5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

これは恋愛なんかじゃ効かない - あいみょん『君はロックを聴かない』

あいみょん『君はロックを聴かない』って、男子と女子のラブソングなのだと思いますか?

わたしこれぜったいちがうと思うんです…。

あいみょん『君はロックを聴かない』歌詞

コラムを読んだよ。

小貫信昭さんの歌ネットの連載「名曲! 言葉の魔法」を読んでいました。

ちょうどこの曲の歌詞について取り上げた回です。いえーい見てる〜? いつも楽しく読んでるよ〜!!

さて、「ロックなんか」というサビの言い回しに関連して、こういう話が出てきます。

それでも気になる女の子には、ぜひ聴かせたいと決めたからこそ、“ロックなんか”という、へりくだった表現が選ばれたのかもしれない。男の子自身は、決して“なんか”とは思ってない。ロックという音楽を“命”のように大切にしてる。この場合、好きなレコードを女の子に聴いてもらうという行為は、言葉で「好きだ」という以上の精神的に重たい意味を持っている。

確かに!って思いながら読んでいました。

自分の好きな音楽を開陳することは自分の大切な一部を見せることで、それが当人にとってとても重要なこと、っていうのはとてもよくわかります。

大森靖子『みっくしゅじゅーちゅ』にそういう描写が出てきて、わたしはこの夏にはっとしたんでした。これからもはっとしていたい。

それと同じことが『君はロックを聴かない』にも起きていて、そこには「「好きだ」と告白する以上の意味」があるのはとてもよく理解できます。

だけど。

このコラムの中の、この歌詞の状況設定についてはわたしちょっと疑問です!

「君はロックを聴かない」は、男の子が女の子にドーナツ盤(レコードのシングル盤のこと)でお気に入りのロックを聴かせてあげる歌だ。そしたら彼女が立ち上がり、一緒に踊った、とか、そのあと二人で冬の浜辺を歩いた、とか、そういう展開は一切ない。聴かせただけといえば、まさにそれだけの歌である。

まって、それにしては符合しないところが多くないですか?

サビの前半を見てみます。

君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて

「僕に近づいてほしくて」のところ、恋愛前の関係にしてはちょっと主人公、尊大すぎませんでしょうか…?

いや相手に近づかせようとだけするなよ? 歩み寄っていこうぜ??

続く後半もちょっと変な感じ。

ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた

主人公が男子で、いま思いを寄せている女の子にドーナツ盤を聴かせているとして、「僕はこんな歌であんな歌で/恋を乗り越えてきた」なんて言わなくない?

なんかいい感じの男子と女子がいたときに、女子がアルバムを持ち出してきて、自分の過去のことを授業する、みたいなやつならあるあるだと思うんです。

身に覚えがあるぞ!!

けど、男子は自分の過去のことを女子に授業したりしなくないですか?

ましてや気になっている女子に向けて、自分が過去の失恋をどう乗り越えてきたのかとか言う? 男子はいつももっとカッコつけてるでしょ??

この歌詞の描写をもっと上手に拾える状況設定は、あると思います。

わたしの答えは親子、です。

歌詞を読んだよ。

この曲の主人公は父親で、そしてこの曲の「君」はその息子とします。

そうすると、もっとたくさんのことが符合します。

少し寂しそうな君に
こんな歌を聴かせよう
手を叩く合図
雑なサプライズ
僕なりの精一杯

父親は、息子の何らかの異変を察知して「精一杯」の「サプライズ」を企画します。

何らかの異変とは、失恋とか、そういうやつです。

埃まみれ ドーナツ盤には
あの日の夢が踊る
真面目に針を落とす
息を止めすぎたぜ
さあ腰を下ろしてよ

「あの日の夢」とはもちろん父親の青春時代のことです。

この歌詞が男女の恋愛を描いたものだったとしたら、この「あの日」をうまく設定に落とし込むのは難しいと思います。

フツフツと鳴り出す青春の音
乾いたメロディで踊ろうよ

新幹線に乗っている人がそれを認識できないように、青春のただ中にいる人が「青春」という言葉を使うのはとても難しいことです。

ここに「青春」が出てくるのは、青春を過ぎた人がこの歌詞の中にいるからです。

君はロックなんか聴かないと思いながら
少しでも僕に近づいてほしくて
ロックなんか聴かないと思うけれども
僕はこんな歌であんな歌で
恋を乗り越えてきた

父親は傷心の息子の背中を押したいと思いながら、音楽を聴かせる、という不器用な方法でしかそれができません。

でも不器用だからこそ、このエピソードは歌詞になります。

音楽を聴かせることは、不器用だけど効果があります。

なぜなら、好きな音楽を聴いてもらうことは、自分の一部を見せるような、そういう大事な意味があるからです。

そうした不器用さと初めてが、一体になったエピソードがここには描かれています。

そんなところが、この歌詞のオリジナリティの源泉になっていると、わたしは思っています。

そういうふうに捉えると、この歌詞のより多くの部分が登場人物のキャラクターの一部になって動き出していくように思います。

これはアブダクションの効果です。

これからも、じょうずにアブダクションしていきたいな〜✨


次回はPerfumeチョコレイト・ディスコ』の歌詞のことを考えます! もうすぐバレンタインだ!