思います。

だけど私はこの曲を、ティーンの男女の恋愛の倦怠期を、男性目線で描いた曲だと思って読みました。

飾らない笑顔で
ありきたりなキスをして
凡庸なラブストーリーが丁度いい

最初の連はそんな主人公の描写。

ここの「凡庸なラブストーリー」で私が想像したのは、高校生主人公のキラキラした青春ラブストーリー映画みたいなやつです。

ラウールが出てる『ハニーレモンソーダ』みたいなやつな🍋(偏見がえぐい)

主人公の男の子は、高校(中学かも)でいまの彼女と付き合って、そのまま大学3年生ぐらいになりました。

倦怠期です。

主人公はそんな現状に対して「凡庸なラブストーリーが丁度いい」と歌います。

つまり昔の二人の関係は着飾るところがなくて楽しかったけど、一方いまの二人の関係に壁を感じている、ということです。

大学3年生にとっては「凡庸なラブストーリー」な恋愛していたのは過去の話。

相手に対しては終わりをちらつかせたりします。

終わりがあるのなら
始まらなきゃ良かったなんて
いじけてばかりで

続く連は彼女側の描写。

「終わりがあるのなら/始まらなきゃ良かった」といじけるのは、主人公ではなく彼女のほうです。

それを「いじけ“てばかり”」と歌うあたり、主人公が彼女に対してうんざりしている感が出ています。

この冒頭の2連はそういう感じで、主人公側と彼女側の描写がセットになっています。

続くBメロ。

わかりきっていた
変わりきってしまった
馴染みの景色を
喰らえど喰らえど

主人公が「変わりきってしまった」と言うのは彼女についてです。

たぶん付き合いたてのころの彼女は学校ではすっぴんで、マスカラつけたりしてなかったんだと思うんです、中学だから。

けど、別に大学3年生になってたらマスカラしててもなんでもいいじゃん?

彼女が初めてマスカラをしてきたり、髪を染めたり、新しい服を着てきたりするたびに、主人公にとっては「馴染みの景色を/喰らえど喰らえど」という感覚になったのではないかと思いました。

全般に、主人公(=彼氏側)は過去を懐かしんでていて現状には不満です。

一方で彼女側は、過去はともかく現状がよくなるように絶えず変化しています。

味がしなくなってしまった日々の
貴女の酸いも甘いも忘れたままで

これ、いまとちがって昔は日々に味がしていた、ということです。

主人公が「酸いも甘いも忘れた」、味がない日々というのが、つまりは倦怠期です。

強くなれたならば
素直になれるかな

主人公は、彼女がマスカラをする理由を“強く見せるため”だと思っています。

そして、強く見せる必要があるのは本人が強くないからだ、と主人公は思っています。

だから主人公は彼女に対してこう歌います。

見えすいた完璧なフリは
もうやめて

主人公にとって、彼女がマスカラをするのは「見えすいた完璧なフリ」だからです。

そうやって主人公に言われて、彼女は泣いてしまいます。

枕を濡らした
涙が乾いたなら
出かけようか
マスカラ剥がれたまま

泣くとマスカラは剥がれてしまうんですよね……。

でも主人公にとってはそのほうがいいのです。

1行目にあるように、マスカラがない顔の方が「飾らない笑顔」だから。

構成の妙

この曲、1番2番のあと、ラスサビ(こういうのなんて呼ぶのか一生わからん)があります。

その部分はこういう感じ。

強くなれたならば
優しくなれるかな
見えすいた嘘で
茶化してばかりで
 
悲しみの雨を
丸々飲み干したら
出かけようか
出会った二人のまま

使われる言葉は1番と若干ちがうけど、でも歌われていることはだいたい同じです。

「悲しみの雨を/丸々飲み干したら/出かけようか」ってフレーズは、1番よりも少し前向きに見えます。

マスカラは剥がれちゃうけど、だけどそれで「出会った二人」に戻って新しい二人の関係を築き直せるような、そういう明るさがあります。

しかし。

この曲はそれでは終わらないのです。

この歌詞の最後はこういう感じ。

飾らない笑顔で
ありきたりなキスをして
凡庸なラブストーリーが丁度いい
 
終わりがあるのなら
始まらなきゃ良かったなんて
いじけてばかりで

これこの曲の冒頭と同じじゃん!!

実はこの曲の歌詞、堂々巡りしているのです。

さっきも触れたように、この曲では一瞬、新しい関係に戻れるような希望がありました。

だけどそれは彼女の涙の先にあるもので、そこに彼女の意志はぜんぜんないんですよね。

一見明るく見えたハッピーエンドは、じつはハッピーでもエンドでもありません。

先の未来はこの歌詞にわかりやすく描かれてはいなくて、現実と同じように泥臭くふたりで探していくしかないんだろうなって思うのです。

この恋愛は凡庸? それとも特別…??

ここからはもう『マスカラ』に限らぬの話です。

飾らない笑顔で
ありきたりなキスをして
凡庸なラブストーリーが丁度いい

自分の恋愛を「凡庸」と呼ぶのって男性の歌い手に多いと思うんですよね……。

今回この曲の主人公を男性と捉えたのにはここの理由もあります。

たくさんの歌詞を覚えているわけではないので不十分かもしれないですが、いくつか例示してみます。

たとえば

平井大『Stand by me, Stand by you.』(男性の歌い手)では、

これは 75億分の一人と
一人が出会って恋に落ち
そして当たり前のようにキスする
ありきたりな話さ

この恋愛はありきたり、っていうじゃん。

一方でたとえば

あいみょん『裸の心』(女性の歌い手)では、

今、私 恋をしている
裸の心 抱えて

「(他でもない)今」とわざわざ歌い、「(他でもない)私」とわざわざ歌うのよな。

古い曲にさかのぼると、たとえば

Mr.Children『Sign』(男性の歌い手)だと

ありふれた時間が愛しく思えたら
それは“愛の仕業”と 小さく笑った

という感じでありふれた時間の中の愛を歌うし、

(この曲YouTubeに公式なくて泣いちゃった😢)

JUDY AND MARY『そばかす』(女性の歌い手)だと

星占いも あてにならないわ

という感じで、この恋は星占いにあてはまらない(ぐらいに特別な)恋だって歌うのよな。

定量的に示すのは難しい感じがしているんですが、またなんかできそうなこと思いついたらやってみよ!

おしまい!