5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

「君」の知らない… - DAOKO × 米津玄師『打上花火』

こんにちは。

DAOKO × 米津玄師『打上花火』の歌詞が好きでまた深入りしてしまいました。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
Aメロは「あの日」「渚」「思い出す」「砂の上」「後ろ姿」というように、ポジとネガならネガのほう、陰と陽なら陰のほう、表か裏なら裏のほう、といった言葉ばかりが並びます。

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった
でもサビは「パッと光って」「花火」「終わらない夏」というように、Aメロとははっきりとちがうイメージの言葉が並びます。

今回はこの対比について考えました。光は闇でこそ輝く、って感じの話かな??

ところでわたしは映像のほうは見たことがないので解釈違いはご容赦ください〜〜。


DAOKO × 米津玄師『打上花火』歌詞(歌ネットへリンク)

Aメロとサビの黒白

この曲、歌詞は過去と現在を行き来しています。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
 
寄り返す波が 足元をよぎり何かを攫う
夕凪の中 日暮れだけが通り過ぎて行く
Aメロは現在の話。「思い出す」「攫う」「通り過ぎて行く」が言い切りで書かれているところでそれがわかります。

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった
サビは過去の話。「咲いた」「見ていた」「繋いだ」「欲しかった」とタ形で書かれていることからわかります。

もしこれが現在の話だったら「咲く」「見ている」「繋ぐ」「欲しい」っていう表現になるはず。

これだけではありません。
Aメロとサビは常に対比で表現されています。

Aメロは抑制の効いたアレンジだけど、サビからはストリングスが入って華やかな感じ。
AメロはDAOKOさんのソロだけど、サビからは米津さんのコーラスが入ってぐっと厚みを増します。

そしてそんなことより、選ばれる単語の彩りが違います。

Aメロには「あの日」「渚」「思い出す」「砂の上」「後ろ姿」というように、どこか翳があり、どこかはっきりしなくて、とらえどころのない、ふわっとした言葉やイメージが多く出てきます。ネガかポジかでいうとネガです。

一方サビでは「パッと光って」「花火」「終わらない夏」というように、輪郭があり、はっきりとして、鮮やかで、主役を張れそうな言葉ばかりが出てきます。ネガかポジかでいうとポジです。

表にまとめると、こういう風になります。

パート Aメロ サビ
時制 現在 過去
ネガポジ ネガ ポジ

つまり、この曲では過去がはっきり鮮やかに、そして現在がぼんやりとくすんで描かれいてることになります。

「君」の知らない物語

この曲には人物が二人登場します。主人公と「君」です。

この曲の中で「君」は繰り返し名指しされます。

君の後ろ姿
何度でも 言葉にして君を呼ぶよ

でも、主人公のことは出てきません。

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
の部分で間接的に表現されるだけです。

この曲では主人公と「君」は対等の関係ではないのです。

それが端的に出てくるのは2番のAメロ。

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音
このシーンで「君」は「あと何度君と同じ花火を見られるかな」と言って笑います。

「君」はこのシーンではただ漠然とした未来への不安を吐露しているだとなんだとわたしは思います。

たとえばちょっと見てくださいよ。

井上苑子『ナツコイ』のMVなんですけど、
「ねぇいつ帰ってくるの?」
と聞く女の子に対して、男の子は、
「3年かな?」
って答えるんですよ。それを聞いた女の子が、
「さんねん…」
っておうむ返しにして、作り笑いして、すぐ真顔に戻ってしまうんですよね。

これ! この感じ!!

でも『打上花火』に戻りますけど、そんな「君」のひとことを聞いた主人公は「傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動/焦燥 最終列車の音」と内省の世界に旅に出てしまいます。

どうして主人公はこんなに深く考え込んでしまうのでしょうか。

何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように
「もう二度と悲しまずに済むように」という表現は、過去の二人の関係に想いを馳せたとしても、なんだか少し重すぎます。

例えばケンカをして別れる危機を迎えたエピソードがあったとして、「もう二度と悲しまずに済むように」はなんだか自分勝手に響きます。「もう二度と悲しま“せ”ずに済むように」ならともかく。

でも、こうだったとしたら話の筋が通ります。

ループものです。

ループ ループ

主人公は「君」との時間を何度もループしています。そしてそれを知っています。何度ループしても、主人公は「君」と離れ離れになってしまいます。

一方で「君」は、それを知りません。新しいループの世界に入るたびに「君」は新しくなります。過去の記憶はありません。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
主人公が回想する「あの日」は、ひとつ前のループの中にあります。その記憶は渚の砂の上に刻んだようにはかなくて、「君」の存在もはっきりと見えません。

「あと何度君と同じ花火を見られるかな」って
笑う顔に何ができるだろうか
傷つくこと 喜ぶこと 繰り返す波と情動
焦燥 最終列車の音
「君」はそんなことを知らずに屈託なく笑います。主人公は、ループのことを「君」に言い出すことができずに、内省の世界に入り込んでしまいます。

何度でも 言葉にして君を呼ぶよ
波間を選び もう一度
もう二度と悲しまずに済むように
主人公は「何度でも」相手の名前を言葉にして、その存在の証を残そうとします。

でもその場は渚。「波間を選」んで描く言葉は、結局砂の上の言葉でしかありません。

主人公と「君」は、対等ではないのです。

それは音の面でも表現されています。

二人の非対称性が強調される2番Aメロは、この曲の中で唯一、米津さんだけが歌唱している部分なのですよね。

そんな二人をつなぎ、ループの結束点になるのは「花火」です。

パッと光って咲いた 花火を見ていた
きっとまだ 終わらない夏が
曖昧な心を 解かして繋いだ
この夜が 続いて欲しかった

「曖昧な心を 解かして繋いだ」って部分が結束点っぽさあってさいこう!

さて「この夜が 続いて欲しかった」と願っているのは二人ともです。
でも、その願いかたはふたりそれぞれです。

「君」は「この夜が 続いて欲しかった」と願っています。それは、来るかわかんないあしたもあさってもいらないから、いま確実な花火の下で、いま確実な主人公と一緒にいられる時間が長くありますように、という願いです。

主人公は「この夜が 続いて欲しかった」と願っています。それは、もう新しいループには入らないで、このターンがずっと続きますように、という願いです。

パッと花火が
夜に咲いた
夜に咲いて
静かに消えた
離さないで
もう少しだけ
もう少しだけ
このままで
Cメロではそんなふたりの思いが、掛け合いのかたちで歌唱されます。
そしてコーラスは「このままで」でユニゾンになります。

でも、それは同床異夢なのです。

だからその直後、曲はこういう流れになります。

あの日見渡した渚を 今も思い出すんだ
砂の上に刻んだ言葉 君の後ろ姿
曲の冒頭とまったくいっしょ。

このとき、わたしの曖昧な仮説は確信に変わりましたね。

時がループしたんだ!

って。



というわけでDAOKO × 米津玄師『打上花火』でした。

わたしはサブカルチャーにぜんぜん詳しくないし、SFとかもよくわかんないんですよね…。

っていうかカルチャーそのものがよくわかんない。知識ない。もっと知りたい。知識でひとを殴りたい……。

ところでこのブログでは米津玄師(ハチ)の曲、以下の4つを取り上げたことがあります。よければこちらも!!
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com

DAOKOさん、存在は知ってたけど曲はちゃんと聴いたことない!! 聴こう!! 知識で殴ろう!!

  *  *  

ところでスピッツ『渚』という曲があります。

この歌詞のタイトル「渚」について、Wikipediaには


歌詞は、(中略)国井喜章が「渚は陸海空のどれでもなく、しかしその全てが関係しているエリア」と語っていたことがヒントとなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9A_(%E6%9B%B2)
とあるんですよね。

打上花火の歌詞の冒頭の「渚」を見て、わたしはこの話を思い出しました。

「渚」は混ぜ合わせるイメージと相性がいい感じですね!(若干知識で殴った感出したかった…)

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