5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

“私立セカオワ学園”にて - SEKAI NO OWARI『Dragon Night』

ドラゲナイ!!

SEKAI NO OWARI『Dragon Night』歌詞(歌ネットへリンク)

今日はSEKAI NO OWARI『Dragon Night』を取り上げます。

今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる
Aメロはこういう感じ。戦いを一時的に休んで祝杯をあげるシーンからこの曲は始まります。
この戦いとはどんなものなのでしょうか。
私は、この「戦い」、中東での戦争とかではないと思います。端から見るともっと小規模で、もっとくだらなくて、でも本人にとっては同じぐらいに真剣な争いです。
今回はSEKAI NO OWARI『Dragon Night』を読みながら、そんな読み方を考えます。

“私立セカオワ学園”にて

私はこの「戦い」、高校の学科間でのいさかいなのだと思いました。
その学校には、体育科、特別進学科、普通科の3つの科があるとします。それぞれ、特徴があります。

  • 体育科には、自負があります。部活で成果を上げてこの学校を全国に知らしめるという目標があり、実際にそれを達成しています。
  • 特別進学科にも、プライドがあります。学校で一番の手厚い指導を受けて名門大学に進学するこ-が、自身の目標でもあり、学校が目指すところでもあります。
  • 普通科はそれを面白く思っていません。そこにあるのは、嫉妬とやっかみです。先生たちは体育科や特別進学科の生徒ばかりをひいきしているようです。優勝劣敗が世のことわりですが、とはいえもっと対等でいたい、という気持ちを持っています。

そんな設定で、歌詞を見てみます。

今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる
全日制の学校は、ふつうは昼間に授業があります。学校の友だちと夜に顔を合わせることは基本的にはありません。
歌詞には「夜が訪れる日」とありますが、ふだんだったら学校生活の中で夜のシーンは描かれません。
でも夜もたまにはあります。それはたとえば、キャンプファイヤーです。
こういうときには、ふだん起こらないことが起こります。
この曲では、ふだんいがみ合っているはずの学科同士で、休戦の協定が結ばれます。
キャンプファイヤーは、たいてい大きな火を中心に全員が輪になる隊形になります。この隊形には大きな特徴があります。それは、全員が対等だということです。
ふつう、クラスがクラスごとに並ぶとすれば1組から順番です。そこに優劣の関係がなかったとしても、そこには線形的な関係が生じます。2組は必ず1組の次だし、そのあとも3、4、と順に続きます。
キャンプファイヤーは違います。全員が火から同じ距離に立つとき、そこには順序も中心もありません。丸い形は、対等であることの証です。車連判と同じです。

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ
だから主人公は、ふだんは気づかなかった自分と「彼」との間の対象な関係に気づきます。
主人公は普通科です。そして「彼」は体育科か、特別進学科のどちらかです。どちらにしても「彼」は優遇される立場です。主人公は「彼」の鼻持ちならない感じがいやだと思っていますが、学力にしろ、スポーツにしろ、実力を勝ち取ったのは彼自身の努力の成果でもあります。報われるのは当然です。
主人公は火を囲みながら、そんなことを考えたのでしょう。

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ
「ドラゴンナイト」とは、そんな夜のことです。日常生活で見ないような大きな火柱は、もしかしたらドラゴンのように見えたのかもしれません。
「僕たちは友達のように歌うだろう」という部分はすごくイイ感じです。「僕たちは友達になって歌った」とかではないからです。
「友達“のように”」ということは、つまりは友達ではない、ということです。ひとつの炎のもとで他のクラスの人といくらお近づきになっても、友達になったわけではない、という姿勢を、主人公は崩さないのです。

異口同音の夜

2番に進んでも、歌詞は基本的に同じことを歌います。図鑑型の歌詞みたい。

今宵は百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦の証の炎をともす
「太陽が夜に遊びに訪れる日」とは、太陽のように強い光が夜に現れるということです。
1連のときにはあまり深く考えなかった「休戦」という言葉も、だんだん強い意味をもって見えてきます。「停戦」でも「終戦」でもなく、「休戦」なのです。戦いが終わるわけではありません。

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション
今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ
この「コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション」の部分は、たぶんみんなが口々に「コングラッチュレイション」って言ったことを示しているんだと思いました。
違うバックグラウンドの人たちが同じことを話しているわけで、文字通りの異口同音です。

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ
そうして「ドラゴンナイト」は続きます。
他のクラスの人たち、腹の底でどう思っているのかはわかりません。でもいまは、こうしてやってきた束の間の休戦に踊るしかありません。
何度も繰り返される「友達のように」というフレーズ、大事なのは「友達」の部分ではありません。
「のように」の部分です。
主人公は、このお祭り気分が一時的なものだとわかっています。でも、わかっていて、それに騙されるのです。踊らされるのです。
そうすることしか、いまはできないからです。



というわけで、SEKAI NO OWARI『Dragon Night』でした。
今回は妄想ドリブンで記事書きました。
以前からですが、私は歌詞を書いた人と歌詞そのものを切り離して考えています。作詞されたFukaseさんには私と違うお考えがあると思いますが、それとこれとは別物というスタンスでいます。

ところでこの曲のコード進行は、なったカノン進行です。

こちらで田沢さんがおっしゃっているように「カノン進行を使った曲が、そのミュージシャンの代表曲になりやすい」感じ、私も同感です。ドラゲナイがカノン進行だなんて、SEKAI NO OWARI、策士だな!って思ってます。たのしい。

SEKAI NO OWARIは以前にもふたつ記事を書きました。よろしければあわせてお楽しみください。


どちらも楽しく読めた☆

Dragon Night

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次回は、米津玄師『Flowerwall』を読みたいです。

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