今回はSEKAI NO OWARI『眠り姫』の歌詞を考えます。
Ah 君はいつの日か深い眠りにおちてしまうんだねサビの歌詞はこんな感じ。ここには2つの世界があります。「君」が眠っている世界と、ふたりが冒険した世界です。
そしたらもう目を覚まさないんだね
僕らがいままで冒険した世界と僕は一人で戦わなきゃいけないんだね
このふたつの世界は、どんなふうに繋がっているのでしょうか。それを考えたら、予想よりもおもしろいことがわかってきました。
『眠り姫』歌詞(歌ネットへリンク)
過去と現在
この曲には2つの異なった時間の世界があります。現在と過去です。
たとえば、1連を見ましょう。
君と僕とで世界を冒険してきたけどこの部分は過去を歌っています。
泣いたり笑ったりして
僕らはどんなときでも手を繋いできたけど
いつかは いつの日かは
次に2連を見ます。
ある朝 僕が目を覚ますと この世界には君はいないんだね続くこの部分は現在を歌っています。
驚かそうとして隠れてみても 君は探しにこないんだ
過去と現在には、決定的な違いがあります。過去には「君」がいるのに、現在には「君」がいない、ということです。
過去 | 現在 | |
---|---|---|
「君」 | いる | いない |
過去と現在には、ほかにも違いがあります。3連を見てみます。
Ah 君はいつの日か深い眠りにおちてしまうんだね過去、ふたりは世界を冒険してきました。でも現在は「君」が眠りに落ちてしまっているだけ。過去はすごくアクティブなのに、現在はすごく静謐なのです。
そしたらもう目を覚まさないんだね
僕らがいままで冒険した世界と僕は一人で戦わなきゃいけないんだね
過去 | 現在 | |
---|---|---|
「君」 | いる | いない |
動静 | 動的 | 静的 |
この世界は、過去と現在の世界をすごく注意深く塗り分けてします。過去のできごとは必ず動的だし、現在のできごとは必ず静的に描かれます。
続く4連を見てみます。
ボーっと火を吹くドラゴンも僕ら二人で戦ったねドラゴンと戦ったり、剣を見つけたりするなんて、ゲームや小説の世界みたい。この部分が動的だってことです。そしてこの部分は過去のこと。過去のことは動的なのです。
勇者の剣も見つけてきたよね
Ah このまま君が起きなかったらどうしよう続く部分はどうでしょう。「君の寝顔を見ていた」というシーン、大きな動きはありません。静かで静的な空間が広がっているだけ。そしてこのシーンは現在のこと。現在のことだから、静的なのです。
そんなこと思いながら君の寝顔を見ていたんだ
この曲で私が好きなのは、曲調が変わった2番のAメロです。
こんな青空のときでもどんな嵐のときでもこの表現はすごい!って思いました。
この短い表現の中で、ふたつの要素を描きわけているから。
「こんな青空のときでも」の部分は「こんな」とあるから現在です。「どんな嵐のときでも」は仮定なので、ここでは過去になります。
そして、現在の部分に静的な「青空」が、過去の部分に動的な「嵐」が出てくるのです。これは、狙ってやってるのだとしか思えないのです。偶然にしてはできすぎてる…!
メタファー
私は今回珍しく、歌詞を読む前にネットでこの曲の歌詞の意味について、ちょっと調べてみました。
そしたら、多くの人がこの曲のメタファーについて話をしてたのです。
でも、その捉え方は、なんだか私と違う感じ。
まずはメタファーのことについて、おさらいしておきましょう。
Wikipedaによるとメタファーとは、
私の手元の『新明解国語辞典』には例として「雪の肌」という表現が載っています。これは、肌が雪でできているとか、そういう意味ではありません。そうじゃなくて、肌が真っ白清らかで、まるで雪のようだね!ってことを端的に表現しているのですね。
こんなふうに、ふたつの要素があって、そのうちの片方が実は例え話である、っていうのが、メタファーの仕組みになっています。
「雪の肌」でいうと「雪」が例え話のほう。「肌」はトピックで肌のままです。
さて『眠り姫』は過去と現在に分かれるのでした。だから、どっちかが例え話。どっちかがトピックです。
私がネットで見た解釈は、たとえばid:tomi28さんのものです。
http://inaniwadance.hatenablog.com/entry/2012/06/03/005521
別の読みも見ましょう。
SEKAINOOWARIの「眠り姫」について世界の終わりの「眠り姫... - Yahoo!知恵袋
知恵袋からicemary15さんの読みを見てみます。抜粋すると、
2人の過ごしてきた思い出を、おとぎ話の世界に例えた表現だと思います。
私は、逆だと思うのです。『眠り姫』は、過去がトピックで、現在は例え話だと思います。「火を吹くドラゴン」とか「勇者の剣」とかはぜんぶ字義通りの意味で、「君が眠っている」という部分は比喩だと思うのです。
1つめのid:tomi28さんの記事に対する通りすがりさんのコメに似た意見を私は持っています。私はこの曲を聴いてオンラインゲームのことを想起しました。
君と僕とで世界を冒険してきたけどふたりはオンラインゲームで同じパーティーにいる仲間です。ふたりで「冒険してきた」のは比喩ではなくて、ゲームの中で実際にやってきたことです。
泣いたり笑ったりして
僕らはどんなときでも手を繋いできたけど
いつかは いつの日かは
ゲームのことはゲームのこと、現実とは違うよ!っていう意見も世間にはあると思いますが、そんな境界線はゲーマーには関係のないことです。Mr.Children『HANABI』のときの読みといっしょです。
ところが、ある朝「この世界には君はいない」状況が突然訪れます。
ある朝 僕が目を覚ますと この世界には君はいないんだねなぜか。
驚かそうとして隠れてみても 君は探しにこないんだ
いつもならいるはずの時間なのに、「君」はオフラインのままだからです。
Ah 君はいつの日か深い眠りにおちてしまうんだね「深い眠り」とは、字義通りの意味ではありません。「君」がオフラインであることのメタファーです。
そしたらもう目を覚まさないんだね
「僕」は、変だなと思いつつも翌日まで待ってみます。次の日も次の日も「君」はオフラインのままです。「もう目を覚まさない」とは、そういうことです。
ネットでの人とのつながりは細い糸です。たったひとつのサービスの、たったひとつのアカウントが繋がらなくなっただけで、もうその人とは連絡ができなくなったりします。
ある意味でそれは、死別なんかよりもずっと不安です。だって、向こうは私のことをまだ見ているかもしれないから。慌てる私のことを、向こうの「中の人」は別のアカウントからくすくす笑って見ているかもしれません。いままでこっちが大事にしていた思い出のこと、向こうはぜんぜん大事になんて思っていないかも。それを確かめようもないまま、非対称な関係に陥ってしまうのは怖いことだなぁって思います。
この歌詞には、救いがありません。なぜなら、アカウントが繋がらないことに救いがないからです。
主人公は何度も「君」のアカウントページを見に行くでしょう。「寝顔」のようなページを。
というわけで、SEKAI NO OWARI『眠り姫』でした。なんか知らないけど、カッコつけた感のある終わり方になってしまった…。
SEKAI NO OWARIは『RPG』 も前に読んだことがあるので、よければお楽しみください。
メタファーのことについては完全に勉強不足なので、本とかを読みますね…。言語哲学とかかな…。https://itunes.apple.com/jp/album/mianri-ji/id529755237?i=529755710&uo=4&at=10lrtS
↑クリックするとそのまま2番以降も試聴できます♪
次回は、もうすぐお盆なので「ボカロ好きの女子中学生と話を合わせるための10曲(仮)」をやります!