5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

喪失感の喪失 - BUMP OF CHICKEN『宝石になった日』

BUMP OF CHICKEN『宝石になった日』の歌詞を見てたよ!

Butterflies (通常盤)

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歌詞の最初って、たとえばサビとかよりも個性が出る、ってわたしは思っています。
AKBの曲だったらたいていシチュエーションの設定と、主人公の紹介とかから入ります。
いきものがかりだったら、道行く人が足を止めるようなわかりやすいサビから入りがち。
関ジャニ∞だったら、なにかおっと思わせるようなキャッチーなフレーズで始まります。
サビはだいたいどのアーティストでも目立ってわかりやすいフレーズを用意する中、歌詞の始まり方にはもっと個性が出るのです。

さて。BUMP OF CHICKEN『宝石になった日』の歌詞の最初はこんな感じ。

夕立が屋根を叩いた唄 窓の外で世界を洗った
掌にはなんにもない ただなんとなく眺めて何分
ここにはすっごくテクニックが詰まっています。
主人公は家の中にいて、夕立は家の外の話。そして、見つめている掌は主人公の手の中の話です。
“家”と“手”というふたつの要素が入れ子になって、片方は騒がしくて、もう片方は静謐、という対比が描かれているんですね。
この曲はBUMP OF CHICKENのたくさんある歌詞の中で、わけても技巧的だと思います。
きょうはそんな歌詞の世界に立ち入る話。歌詞の話を久しぶりにできてうれしい!

BUMP OF CHICKEN『宝石になった日』歌詞(歌ネットへリンク)

喪失感のうた

わたし、この歌詞は喪失感を描いていると思うんです。
主人公が「君」と離別して、気持ちの中に空いた空洞をうたった歌です。

夕立が屋根を叩いた唄 窓の外で世界を洗った
掌にはなんにもない ただなんとなく眺めて何分
賑やかな家の外とは対照的に、静謐な室内と静謐な掌です。こういう雨の日に家の中に引きこもってぼんやりと過ごしてしまう経験、自分にもあるぞ!
これは、喪失感だ!!
って、見ていてわたしは思ったのです。

君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻
あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えていった
この部分、途中にいろんな要素が入っていてまやかされてしまいそうになるけど、最初と最後をつなげてみると、「君は消えていった」ってなるんだよね…。
これに気づいて、わたしは勝手に感動していました。「君」の不在がはっきり書いてあるからです。これはやはり喪失感だ…。

あとどれくらいしたら普通に戻るんだろう
時計の音に運ばれていく
この調子で、Bメロも統一感をもって読んでいくことができます。「普通に戻る」というのは、喪失感を拭い去って、いままでと同じ生活をするということです。
いま主人公は「夕立」から完全に隔離された空間で内省にふけっています。
「普通に戻る」というのは、夕立に遭ったら、雨に濡れたり雨宿りをしたりしながら日々を生きていくということです。晴れたときには陽の光を浴びたりしながら日々を生きていくということです。

あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
忘れたように 笑っていても 涙越えても ずっと夢に見る
サビでは「あの温もり」「何度も聴いた声」「君がいた事」が対等に登場します。「あの」という遠称や、「聴いた」「いた」というタ形が、「君」の不在をよく表現しています。
2行目では「笑っていても」「涙越えても」というように、笑いと涙が対になって語られます。けど主人公はいま、そういう感情の豊かな動きから離れたところにいます。喪失感にくるまってぼうっとしています。
それは1行目の「掌にはなんにもない ただなんとなく眺めて何分」とも符合してますね。

天気とか、感情とか、外の世界にはプラスもマイナスもあって、そのゆらぎの中で毎日が進んでいきます。
でも主人公は喪失感に囚われていて、波風もなにもないような、平坦な日々を生きています。

喪失感の喪失

ここまで、歌詞の最初から1番の終わりまでを見てきました。
この歌詞は2番になってもだいたいいっしょのことを歌っています。そこにあるのは拭えない喪失感です。
ところが。
Cメロのあたりから、歌詞の世界はすこし変化します。
歌詞が、これまでの1番や2番の歌詞を踏まえるようになるのです。
そしてここから先、歌詞の世界はがんがん変わっていきます。

瞬きの中 消えた稲妻 雨が流した 君の足跡
瞬きの中 掌の下 言葉の隙間 残る君の足跡
「稲妻」はもちろん1番Aメロの「君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻」を踏まえています。
そして「雨が流した」の「雨」は、「夕立が屋根を叩いた唄」の「夕立」です。
この部分は歌詞全体の中でとても新しい部分です。
なぜなら「夕立」という外の世界にあるものが「君の足跡」という内面世界のものに干渉しているからです。

増えていく 君の知らない世界 増えていく 君を知らない世界
君の知っている僕は 会いたいよ
この「君の知らない世界」「君を知らない世界」という表現も、前半から見てきたわたしたちにとって新鮮です。
なぜなら、歌詞の前半は、“外は外、内は内”で描かれてきたからです。
たとえば夕立が外の世界を騒がせている間、掌には何もなかったのです。外と中とにはつながりがなかったはず。
なのにこの部分では、主人公は明確に「君」と「世界」のつながりについて考えています。

この次のシーンが、わたしがこの歌詞でいちばん好きなところ。

ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
応えがなくても 名前を呼ぶよ 空気を撫でたよ 君の形に
主人公は「空気を撫でたよ 君の形に」と歌います。
空気なんてあってないようなものです。だから「掌にはなんにもない」と歌っていた1番と、客観的な見た目はたいして変わりありません。
けれど、主人公はそれを「空気を撫でたよ 君の形に」と表現します。
なにもないのは変わらないけど、その輪郭で「君」を表現できるよ、と主人公は歌うのです。
1番だったら「掌にはなんにもない」ことは喪失感の現れでした。
でもこのシーンでは、なんにもないことを「空気を撫でたよ 君の形に」と歌ってみせます。
同じ状況なのに、捉え方が変わったんだ!
ってわたしは思いました。こういう発見を見せてくれるのが、この歌詞の大好きなところです。

あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる
 
君がいた事が 宝石になった日
「忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる」という部分があります。
主人公が笑ったり泣いたりして、しかもそれが「君といる」ことと両立するようになったところが1番とは違います。
笑ったり泣いたり変化のある日々って、腫れたり雨が降ったりするのと同じです。それは外の世界の特徴です。
主人公は、最初は夕立とは別の世界にいたけど、いつの間にか外の世界に出てくることができるようになりました。
つまり、喪失感とはどこかで折り合いをつけて「君」のいない世界も楽しく生きることができるようになったということなのです。



というわけで、BUMP OF CHICKEN『宝石になった日』でした。
この歌詞こんなに「君」の不在のことを述べているくせに「君がいない」みたいなことは一言も書いてないところがほんとに巧みだと思います。
「君がいた」「君といる」と歌うほど不在が浮き上がるような、そういう作りをしているんですね。すごい!
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
前にこういう曲の歌詞を読んだときにも似たようなことを考えていました。
振り返ってみると2011年に読んだ歌詞ばっかりなんだけど…このときのわたしに何があったんだ…。

さて『宝石になった日』は歌詞解釈家さんたちにとっても人気のようで、ブログ記事たくさんあります。
bldwnq.hatenablog.comhttp://bldwnq.hatenablog.com/entry/2016/04/12/155254
bump-todai.blog.jp
わたしは後発だけど、先輩たちにもなにか意見をもらえたりしたらいいなぁって思っています♪♪

そもそもバンプの歌詞は解釈されがち。
わたしもBUMP OF CHICKENの歌詞好きなので、いままでにも何度も読んだことがあります。
よければ合わせてどうぞ!
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
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むかしの曲も好きだけど、最近の曲も好き!

https://itunes.apple.com/jp/album/bao-shininatta-ri/id1081730023?i=1081730033&uo=4&at=10lrtS

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次回はflumpool『星に願いを』の歌詞を読みます。8年も前なんだ!(リアタイを知らなかった…)