5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

スピッツ『さらさら』

眠れぬ夜のさらさら
こんにちは。
月に2回、J-POPの歌詞を取り上げて妄想を膨らますだけのブログへようこそ。
今回はスピッツ『さらさら』の歌詞を取り上げたいと思います。
サビの歌詞は、こんな感じ。

だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ
見てない時は自由でいい
まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる
悲しみは忘れないまま

ずきゅうぅぅん!ってなりましたよ。なりますよね。「見てない時は自由でいい」って、心にぐっと来ます。
でも、一通り心を打ち抜かれたあとで、今度はなんだか、とても気になってきました。「見てない時は自由でいい」って、ふつう、言う? 言わないよね??
主人公はどうしてこんなことを言うんだろう。どうしてこの言葉はこんなに心を打つのだろう。今回はそんなことを考えてみたいと思います。
[asin:B00BUBZM6K:image]
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND144709/index.html
構成はこちら→AB-サビ-A-Bサビ-C-(間奏)-サビ-サビ

眠れぬ夜

冷静になって、改めてこの歌詞を読んだ私は、『さらさら』の歌詞は現在形ばっかりだなぁ、と気づきました。

素直になりたくて言葉を探
何かあるようで何もなくて
雨の音だけが 部屋をうめていく

1連を引用しました。過去形なら「探した」「うめていった」となるはず。でもこの歌詞ではそうではなく、「探す」「うめていく」という言い切りのかたちになっています。

だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ
見てない時は自由でいい
まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる
悲しみは忘れないまま

サビの部分も同じ感じ。「欲しい」「いい」「信じてる」と、言い切りのかたちだけが続いています。この歌詞は最後に至るまでずっとこんな感じ。この歌詞には過去形がないのです。
それから、この言い切られている動詞や形容詞にも特徴があります。それは、身体性がとても希薄だということです。たとえば1行目に出てくる「言葉を探す」。これは思索の中での行動ですから、身体を動かさなくてもできることです。意識さえ残っていればできること。
「雨の音だけが 部屋をうめていく」も同じ感じ。この行には主人公の描写がいっさい出てきません。私たちはこの1行を見て、締め切った部屋の静謐な感じを受け取るだけです。そこにはやっぱり、身体みたいなものはあんまり感じられません。
そんなわけで、言葉はぜんぶ言い切りの現在形。そして、歌詞の中には身体を感じるようなものはほとんど出てきません。
私はこの歌詞を見て、眠れぬ夜のことを思い出しました。いろんなことを考えてしまって、何度も寝返りを打ってなかなか眠れない夜。この歌詞って、そういう状況なんじゃないかな、と思ったのです。
そうやって考えてみると、

だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ

夢オチじゃないお話 100度目の答えなら 正解 正解

まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる

「眠りにつく」「夢オチ」「朝が来る」。確かに、眠れぬ夜を想起させる部分はけっこうたくさん見つかります。ああやっぱり。いつか主人公の悩みがさらさらと変わるといいのですが。

予感と現実

ところでこの歌詞の2行目はこんな感じでした。

何かあるようで何もなくて

この部分の歌詞は、この歌詞全体のエッセンスだと思います。期待と現実との間にギャップがあるのです。

眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ
結び目はほどけそうでも

最後から2番目のサビを引用しました。「そばにいてほしい」は期待。「結び目はほどけそう」なのは現実だと分類できると思います。ここでも期待と現実との間にギャップが生じています。
結び目」という言葉は人と人との紐帯とか、きずなとか、縁とか、そういうものごとと近いはずです。「結び目がほどけそう」だということは、人とのつながりが断たれてしまいそうなのと同じことです。つながりが断たれてしまいそうなのは分かっているけれど、それでもそばにいて欲しいのだと理解できます。

だから眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ
見てない時は自由でいい

予感と現実とのギャップという構図は、ひとつ目のサビでもやっぱり同じ。「そばにいて欲しい」けれど、「見てない時は自由でいい」のです。
ところで。
「見てない時は自由でいい」なんて、ふつうは言わないことだと思いませんか?
見てない時でもそばにいて欲しい恋人同士なら、「いつでもそばにいてね」みたいな言葉を口にして、確かめ合ったり(強制したり)すると思うのです。見てないときに自由でいいと思っている相手にならわざわざそんなことは言わないのです。相手に、恋愛感情ではなくて過剰な忠誠心とかがある場合なら別かもしれませんが、そういう人間関係ってイレギュラーだし。
「見てない時は自由でいい」という言葉の裏には、主人公が見ていない時でもそばにいて欲しいと思っている気持ちの裏返しだと、私は思います。ほんとうはそばにいて欲しいのでしょう。けれど強いることはできません。でも黙っているのも耐えられません。だから「見てない時は自由でいい」という表現に至るのだと思います。これもきっと、予感と現実とのギャップという流れで捉えられそうです。
違う部分も引用します。

まだ続くと信じてる 朝が来るって信じてる

これを最後の例にしたいと思います。1番のサビでは、主人公は「まだ続くと信じてる」のです。けれど、2番のサビでは、

いつも気にしていたいんだ 永遠なんてないから

「永遠なんてない」とも歌われています。続くことは「信じてる」わけですが、「永遠なんてない」のはばっさりとした言い切りのかたちです。だから、続くという予感と、永遠などないという現実があって、そこにはやっぱりギャップがあります。
いま、私は『さらさら』のこの部分にいちばんぐっと来ます。主人公は永遠などないと分かっています。見てない時にそばにいてくれるかだって分からないし、どうせ結び目はほどけそうなのです。それでも主人公はあきらめていません。「そばにいて欲しい」と口にするし、「まだ続く」と信じるのです。それが、主人公の望みだからです。
主人公は、思い通りにいかない現実をきちんと見据えています。それでもあきらめずに、望みを言葉にしながら、眠れぬ夜を過ごしています。
悩みに絡まって眠れない夜でも、朝になると意外にすっきりしてることもありますよね。主人公は「朝が来るって信じてる」し、私もそう思います。
そして朝が来たら、予感と現実とのギャップは、少し埋まっているんじゃないかな、と思っています。朝というのは、そういうものですもんね。



というわけで、スピッツ『さらさら』でした。スピッツ『チェリー』『ロビンソン』も取り上げたことがありますので、よければそちらもぜひ。
次回は、aiko恋のスーパーボール』をやりたい気持ちがあります。その次にアレをやって、その次にアレをやる予定です(謎)。実は、読み済みの曲はいくつかあって、あとは文章にまとめるだけの状態で寝かせてあるのがいくつかあるんです。ですけど、予定調和だとなんだか退屈ですよね。
だからぜんぜん違うジャンルの曲に挑戦したりしたいです。どんどん新しいことを試してみたいなぁ。
https://itunes.apple.com/jp/album/sarasara/id631985840?i=631986004&uo=4&at=10lrtS
↑クリックすると2番のAメロ以降も聴けます。どうして伸びるんだろ…?
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