どれだけ過去が辛くて暗くても 昨日よりも不安な明日が増えてもこの歌詞について「ロッキン・ライフ」ではこういう風に言及されています。
悩んだり泣いたりする今日も 進め君らしく 心踊る方
青春パンクロックの興隆なんかをリアルタイムでみてきた筆者にとっては、見慣れた歌詞に見えてしまう。
sinario19.comhttp://sinario19.com/%E3%80%8E/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/wanima%E3%80%8C%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AB%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%AD%8C%E8%A9%9E%E3%80%82%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E7%88%86%E7%99%BA%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%B0%97%E3%82%92%E8%AA%87%E3%82%8A%E3%80%81/%E3%80%8F
わたしはめっちゃ思いました。
ウソだろ!?!?
わたしも青春パンクロックに精通すれば見慣れた気持ちになれるの!?!?
わたしにはとうていこういう風には思えないのでした。だってこの歌詞、めっちゃ暗いない!?!?
きょうはこの「ロッキン・ライフ」の記事を受けて、そういう文章を書いてみました。
要約すると予想より暗い歌みたいな感じがする…っていうのがきょうのお話です。
WANIMA『ともに』歌詞(歌ネットへリンク)
青春パンクロックは軽くて明るいもの?
おさらいすると「ロッキンライフ」というサイトでは、この曲の歌詞についてこのように言及されていたのでした。
青春パンクロックの興隆なんかをリアルタイムでみてきた筆者にとっては、見慣れた歌詞に見えてしまう。
sinario19.comhttp://sinario19.com/%E3%80%8E/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0/wanima%E3%80%8C%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AB%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%AD%8C%E8%A9%9E%E3%80%82%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E7%88%86%E7%99%BA%E7%9A%84%E4%BA%BA%E6%B0%97%E3%82%92%E8%AA%87%E3%82%8A%E3%80%81/%E3%80%8F
わたしは思いました。
ほ、ほんとに…????
たとえばこの歌詞、1番の形容詞(イ形容詞とナ形容詞)だけ抜き出してみるとこうなります。
- 辛い
- 暗い
- 不安だ
- らしい
- 千切れそうだ
- 平気だ
- 何気ない
- そうだ
という感じ。ぜんぜん明るさがないじゃん!
思ってたのとちがーう! 青春パンクロックってもっと明るいんじゃないの!?
という切り取り方は少し意地悪が過ぎるかもしれないですが、それにしたってそんなに普通の歌詞じゃないと思うのです、これ。
だってさ。続きをしばらく見てほしいんです。
別れ道に立つ ともに唄う表面的には、この曲は人生の岐路に立つ友人に向けたはなむけの言葉のように見えます。
重ねた日々は変わらず残る
千切れそうな今縫い合わせ「今」が「千切れそう」だと歌われるのに、過去の「日々」は「重ねた」という風に歌われます。
思い出したあの頃
今 | 千切れそう |
日々 | 重ねた |
だから、いままではずっと一緒にいたのに、いま別れに対峙していることがわかります。
出逢えてよかった ありがとうというわけで、そんな「君」に向けての餞別の言葉が曲の山場に登場します。
この想いよ 届け
なあんだ、やっぱりよくある青春パンクロックじゃん。
って思います?
それ、違うと思うんです。
問題のシーンは曲の最後に
だってこの曲、最後のところが圧倒的におかしいのです。
生きて耐えて時に壊れ泣いて迷う影に笑顔咲き誇るここまで歌詞を追ってきたわたしたちは、突然えっえっ?ってなります。
生きていれば…命さえあれば…
「生きていれば…命さえあれば…」っていうのは、反実仮想で、実際には生きてなかったし、命はなかった、って読むのが自然です。
もしかして、だれかが命を落としでもしたのかな?
っていう疑問が、突然ここで姿を現すからです。
前に前に前に上に上に 冗談じゃない まだ諦めてないこういう2行を残してこの曲は終わります。
全て追い越して 何もかも置き去りに 思い描いたその先へ…
青春パンクロックだったら、夢に向かってあきらめずに歩みを進める、っていう風にも読むことができます。
でも、さっきの疑問が現れてしまったいま、このシーンをそんなにのんきに読むことはわたしにはもうできません。
そうすると、さっき読み飛ばした1番とかのディテールが急に別の色になって姿を現します。
別れ道に立つ ともに唄う「別れ道」とは何でしょうか?
重ねた日々は変わらず残る
「分かれ道」って表記する方が多いよね?
ほらやっぱり! 「別れ道」より「分かれ道」のほうが断然多い!
ちなみにBCCWJだと、
表記 | ヒット数 |
---|---|
分かれ道 | 61 |
別れ道 | 7 |
という風に結果が分かれています。
やはり「別れ道」っていう表記には単純ではない意図を感じます。
別離とか。
あたりまえのいつもの笑顔別れてしまった相手は、「あたりまえのいつもの笑顔」で「平気なフリ」をしていたのでしょう。
平気なフリに何度 騙された?
たとえば大きな病気を隠していたとか、あるいは大きな悩みを隠していたとか、そういう風にも読めてきます。読めてきますよね。
出逢えてよかった ありがとう「届け」って発言したくなるのは、届きそうにないときだけです。
この想いよ 届け
涙こらえ笑って生きてる 崩れそうになりながら毎日びびってる涙こらえたり、崩れそうになったりしているのは、単に夢への道程が険しいからではないでしょう。
疲れ果てるまで繰り返す きっと ずっと
ここには、死別をほのめかすぐらいの大きな悲しみが潜んでいるように見えてきます。
生きて耐えて時に壊れ泣いて迷う影に笑顔咲き誇る
生きていれば…命さえあれば…
前に前に前に上に上に 冗談じゃない まだ諦めてない
全て追い越して 何もかも置き去りに 思い描いたその先へ…
途中までは確かに、この曲は軽やかなテーマを描いた歌詞のようにも読めます。
夢を追い求めて別々の道を選んだふたりの光景を描いたようにも見えてきます。
でも。
よく見てみると、この別れはただの別れではなく、もしかすると死別かもしれないような、もっと決定的な境界線を引くような重大イベントに見えてきます。
この曲は、最後のどんでん返しで世界の色が変わるようにできているのだと思います。
そして最初から改めて見返してみたくなってしまうのはまるでよくできた小説のようです。
だからわたしは、この曲が「特筆することは特にない」とはとうてい思えないのでした
(それともわたしが気づけていないだけで、これぐらいのどんでん返しは青春パンクロックではふつうのことなのかな?)。
というわけで、WANIMA『ともに』でした。
わたしはわりと死別読みをするのが好きなので、ついついそうしてしまうんですが、今回はわたしの性癖ではなくて、ほんとうに死別を意図して書かれた歌詞みたいに思っていますよ!
っていうかこの曲に限らず、WANIMAの曲は死別のにおいがする歌詞がすごく多いような印象を持っているんですが、WANIMAを聴いてる人はそういう風に受け取っているのかな?
邦ロッククラスタの人に今度聞いてみよっと♪
次回は乃木坂46『サヨナラの意味』の歌詞についての文章を書きます。
このお正月休みに一番たくさん聴いた曲かなー。
今年もよろしくお願いします!!
http://www.uta-net.com/song/218128/