新しい日々を紡ぐための決心のうた
こんにちは。お住いの地域では地震はいかがでしたか? 一時はテレビもみんな地震のニュースでいっぱいでしたが、少しずつ落ち着いてきたみたい。今回はサンボマスターを取り上げてみたいと思います。『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』。2005年の曲です。
新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ
僕等なぜか確かめ合う 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ
というサビのフレーズ、どうしても地震と関連づけて考えてしまいたくなるのです。新しい日々っていうのは、地震から立ち直って、復興する日々なのかな、って。もしそうだとしたら、残りの部分は? 今日はこの歌詞を、応援歌として読んでみたいと思います。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/song/26682/
→http://blog.livedoor.jp/toyer/archives/50725588.html
今回はセリフの部分も重要だと思うので、基本こちらのブログを参考にしています。
構成はこちら→A-B-サビ-サビ-A-B-サビ-サビ-C-サビ-サビ-'サビ-アウトロ
んだぜvsのさ
この曲の文末はすごく特徴的です。1番の文末を順に拾っていくと、「〜のさ」「〜んだ」「〜だ」「〜なのさ」「〜んだぜ」「〜だとは」「(なし)」「〜んだ」ってな具合。終助詞が中心ですが、そうでないものもありますね。こんなにたくさんの文末のバリエーションがひとつの歌詞の中に共存しているなんて、ちょっと見たことない気がします。
試しに、前回 取り上げたmiwa『春になったら』と比べてみましょう。『春になったら』なら「(なし)」「(なし)」「〜ちゃう」「〜よ」「〜の?」「〜の?」「〜かな」「(なし)」「〜よ」「(なし)」「〜て」っていう感じ。せっかくだから学問っぽく統計的に処理してみます♪
曲名 | 文末の数 | 文末の バリエーション数 |
文末に付属する 言葉がない数 |
文末に付属する 言葉がない率 |
---|---|---|---|---|
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ | 32 | 11 | 3 | 9.4% |
春になったら | 27 | 9 | 8 | 29.6% |
このふたつの歌詞の大きな違いは赤い印をつけたところです。つまり『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』のほうは、語尾に何かしらの飾りが付いてる率がすごく高いってことが言えそう。
終助詞について調べてみると、
終助詞は、文のいちばん終わりについて、その文を言うときの話し手の、その文を受け取る相手に対する「働きかけの気持ち」を示す助詞です。聞き手に対して同意を求めたり、確認をしたり、強く主張したりします。
(http://www.geocities.jp/niwasaburoo/19shuujosi.html)
終助詞にはそれぞれ意味があります。そしてここで使われているたくさんの終助詞、それぞれちゃんとしたポリシーを持って選ばれているみたい。たとえばね、
僕等なぜか確かめ合う 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ
っていうヒトコトを取り上げてみましょう。曲のタイトルにも通じるキラーフレーズです。
ふつう、「愛」なんていう言葉は「幸福」とかと同じで抽象的すぎて私たち身近にはあまり感じることができません。愛って具体的になに? 問いつめられたら私だって口ごもってしまいます。
でも、歌い手は「 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ」なんて言い放ってくれます。「僕等」のこの行為そのものが世界じゃ愛なんだ、と伝えてくれるなんて、気持ちがすっとなる潔さ。
そして、ここに終助詞の「ぜ」が付いています。
「ぜ」っていう終助詞に関して、さっきのURLには「相手の反応を見ているところがあります」なんて書かれています。愛についての宣言に、相手の反応を見るような相反する終助詞が付いています。宣言してしまったのなら、そこに相手の反応など付け入る余地は本来ないはずなのです。それなのに「んだぜ」が突きつけられるのだから、私たちはサンボマスターから聞いたばかりの「愛」の定義を前にして「お前はどうだ」と判断を迫られるのです。
裏を返せば、この「んだぜ」の裏で、歌い手のほんのちょっとの不安な感じが見えるともいえます。せっかく定義した言葉を見せつけながら、聞き手の反応を見ているんだから。そういう相互作用が、他の曲には全然ないような緊張感をこの曲にもたらしています。だから私たちはこれを聴いて、じゃあ自分はどうなんだろう?って考えさせられてしまうんですよね。そういう効果が「んだぜ」には入っていると思います。
では、その1行前を見てみましょう。
新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ
このフレーズは、サビの1行めに当たる部分です。ここには文末に「なのさ」という装飾が付いています。さっきの「んだぜ」に比べたら押しが弱くて、オザケンみたいなさらっとした感じがあふれています。
さっき引用したURLには、終助詞の「さ」について「かなりそっけない言い方です。」と書いてあります。確かに「んだぜ」に比べたら「なのさ」なんて軽い感じ。でもこの行、大事なのは「君と僕なのさ」の部分じゃないんですよね。よく見てみると、
新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ
(強調はhacosato)
というように、「新しい」を重ねているところに表現の主があるような気がします。つまり、日々が新しいなら君と僕も新しいよ、ということを伝えたい行な気がして。そうだとしたら「んだぜ」があったら文末が主張しすぎてバランスが崩れてしまいそうになりますね。だからこの終助詞を選んだのかも。
こんな風に、この歌詞の文末にはたくさんの修飾があって、そのひとつひとつがちゃんとポリシーを持って選んであるみたいなのです。そういうところに気づくたび、私はぞわぞわってしました。この曲、よくできてる!!
今までの過去vs新しい日々
昨日のあなたが偽だと言うなら
昨日の景色を捨てちまうだけだ
新しい日々をつなぐのは 新しい君と僕なのさ
僕等なぜか確かめ合う 世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ
心の声をつなぐのが これ程怖いモノだとは
君と僕が声を合わす
今までの過去なんてなかったかのように歌いだすんだ
1番のBメロからサビにかけてを引用しました。ここに出てくるのは、過去からの訣別と、新しい日々への展望です。過去と現在の対比が、この中にはあります。
この曲に出てくるほかの要素も、いくつか過去と現在に分類できるものがあります。
例えば、「新しい日々」も「心の声」も、両方とも「つなぐ」という動詞とコロケーションしています。そして、「心の声」という言葉は、その連の最後にある「歌い出す」とシンクロする言葉です。だとすれば、歌は現在と結びつきの強い語です。新しい日々は歌とともにあるんでしょう。
それに「新しい日々」を確かめ合うことを「愛」と呼ぶのなら、愛はきっと現在とともにあるでしょう。
なら、過去はどう言う言葉とつながりを持っているでしょう。2番のAメロには
悲しい言葉では オーイェ
何も変わらないんだぜ
っていう部分があります(ここの「んだぜ」も私たちに向かってやってくる迫力がありますね)。この「変わらない」に注目しましょう。この連のサビには、
新しい日々を変えるのは いじらしい程の愛なのさ
って書いてあります。「変える」が現在と結びつくなら、もちろん「変わらない」は過去と結びつくはず。なら、「悲しい」というキーワードが過去と結びついているはずです。
こんなふうに単純なゲームみたいな推理で、いくつかの言葉が過去と現在に分類できそうです。
表にまとめるとこんな感じでした。抜けがあるかな?
過去 | 現在 |
---|---|
今までの過去 | 新しい日々 |
涙 | 灯り |
偽 裏切り |
心の声をつなぐ 声を合わす 歌 |
悲しみ | 愛と平和 |
悲しみの夜 | 高なる予感 夢 |
まとめてみるとすっっごくはっきりしていますね。前向きな言葉だけが現在と結びついているっていうことに。これはもちろん、そういう言葉を歌い手が選んでいるのでしょう。偶然そうなってしまっているのではないのです。それは、これが、未来への希望の歌だからです。
そして、もうひとつ大事なのは、この現在に結びつく言葉に、“それ自身に価値のあるもの”がほとんどないということです。ここに出てくる「高なる予感」や「夢」は気持ちを前向きにしてくれるものでしょう。でも、大事なのは予感や夢の中身であって、予感や夢そのものではありません。「歌」は気持ちを鼓舞してくれるものでしょう。でも、目指しているものはきっと歌そのものではありません。
こうやって考えてみると、中身のつまった幸せは、実はこの歌詞にはありません。なぜ? それはよくわかりません。でもそれって、今やがれきの山になってしまっているような、地震の被災地なんかと同じようなイメージを私に想起させます。頼れるものがなにもないからこそ、明日への明るい予感そのものを高らかに掲げたくなるのかな、そんな風に私は感じました。
1番vs2番
2番にも1番と同じようなサビがあります。でも、歌詞の内容はちょっとずつ違っています。最後のサビから終わりまで引用してみましょう。
あなたのために歌うのが これ程怖いモノだとは
だけど僕等確かめ合う
今までの過去なんてなかったかのように
悲しみの夜なんてなかったかのように歌いだすんだぜ
世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜ
LOVE & PEACE!
だいたい同じ。でもちょっと違います。
たとえば「僕等確かめ合う」のところについているコトバが、「なぜか」から「だけど」に変わっていますね。意味がふわふわしていたのに、はっきりとした逆説に変化しました。
今までは「確かめ合う」ところにはっきりした意味を持てずにいました。なんとなく確かめ合っていたんでしょうね。それがいつしか前後の文脈を押さえて、その中にしっくりとした居場所を見つけています。この曲の中では、「確かめ合う」ことが「愛」と深いつながりを持っています。そしてもちろん「愛」はタイトルにも出てくるぐらい重要な言葉。その言葉が、最初はなんとなく歌詞の中で居場所を持てないままでした。それが最後には、怖さの裏側という場所にきちんとした場所を設けることができています。
もうちょっと踏み込みましょう。「愛」は現在の言葉です。歌詞の最初の部分では、その現在を「なぜか」という不安定な言葉でしかつなぎ止めることができずにいました。でも、歌詞の最後ならちゃんと「だけど」というしっかりした言葉でつなぎ止めることができています。逆説のあとには大事なことが書いてあるってボク習ったもん! そんな特等席に、ちゃんと「確かめ合う」を据えることができるようになっています。つまり、現在をもっとしっかり捉えることができるようになったってことなんだと思うのです。
それに、
今までの過去なんてなかったかのように
悲しみの夜なんてなかったかのように歌いだすんだぜ
ここも違いますね。1行だけだったのが、2行めまで加わって、歌いだす前の「なかったかのよう」なことが詳細になりました。
ところで、AKB48『10年桜』のときにも取り上げましたが、否定文って、文章の意味の内容を一度 飲み込んで、飲み込み終わってからそれをひっくり返さないといけません。
例えば、校庭に象がいないシチュエーションを指して、
「校庭に象がいない」
と言うことはできます。でもそんな発言をしたら、
「えっ、校庭に象がいたの?」
とかってぜったいに聞かれるに決まっています。否定文って、否定する内容を文に内包しないといけないからです。
さっき引用した部分を見れば「今までの過去」が「悲しみの夜」だったことがわかりますね。そして、歌い手はそれを否定しています。何度も否定しています。こうして何度も出てくればそれだけ、その否定したかった内容が私たちの頭にも立ち上ってくるのです。今までの、悲しみの夜のことを、忘れたいけれど忘れられない記憶として。
でも歌い手には、それを文字通り過去のものにするだけの決心と気概があります。だから「新しい君と僕」になって、「新しい日々をつなぐ」なんて高らかに歌うことができるのです。
「LOVE & PEACE」なんて、ベタなコトバです。でもそういえば、英語の「and」には、当然の帰結、っていう意味があったんでした。愛があれば平和も来る、そんな意味にとってもいいのかも。
あ、さっき私は、中身のつまった幸せはこの歌詞にない、なんて言っちゃった。嘘ついた。本当はこの「PEACE」こそ、この歌詞が最終的に目指しているものなのかもしれないですね。
被災地にも、そうでない場所にも、眠れる人にも、無事な人にも、早くちゃんと「PEACE」が訪れるといいですね。
つながリンク
前回はmiwa『春になったら』を取り上げました。共通点は、「忘れる」。
miwa『春になったら』には、
春になったら あんな約束なんて
きっと君は忘れてるよね このまま離れちゃうのかな
っていう部分に「忘れる」があります。この曲は「私」のほうは覚えているのに「君」のほうは忘れちゃってるだろうなぁって考えているシーン。あー恋愛とかだとありがちですよね。で、自分って重すぎるのかなとか考え込んで自己嫌悪…。
ま、そんなわけで、歌い手(女の子ですね)が覚えてるのに「君」はきっと忘れちゃってる場面が描かれています。
一方、サンボマスター『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』においては、
昨日のアナタが裏切りの人なら
昨日の景色を忘れちまうだけだ
という部分に「忘れる」が出てきます。基本的には過去と訣別して現在を噛みしめて未来へ向かう歌詞のはず。この「忘れる」は過去との訣別の意味があるのでしょう。
ところで、『春になったら』は、女子のほうは覚えてて、男子は忘れてるんでしょ?って歌詞でした。『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』は男子が歌い手で、忘れる側にいます。
もしかして、女子は覚えてて、男子は忘れる、っていう傾向があるんじゃ…?
そう思って、古い記事も引っ張りだしてみました。
AKB48『10年桜』には、
一緒に行けないけど
そんなに泣かないで
僕は忘れない
っていう部分があります。歌い手は女子で、忘れないほう。
ZONE『secret base〜君がくれたもの〜』には、
君と夏の終わり 将来の夢
大きな希望 忘れない
っていう部分があります。歌い手は女子で、忘れないほう。
YUKI『COSMIC BOX』には、
あなたと話した全て 忘れないでいるのに……!!
っていう部分があります。歌い手は女子で、忘れないほう。
GReeeeN『キセキ』には、
うまく行かない日だって 2人で居れば晴れだって!
強がりや寂しさも 忘れられるから
っていう部分があります。歌い手は男子で、忘れるほう。
カミナリグモ『ローカル線』には、
僕はずっと 夢を見てる 瞬きも忘れて
っていう部分があります。歌い手は男子で、忘れるほう。
…なんて、偶然かなぁ? でもそれにしてちょっと、できすぎですよね??
ところで、はじさんがこの曲をブログで紹介しています。歌詞を読むことに関して、はじさんほどの慧眼を持っていらっしゃる方は私はほかにほとんど存じ上げません。ブログが止まっているのはすごく残念ですが、それでも現存する記事を楽しむことはできます。『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』の「それ」ってどういうことさ?ってことについて、私だったらこんなおもしろい読み、ぜったいに思いつかないや(!)
https://itunes.apple.com/jp/album/shi-jiehasorewo-aito-hubundaze/id573307641?i=573307648&uo=4&at=10lrtS