いきものがかり『生きる』を聴きました。
もうすぐ 春だね
さくらは 咲くかな
君の笑顔 思い浮かべたら
なぜかな 泣けてきたよ
この曲はこんな歌詞から始まります。
だけど、すこしずれているんですよね。
わたしの住んでいるところではきょうもこんなにあたたかかったし、卒業式やっててみんな泣きながら笑ってたし、東京ではもう桜は開花したのです。
MVの世界の中でも、桜の花びらはもう舞っています。
でもこれは、間違いなのではなくて、最初からそういう仕組みなのだとわたしは思います。
あとで立ち返ってみます。
桜は何度も咲く(いまのわたしたちはいましかいないのに)
桜をテーマにした曲はJ-POPにたくさんあります。
その切り取り方は曲によってそれぞれ。
でも特に大きくて重要なのは、桜が毎年春に、繰り返し咲く、という点に注目した作品です。
たとえば森山直太朗『さくら(独唱)』では、さくらが1年後にまた咲くことを念頭に置いて、さくらがまた咲くのと同様に僕らはまたここで再開しよう、というメッセージを運んでいるように読めます。
さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で
ところで、桜のこの特徴は、孤独を表現するのにほんとうにぴったりです。
なぜなら、桜の花は(どうせ)来年もまた咲くけど、わたしたちは来年の今ごろ、なにをしているのかわからないからです。
たとえば宇多田ヒカル『桜流し』では、去年の桜のころにいっしょにいた「あなた」を、今年は隣にいない「あなた」と対比させているように見えます。
開いたばかりの花が散るのを
「今年も早いね」と
残念そうに見ていたあなたは
とてもきれいだった
もし今の私を見れたなら
どう思うでしょう
あなた無しで生きてる私を
また、いきものがかり『SAKURA』も同様に見えます。
それは、今回の『生きる』でも同様です。
言えなかった気持ちばかり 胸に残る
たいせつなひとたちに
もう一度 手を振って笑いたいな
わたしたちが生きている日々って、思い返すとこういう感じ。
桜が咲いていないような、ハレかケかでいうとケのほうの毎日って、たいせつなひとたちに取り立ててなにかありがとうを告げたりできないのです。
あいつのこと嫌いじゃない
でも傷つけてしまった
大勢とすれちがう
風が吹きつけた
みんな生きてる ひとりで
しかしそんな日々に、ハサミは突然入れられてしまうのです。
時がきたよ
せっかちだな
またいつか会おうね
桜が咲くのと同じように、突然です。
なんども なんども
さくらは 咲くんだ
僕が死んで君が泣いても
美しく しあわせに
ここで描かれる桜は「僕」なしで花開く桜です。
ふだんのときにはなんでもなかった「たいせつなひと」に言えなかった気持ちのことや、もしかしたら「僕」の不在のこととかが、桜の存在によって際立つのです。
桜が、なにかのなさを引き立てる効果が、ここでびしばしと発揮されます。
ここで思い返すと、冒頭の歌詞はこんな感じでした。
もうすぐ 春だね
さくらは 咲くかな
君の笑顔 思い浮かべたら
なぜかな 泣けてきたよ
これ、冒頭の時点で、もうすでにいるべきひとがいない感じが示唆されていると思うんですよね。
つまりこの歌詞、スタートの時点で、1年先の、春(の直前)を描いているのだと思います。
なぜそんなアクロバティックな構成が可能なのでしょうか。
それは、桜が1年に1回、春になるときまって咲くものだからなのだと思います。
「星の友情」
いきものがかりに『YELL』という曲があります。
サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
ともに過ごした日々を胸に抱いて
飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ
この歌詞で主人公たちは、卒業のような岐路に立っています。
主人公たちはいまは「僕ら」と呼べるぐらいに互いにそばに立っていますが、じきに「飛び立つよ 独りで」とそれぞれ別々の道へと進んでいきます。
別々の道へ進むのは、孤独な営みです。
だけど、ひとりぼっちになることは「僕ら」の関わりが消えていくことをまったく含意しません。ひとりぼっちである点で、主人公たちは同士なのです。
そのことを、戸谷*1はニーチェの「星の友情」というメタファーを引き合いに説明しました。
『YELL』の中では、主人公たちはサヨナラを“選んで”います。戸谷の本の中でも、繰り返し「決断」という言葉が登場し、この概念が説明されています。
だけど、この比喩の中で、双子の彗星たちは別々の道を選んだわけではありません。大きな惑星の傍を通って“しまった”のは、偶然なのだと思います。その結果、二つの星は別々の道へのたもとを分かたれてしまいます。
このブログの内容が正しければ、やはり同様のことが読みとれます。
わたしたちは、日常生活の中で生死を選び取ることはほとんどありません。
だけど、実際には自分とすぐ身近な関係だっただれかとの間に、生死のハサミを入れられてしまうことは、残念ながらときどきあるのです。
今回の『生きる』を聴いて、いきものがかりは11年前の『YELL』と同じことを歌っているんだなと思いました。
だけど、『YELL』のときには選びとっていた未来。今回の『生きる』では選ば(さ)れてしまった未来、になったような印象をわたしは持ちました。
ずっと同じテーマを持ちつつ、それをどんどん深めていけるいきものがかりは、強いです。
桜がきれいだった!
*1:戸谷 洋志『Jポップで考える哲学 自分を問い直すための15曲』