5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

真心ブラザーズ『サマーヌード』

大人と子どもを行ったり来たり
こんにちは。前回まではちょっとはしゃぎすぎましたので、今回からは大人の歌詞考察ブログに戻りたいと思います。異論は認めません☆
さて今日は予定を変更しまして、真心ブラザーズサマーヌード』を取り上げたいと思います。
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僕ら今 はしゃぎすぎてる 夏の子供さ
胸と胸 からまる指
ウソだろ 誰か思い出すなんてさ

サビの歌詞はこんな感じ。
1行目で「夏の子供」になってるふたりなのに、2行目は「胸と胸 からまる指」なんて、急にアダルトな雰囲気が出ています。
この歌詞は、そんな子供っぽさと大人っぽさがないまぜになっています。そのバランス感や、ゆらぎを、いっしょに味わっていこうと思います。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2283/index.html
構成はこちら→A-B-サビ-A-B-サビ-サビ-サビ-サビ

Tシャツについて

最初に、この曲が描いているシチュエーションをおさらいしてみたいと思います。

何か企んでる顔
最後の花火が消えた瞬間
浜には二人だけだからって
波打ち際に走る
Tシャツのままで泳ぎ出す

というわけで、1連を引用しました。浜にはふたりだけがいて「Tシャツのままで泳ぎ出す」ところが描かれています。
私は、このふたりは先のことなんてちゃんと考えないで、一瞬一瞬をふざけて、はしゃぎきっているのだと思いました。いまから、その理由になる部分を考えてみたいと思います。
そもそも、このふたりってどんな関係なのでしょう。花火なのにTシャツで会うぐらいだから、ラフな気持ちで会える間柄のはず。けれど、この歌詞の中では、ふたりの関係はずいぶんと濃密です。ラフなつもりだったみたいなのに。
それからこのふたりは、Tシャツのまま海に入ったりしています。ふつう、海に入るときには水着を着たりするはずです。きっとふたりは、そもそも海に来るつもりだってなかったのです。
先々のことなんて考えなくて、ふたりの行動のドライブになっているのは、はしゃいでふざけた気持ちです。歌詞を見てみると、

何か企んでる顔

止まらない冗談を諭すよに

と、そんなふざけているイメージが現れている部分がいくつか見つかります。ふたりを動かしているのは、そんな冗談な気持ちです。
さて、海に入ったらTシャツは濡れてしまうはずです。この歌詞には、Tシャツがもう一度出てきます。

走る車の窓に広げはためくTシャツよ

2番のBメロです。これを見て、私は思いました。濡れたTシャツを乾かしているんだ、って。
ふたりは行き当たりばったりです。着替えなんてありません。Tシャツを乾かしたら、もうほかに着るものがないんだと思います。

そうさ僕ら今 はしゃぎすぎてる 夏の子供さ
胸と胸 からまる指
ごらんよ この白い朝

最後から2番目の連を引用しました。「白い朝」って…。
ふたりはそのまま、朝を迎えたんだと思います。朝を迎えたというのは、つまり、まあ、そういうことですよ!

冗談について

何か企んでる顔
最後の花火が消えた瞬間
浜には二人だけだからって
波打ち際に走る
Tシャツのままで泳ぎ出す

もう一度1連を引用しました。「何か企んでる顔」っていう部分から、私はふたりの共犯関係を妄想しました。ふたりは、ふざけ合うことをお互いになすり付け合っていると思うのです。
「海いこっか?」「いっちゃう?」「いつ行くの?」「いまでしょ!」みたいな(古)。
そういう会話を通じて、一瞬先の行動も、ひとりで責任を負わないように気をつけているみたいに感じるのです。「僕」も「君」も、自分で判断しないための隠れ蓑として、ふざけた冗談を使っているみたいに見えるのです。
てかそもそもタイトルがおかしいです。『サマーヌード』。「nude」という単語は、私のMacに入っている英和辞書によると、


裸の; 裸体の(naked) (!主に芸術の対象として裸になっていることを意味する; →bare1) ; むき出しの
とあります。サマーヌード』は「芸術の対象」なんかじゃないくせに! ただ脱いでるだけだろ!!
さて。

僕ら今 はしゃぎすぎてる 夏の子供さ
胸と胸 からまる指
ウソだろ 誰か思い出すなんてさ

サビを引用しました。「僕ら今 はしゃぎすぎてる 夏の子供さ」の部分は、その冗談っぽさが端的に表れている部分です。そしてその冗談の限界が見えている部分でもあります。
はしゃぎすぎてる状態を「はしゃぎすぎてる」と描写できるのは、外側にクールな自分がいて、はしゃいでる自分を観察しているからです。クールな自分は大人です。「僕」も「君」もはしゃいでるだけで、演じているだけで、本心はそう単純でないのも知っています。その大人な部分は「ウソだろ 誰か思い出すなんてさ」とかって部分で、ときどきちらりと姿を見せます。

今はただ 僕ら二人で通りすぎる
その全てを見届けよう
心のすれ違う 瞬間さえも包むように

最後の連を引用しました。ふたりは、幼なじみかなにかなのだと私は思っています。地元の花火大会があって、それに会わせて帰省した折、いろいろな冗談と成り行きが重なって、ふたりは誰もいない海辺へやってきたのでしょう。でも、帰省は帰省です。帰る日はすぐにやってきます。「その全てを見届けよう」という部分に、それが現れている気がします。「見届ける」という言葉に、遠ざかっていく距離を立ち止まったまま見ている主人公の様子が透けて見えます。
ふたりは、お互いに大人です。だから心がすれ違っていることも知っています。「君」は主人公の前で過去の恋愛を隠そうとできるぐらいに大人だし、主人公はそれを見抜けるぐらいに大人だし、さらに「君」は見抜かれていることにだってきっと自覚的なのでしょう。
でも、海に来たことも、ふざけ合った楽しさも、あの夜のことも、嘘じゃありません。大人だからってぜんぶが割り切れるわけじゃなくて、あの冗談の中にも楽しさとか本心とかがちゃんと混じっているのを知っています。それが透けて見えるから、この歌詞はとてもいいんだと思います。
はしゃいでいる自分を描き、それに気づいているもうひとつの自分にもきちんと自覚的、そんなところで、この歌詞はほんとうにステキだなぁと思ったのでした。



というわけで、真心ブラザーズサマーヌード』でした。
花火と再会といえば、フジファブリック『若者のすべて』も同じモチーフですね。花火といえば、Whiteberry『夏祭り』も前に読んだことがあります。よければこちらもお楽しみください。
ところで、7月は、ある日突然このブログの訪問数が前日比8倍になったりと、謎のアクセス急増に見舞われた月でした。いまでも事件前の数段上のアクセスは恒常的に記録していて、なにかの間違いなのだと思うのですが、私は元気です。
それから、以前もコメいただいたlionfan2さんから、クイズのお誘いをいただきました。ぜんぜん分からないのですが、がんばって考えたいと思います。
https://itunes.apple.com/jp/album/samanudo/id576309026?i=576309150&uo=4&at=10lrtS
↑クリックすると「ウソだろ〜」のノンダイアトニックコードのとこまでなぜか試聴できます〜。

次回予告:次回はMr.Children『HANABI』を取り上げたい気持ちもありますが、どうしようかな…。