5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

AKB48『10年桜』

-桜のように大きく、桜のように小さく-
こんにちは。桜ソングはわりと好き♪
10年桜
さて、今回 取り上げるのは、AKB4810年桜』です。イントロなんか聴いたことがあると思ったらこれ『仰げば尊し』ですね! それに「羽ばたく時」といい、「再会の誓い」といい、いろんな要素がぜんぶ、この曲は卒業の曲だって教えてくれます。
耳にさらさらと流れるAメロとBメロを経て、

10年後に また会おう
この場所で待ってるよ

というフレーズがいきなりインパクトがあって耳に残るこの曲。『10年桜』というフックのあるタイトルとも相まってすごく印象的です。アップテンポの桜ソングはそんなにないので新鮮な気持ち。このダイアリーに桜ソングが出てくるのはWhiteberry『桜並木道』以来かな? よければそちらもぜひ。
AKB48なんてアーティストじゃないぜ、って悪く言う人は世の中にいますが、少なくともこの曲を読んでみた感じ、タダモノじゃない歌詞だなぁ、って私は思うのです。そしてそんな歌詞の世界をちゃんとカタチにできるグループは、やっぱりアーティストって呼んでもいいんじゃないかな、って気がしています。どうして歌詞がタダモノじゃないと思うのかというと、それはね。
…って話をこれからしていきましょう☆
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=76824
構成はこちら→A-B-サビサビ-A-B-サビ-サビ-C-サビサビ-A-サビ'

桜の長さ、桜の短さ

この歌詞、短いスパンの言葉と長いスパンの言葉が、目まぐるしく変わりながらどんどん出てきます。歌詞に目を通してみたとき、引っかかったのはそこでした。
…って、これじゃなんのことだかわかんないですよね。試しに分かりやすい1番のBメロを引用してみましょう。

君と出会えたことが
過ぎた季節の意味
その笑顔が眩しかった
一緒に行けないけど
そんなに泣かないで
僕は忘れない

2番のBメロはこんな歌詞です。最初の2行「君と出会えたことが/過ぎた季節の意味」っていう言葉は、出会えてから今までの季節の全体に思いをはせたフレーズです。時間をすごく大きいくくりで眺めていますよね。だから、この部分はすごく長いスパンで時間を捉えているといえます。
でも、そこに続く「その笑顔が眩しかった」という部分は、笑顔を前にしたときの心境を表しています。眩しいっていう気持ちは一瞬の感情です。だから、ここは短いスパンの捉え方になってます。さっきと時間に対する見方が変わってる!
さらに続く2行「一緒に行けないけど/そんなに泣かないで」は、泣いてしまっている「君」に向けての言葉みたいに見えるので短いスパンだし、「僕は忘れない」っていうのはもっと遠い未来へと続く誓いのような表現に響くので長いスパンです。
こんな風に分解してみれば、短いスパンの言葉と長いスパンの言葉が目まぐるしく切り替わっているのがわかりますよね。ふつう、こんなにじゃきじゃき切り替わったりしないと思うんですけど…。
ところが、こんな風に切り替わっているのってここだけじゃないんです。Aメロも、Bメロも、サビも、ぜーんぶそう。これほど頻繁じゃないですが、サビだってそうです。

10年後に また会おう
この場所で待ってるよ
今よりももっと輝いて…
卒業はプロセスさ 再会の誓い

ここまではどう考えても長いスパン。10年も先のことについて思いをはせていますからね。なのに、

すぐに燃え尽きる恋より
ずっと愛しい君でいて

サビの後半のフレーズは「愛しい君」への言及で終わります。ん? ここはたぶん、短いスパン
こんな風に、急に近くを見たり、やっぱり遠くを見たりしながら、くるくると視点はどんどん変化していくのです。なんで?
私はこれ、桜っていう花が、長いスパン短いスパンの両方を持っていることと関係しているかな? って思いました。
みなさんもちろん桜は見たことありますよね? 桜って、1年のうちでせいぜい2週間ぐらいしか花を咲かせません。桜の花ってすごくキレイですが、花の咲く期間がこんなに短いなんて、見て楽しむ用の植物としてどうかしていると思いますっ!
それはそうと。でもその短さこそが桜のいいところで、そして大きな特徴でもあります。桜ってそんな風に、短い時間というものをカラダの中に収めている植物だと思うのです。
ところで、桜って咲いていない時期はどうなっているんでしたっけ? 春が過ぎると、花が散るのと並行して桜の木には葉っぱが生い茂り、緑の葉っぱは秋になると色づいてやがて散ってしまって、枝だけの状態で冬を越しますね。そして、春になるとそっからいきなり花が開きます♪ 春だなぁって思います☆ミ
そんな風に、桜って1年サイクルのスパンも抱えた植物です。毎年 律儀に同じ季節に花を咲かせるなんてすごい! だから、桜って長いスパンの時間も持っている植物なのかな、って私は思ったのです。
こんな風に、桜って短いスパン長いスパン、両方の特徴を合わせ持っているといえそうです。そんな特徴は『10年桜』も同じ。この歌詞に出てくる「僕」の視点って、桜の見方と同じなのです。

君を守る君、君を守る僕

この曲には「僕」と「君」が出てきて、そして「一緒に行けない」ことになっています。「僕」と「君」、どっちが卒業なの?
どっちともとれる気がしますが、私は「僕」が卒業、「君」は在校かな、って思いました。なんでかっていうと、一番 大きい理由はサビの部分にあります。

卒業はプロセスさ

卒業はスタートさ

サビの別々の部分から2個所を引用しました。どっちも、卒業にはこういう意味があるのさって歌っていますね。こんな風に、卒業自体に意味を付与できるのって、卒業生の特権だと思うのです。もし在校生がこれを発言したのだとしたら、「僕たちの気持ちなんて知らないくせに」って気分になるでしょう。でも卒業生自身なら自分の卒業式のことをどう思おうが、外野にとやかく言われる筋合いはありませんから。だから、歌い手である「僕」が卒業する曲として、この歌詞は描かれています。
この歌い手がAKB48っていうアイドルであることにも、ちょっと注目してみましょう。歌い手であるAKB48のみんなは先に卒業してしまう先パイで、私たちは取り残される立場です。そしてカッコいいダンスを踊る先パイに「自分のその夢 大切に」なんて言い含められちゃうのです。
こんなフレーズ、たとえば40代の男性が歌う曲に出てきたら鼻について仕方がないでしょうね。放っといてほしい気持ちでいっぱいです。押し付けがましい響きがどうしても残るから。
でも、(仮に舞台になるのが中学か高校だとしたら)この曲に出てくる先パイとしてのAKB48は、年の差2歳以内の卒業生です(2歳の差って大きいけれど、30歳差とかじゃないし大丈夫!)。そんな先パイになら、多少クサいセリフを言われても、私たちはかわいい後輩になってこっくりうなずいちゃうんですよね。作詞をしているのはAKB48のメンバーではなくて秋元康ですが、きっとこの歌詞はそんなところまで織り込み済みなんだと思います、分かんないけど。
ところで、さっき引用した2番のAメロ、もう一度 引いてみます。

自分のその夢 大切に
もっと君を守れるように

ここのところ。「自分の夢」っていうのは二人称の夢です。歌詞の中の言葉を使うなら「“君”のその夢 大切に/もっと君を守れるように」って歌詞になります。だからここたぶん、もっと君自身を守るために、君は自分自身の夢を大切にしてね、って歌っているみたいです。歌い手は君を守ってくれません。君を守るのは、君です。
なのに、ですよ。「もっと君を守れるように」はもう1個所、別のところにも出てきます。かなり最後のほうに、

どこかで桜の花びらが
はらりと風に舞うように
誰にも羽ばたく時が来て
一人きりで歩き出すんだ
もっと君を 守れるように

こんな部分。
さっきも触れたように、卒業するのは「僕」の側です。だからもちろん、引用部分の4行目に出てくる「一人きりで歩き出す」のも「僕」のはず。そうだとしたら、

一人きりで歩き出すんだ
もっと君を 守れるように

もっと君を守る、その守り手は「僕」です。「君」じゃなくて。
だから、この曲では「君を守る」っていうフレーズが2度出てくるのに、1度めは「君」が守り、2度めは「僕」が守っているのです。不思議ですね。こういう強いフレーズ、もっとぶれのないメッセージとして描いてもいいのに。
でも思えばそれも、さっきの長いスパン短いスパンの話とシンクロさせて考えることができそうですね。短期的には、君のことを君自身で守れるようになってね、という趣旨のメッセージを歌い手は発しています。でもそれは仮の姿。本当は、僕が君のことを守れるようになりたい、っていう意味のメッセージが、その裏には隠れているのかも。
としたら、再会にかかる10年という時間はきっと、僕がそのための強さを手に入れるのに必要な時間なんでしょうね。

ところで、卒業の曲にしてはこれ、

変だと思うところがちょっとあるのです。
さっき私は、

卒業はプロセスさ

卒業はスタートさ

という2個所を引用しました。これは2個所とも、サビの中のキメキメなフレーズに乗っているわけなんですが、これだけ目立つところにこの2つだけが書いてあると、逆に別のもうひとつが浮き彫りになってしまうんですよね…。
プロセスって、何かの期間の間にあるものです。スタートは期間の始まり。もうひとつ浮き彫りになるのは、期間の終わりです。卒業はスタートさ、プロセスさ、って言えば言うほど、卒業の最後の意味(=終了)が立ち現れてきてしまうと思うんです。それはたとえば、んー、廊下とかで、出合い頭に知らない人にぶつかってしまったとしましょう。
(どすん!)
「あっ! 大丈夫ですか?」
「(ったぁー…)だ、大丈夫です!」
「ほんとに平気ですか? ひじぶつけたっぽくないですか?」
「大丈夫ですよー! ぜんぜん平気です。ほら、ぜんぜん。ちゃんと動くし。痛くもないし。大丈夫ですって。だから、ぜんぜん大丈夫です! ありがとうございます! 」
こういうシチュエーションで「大丈夫」を繰り返す人は、だいたい大丈夫じゃないです。
だから、「卒業はスタートさ」「プロセスさ」って言えば言うほど、その言葉が否定したかった卒業の意味が立ち上ってきてしまう印象を私は受けました。つまり、すぐ裏に透けて見えるのです。卒業したら、おしまいだよ、って。
それからもうひとつ気になることがあるんです。サビの最後を引用してみます。

すぐに燃え尽きる恋より
ずっと愛しい君でいて

私はこの部分を見て、短いスパンで見ているシーンだなとだけ思っていました。君を思い出の世界に閉じこめて、大切な今日の思い出の1ページに仕立て上げたいのかな?って思ったんですが、なんか違うような気がするんです。サビの同じメロディには別のフレーズが乗っている個所があります。

今は悲しみに暮れても
ずっと手を振る君でいて

これです。さすがにちょっと不思議な感じ。だって、「ずっと手を振る君でいて」です。記憶の中で「ずっと愛しい君」でいることなら可能だと思いますけど、「ずっと手を振る君」でいるなんてことはなかなか難しいことです。ここで描かれる卒業、時間の止まり方がちょっと急すぎる印象があるのです。記憶が何枚かの写真になって、アルバムにしまい込まれるような穏やかさが見えなくて、まるで、リボンにはさみを入れるような唐突さです。卒業って、何年も前から予告済みのカウントダウンです。そんなに急な別れじゃないはずなのに、どうして? もし、
これが学校を修了するという意味の「卒業」じゃなかったらどうしよう?
たとえば、死とか。
もしそうだとしたら、「誰にも羽ばたく時が来て」とか「一緒に行けないけど/そんなに泣かないで」とかが、ぞわぞわと別の意味を持ってきます。そしてなにより最後の一言を見ると、「僕」が何をたくらんでいるのかわからなくなってしまって、それでもなお感じられて、背筋がぞくっとしたりします。だって最後の一言、

10年後にまた会おう

なんですもの。

つながリンク

前回 取り上げた曲はZONE『secret base〜君がくれたもの〜』でした。今回の曲との共通点は「10年」。
ZONE『secret base〜君がくれたもの〜』では、

君と夏の終わり 将来の夢
大きな希望 忘れない
10年後の8月 また出会えるのを 信じて

というサビの中に「10年」が出てきました。
この主人公は「君」と別れて、よりどころのない気持ちでいます。お別れのその日までの歌い手は「君」に支えられ「基地」に支えられていたのに、その両方を同時に失いそうになっています。確かなものはなくなってしまって、唯一 残されているのは、10年後の再会の約束です。それはもしかしたら約束ですらなくて、もっとぼんやりした予感のようなものなのかもしれませんが、そうだとしても歌い手にはそこにしかすがるものがありません。10年後は確実に来るでしょう。でも、信じられないぐらいに遠い未来です。100年後だったら会えないかもしれないけれど、10年後だったら会えるかもしれない。1年後なら会った後また生き直すのが大変かもしれないけれど、10年生き延びることができたらきっとその先も大丈夫だろう。「10年後の8月」ってそういう距離感にあるように思います。壊れそうな自分をここにつなぐために、10年がちょうど必要な期間なのです。
今回 取り上げたAKB4810年桜』では、

10年後に また会おう
この場所で待ってるよ
今よりももっと輝いて…

10年後に また会おう
この桜咲く頃
何があったってここに来る

というサビのフレーズに「10年」が出てきます。
こちらが『secret base〜君がくれたもの〜』と違うのは、とにかく確かな地面がここにはある、ということ。10年後にはまだ「この桜」があるという確信があるし、その桜は今日と同じように花開いていて、再会の時期を教えてくれます。そしてそのころは「今よりももっと輝いて」いられる自信があります。どっちかというと、タイムカプセルを掘り起こすみたいに、約束よりももっと強固な“イベント”のようなもので支えられているのかもしれません。10年も先のことはわかりません。わからないけれど、でもだからこそ期待したくなるし、期待に応えてくれるような未来だと信じることができるんですね。それはたとえ、この「卒業」が死別だったとしても、そんなに変わらないことだと思います。



ところで、桜の語源って知ってますか?
確固たる説はないみたいですが、私が好きなのは、花びらの先が割けているから、「割(さく)良(ら)」っていう説です。それからもうひとつ萌える説が、漢字を解釈した説。桜のもともとの漢字「櫻」のつくりにあたる「嬰」は、女性の着飾っているところを表すんですって。満開の花びらが、幹を取り囲んでいるってわけですね。

と思ってネットで調べたんですけど、「割(さく)良(ら)」説は見当たりませんでした…orz 「サクラの語源」っていうページが割とまとまっていると思うんですが、ばっちりのはありません。一方、漢字のほうについては少し調べればたくさん出てきます。こことか。
なお、ここまでの話は私が前に読んだ何かの本の受け売りのはずなんですが、ちょっと調べきれませんでした…。(←ぉぃ)井上ひさしだっけ…?
と、語源をふたつたどってみましたが、片方はひらがなルートから突き詰めた説、もう片方は漢字ルートから突き詰めた説です。そしてもちろんその両方が、今 私たちが知っている「桜」に行き着くわけです。
たどっているルートはぜんぜん違いますね。だって、ひらがなルートでは桜の花の、花びらの、そのまた先端の小さな切れ込みに注目しています。そしてもう片方の説はその小さな切れ込みのある花びらが花をつくり、その花が集まって一本の木全体を彩るところに注目して言葉ができています。ひとつは超ミクロ。ひとつは超マクロなのです♪ こんな風に、桜って小さなスケールの次元と大きなスケールの次元の両方で成り立っている、不思議な存在だなぁって思っているのでした。
あれ、そんな桜の二面性、長いスパン短いスパンの話と同じですね! あれ、そういえば前に取り上げたたむらぱん『ちゃりんこ』も、「」と「」の二項対立がありました。こんな風に桜って、ふたつの異なる要素が両立しあっているものなのかも。
10年桜

10年桜

↑クリックすると「すぅ!」の続き(笑)も聴けます。私の好きな「言い訳Maybe」とかもリンクから聴ける!