5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

レミオロメン『Sakura』

額縁の中の「君」
こんにちは。3月9日になりました。レミオロメン『3月9日』も前に読んだことがありますので、レミオファンの方はこちらもぜひ。
レミオベスト

さくらの花が咲いているよ
君を包んで咲いているよ

『Sakura』の冒頭はこんな感じ。いやいやちょっと待て待て。おかしいから。
さくらの花は人を包んで咲いたりしないから!
仮にだれかの周りに桜が咲いていて、桜がだれかを取り囲むようなアングルの瞬間があったとしたって、それはあくまでその一瞬の話であって、人は終始 動き回る存在だけどさくらはそうでないことから鑑みるに、やっぱりこの表現は不適切であって…。
なんて冒頭からくどくど突っかかってくる人がいると困りますね。そんなあなたのために、代わりに私が論破します!
というわけで、続きをどうぞー(←ナゾな流れ…)
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND74804/index.html
構成はこちら→A-A-B-サビ-A-B-サビ-C-サビ

額縁の中の「君」

この曲に出てくる「君」は、常に額縁の中です。
「額縁」っていうのはたとえ話ですけど、要はこういうことです。

さくらの花が咲いているよ
君を包んで咲いているよ

さくらの花が「君」を包んで咲いています。

夢の中で微笑んでみて

「君」に対して歌いかけているシーンのはず。「君」は夢の中です。

世界が君を優しく包み込んでいったよ

「世界」が「君」を包み込んでしまいます。

おどける君が胸にいるよ

「君」は主人公の胸の(≒記憶の)中です。

写真の中の二人

「君」は主人公といっしょに写真の中です。
というわけで、一事が万事こんな感じです。「君」は常になにかに包まれているし、なにかの中にいます。主人公とは決定的に違うレイヤーにいるみたいです。「君」に関する言及のほとんど全部がこんな感じなので、これは偶然じゃなくてなにかの意味があるはずです。あれとか。

悲しい時こそ笑おうか
君が僕に教えてくれた

2番のAメロです。「君」は過去というレイヤーに属していて、それを思い出している主人公の現在というレイヤーとは違うところにいます。それだけなら、そんなに大きなギャップじゃありません。単に「君」とは別れてしまっただけってことも考えられます。

さくらの花が咲いているよ
君を包んで咲いているよ

でも1番の同じAメロを見たらどうでしょう。さくらの花は、人を包んで咲いたりは普通しないのです。人が止まっていない限り。
でも、人が止まっていたならそういうことは可能です。たとえば、ひつぎの中とか。

世界が君を優しく包み込んでいったよ

世界が君を包み込む、っていう表現はとてもつよいと思います。たぶん世界が「君」を包み込んだら、もうだれの手にも負えないのでしょう。世界はそれくらいに大きな力で、でも「君」を傷つけることなく包み込んでいくようなイメージが浮かびます。
世界のひだがふたりを分かってしまうということは、ふたりは違う世界に分けられてしまうということです。文字通り「住んでいる世界が違う」境遇です。それが生の世界と死の世界だとしたら、いろんなつじつまがキレイに合います。


そういえば、桜って死と結びつけて考えるのがしっくりくる曲、とても多いですね。森山直太朗『さくら(独唱)』AKB48『10年桜』みたいに。つじあやの『風になる』も強く桜を思わせる曲です。
櫻の樹の下には』という作品もあるように、桜と死はなにやら結びつきやすいものなのかもしれません。し、私の思い込みかもしれません。

「同じ」と歌うこと。「変わらぬ」と歌うこと。

この曲には「同じ」とか「変わらぬ」って表現が何度か出てきます。

空の青さはきっと明日も明後日も
移りゆくけど 同じ空を見てるよ

一人じゃないさ 同じ時を刻むよ

いくつ季節が巡っても変わらぬこの想いを

この曲にはサビは3個所にありますが、「同じ」「変わらぬ」という表現はぜんぶサビの直前に登場します。偶然とは思えないわ。
ところで「同じ」っていう言葉は「変わらぬ」とだいたい意味が同じです。今回 私は「同じ」を辞書で引いてみました。出典は私の手元にある『新明解国語辞典』です。


二つ(以上)のものについて、あらゆる観点から見て、違いが認められない様子だ。
ついでにMacに入っていた『大辞泉』でも。

別のものではなく、そのものであるさま。同一である。
「同じ」という言葉を定義するにあたって、否定文はどうしても避けて通れないみたいだと私は気付きました。
中島みゆき『荒野より』AKB48『10年桜』でも取り上げてきたように、否定文って一度 文章の意味の内容を肯定の状態で飲み込んでから、それをひっくり返す表現です。「同じ」という表現も、同列で考えられるところがあると思います。
つまり「同じ空を見てるよ」と書いてあったら、違う空を見ている、という前提があるのでは?と疑いたいのです。
「同じ空を見る」というモチーフは西野カナ『if』にも出てきました。このときには同じ空を見上げていても気持ちは同じじゃないかもしれない、ということをにおわす表現で「同じ空」が出てきていました。ここで空が「同じ」だと表現されているのは、気持ちとの対比を強調するためです。
『Sakura』の「空」にも、対になる表現は出てきています。それは「移りゆく」空です。本来空は移りゆくはずなのに『Sakura』で見上げる空は「同じ」です。空は動かないのでしょうか?
2番のBメロのほうに移ってみましょう。「一人じゃないさ 同じ時を刻むよ」と書いてあります。「一人じゃない」ってことは、一人だという前提あってのこと。そして「同じ時を刻む」ってことは、違う時を刻むという前提あってのことだとしたら?
空は移りゆくし、時は勝手に刻まれます。「流れる季節の真ん中で」と始まるレミオロメン『3月9日』でも分かるように、移ろいゆく時の流れはきっと藤巻さんの心象風景なのでしょう。
それなのに空が「同じ」で、刻む時は「違う」のだとしたら、それは自然な流れではないです。
でもそれが、つめたく固まってしまってもう動かない記憶を指し示すのだとしたら、とてもきれいに読めます。
だからやっぱり、私には死別のイメージがとてもしっくりきます。

春の匂いがする
蜜蜂が飛んでいる
四ツ葉のクローバーを君にあげたいな
いくつ季節が巡っても変わらぬこの想いを

最後のサビの直前だって、季節は巡るものだけど「君」はもう変わることはないし「想い」だって変わらないのだ、って読めますものね。このサビだけはほかとは圧倒的に違って、おしなべてやたらと五感を刺激してくれます。でもそこに「君にあげたい」なんて表現が混ざり込んでくるから、五感を刺激する現在において、そこには君がいないことをとても強調しますね。present(現在)とabsent(不在)の対比が、とても鮮やかなのです。
そんな風に読めたあとで、私は最初から改めて歌詞を読み直して、3行めにさしかかって、やっぱり鳥肌が立ってきたのでした。



Sakura

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レミオベスト

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