5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

「好き」がシャワーのように降り注ぐほど遠のいていくアンバランスな恋 - 虹のコンキスタドール『恋・ホワイトアウト』

虹のコンキスタドール『恋・ホワイトアウト』の歌詞の話をしたいんですけど、

この曲の歌詞よすぎません??

一般に「ホワイトアウト」が出てくる歌詞って、

  • 絶望のようなもの
  • 頭が真っ白になる

みたいなイメージで使われることが多いように思います。

歌ネットで「ホワイトアウト」出てくる歌詞を全部見てみた個人の感想です。

なのですが、今回の虹のコンキスタドール『恋・ホワイトアウト』はけっこうめずらしくて、

「好き」が降りしきる夜に
前が見えなくなって
強い風に吹かれる恋は
ホワイトアウト

という歌詞なのです。「好き」=ホワイトアウトの組み合わせはめずらしい〜〜!

きょうはそういう話をします!

虹のコンキスタドール『恋・ホワイトアウト』歌詞

「愛してる」と「好き」の違い

この曲にはかぎかっこで囲まれた言葉が2つだけ出てきます。

「愛してる」と「好き」です。

他の曲の歌詞だと、このふたつは似たり寄ったりの意味でとっていい場合も多いと思うんですけど、この歌詞では「愛」と「好き」ははっきり別ものです。

それを念頭に置いて、歌詞の冒頭はこういう感じ。

「愛してる」って ねぇどんな気持ち?
君のこと考えるたびに
こころ分からなくなる
  
ホットコーヒーで火傷をした
君の好きな砂糖とミルク
たっぷりで溶かした

主人公は「愛してる」ってどんな気持ちだかぼんやり考えては、「分からなく」なっています。

そんなぼんやりさんな主人公は「ホットコーヒーで火傷」をしてしまっています。

ここで「愛してる」は温かさのそばにあることがわかります。

主人公は自分の「愛」の熱にあてられてしまって、火傷をしている、ってことです。

ところが、よ。

サビの歌詞はこういう感じです。

「好き」が降りしきる夜に
前が見えなくなって
強い風に吹かれる恋は
ホワイトアウト

ここで降りしきっている「好き」というのは、もちろん雪のことを指しています。

「好き」は冷たいものとしてこの歌詞に登場するのです。

「愛」と「好き」はなんとなく似ている感じがするけど実は別ものです。

片方はあったかくて片方は冷たいからです。

歌詞の中で 温度
温かい
好き 冷たい

でも、それはいったいなぜ。

愛の温度の行く末

この曲の中では、「愛」はホットコーヒーとして、主人公の手元にあるものでした。

対して「好き」は、雪として、主人公の手元ではないところにあります。

この曲では「愛」は手元であたためるもの(というか勝手にあたたまってしまうもの)であるのに対して、「好き」は相手に向けて降りしきるものです。

ここにこのふたつの大きな違いがあります。

だけど共通点もあります。

どちらも自分の手では制御しきれないのです。

主人公は1番で、

「愛してる」って ねぇどんな気持ち?

と歌っていました。

「愛」は主人公自身の感情です。

だけど、自分の感情なのに「愛」は主人公にとってままならない存在です(だから愛に火傷させられたりするんだよ……)。

愛が急に冷静になったり再燃したりするのと同じで、この歌詞でも温度がくるくると変わっていきます。

さっきは主人公に牙を剥く温度だったコーヒー。

連絡はだいたい返事待ち
さっき淹れたはずのコーヒーは
もう ぬるくなってた

いまは「ぬるくなってた」と歌われます。愛の温度が冷めてしまったからです。

愛の温度が冷めてしまったのは、「連絡はだいたい返事待ち」だからで、それはひいてはこの恋愛が叶いそうにないことを、主人公はどことなく察しているからです。

は?????なんかめっちゃ胸に刺さるな……………………………………?????????????????????????????????????????????????????????????

だから2番の歌詞はこうです。

たとえ一生懸命想えど
叶わない恋もある
頭の中では分かってる

いやーーそうなんですよこれ…………………。

さっきは熱すぎて火傷してしまったけれど、この熱はどっちかというと冷まさないといけないものなんですよね。頭の中ではわかっているのです。

このままならなさは、「好き」も同じです。

サビを引用します。

「好き」が降りしきる夜に
前が見えなくなって

本当だったら「君」との未来をいっしょに紡いだりしたいし、「前」は見えたいものだと思うのです。

だけど主人公は、自分自身が降らせる「好き」が原因で、まさにそのせいで、前が見えなくなってしまっています。

それは「好き」が、「愛」同様、主人公の手に負えないものだからです。

この恋には「前」(=つまり未来)はありません。

ないけれど「好き」は勝手に降りしきるのです。

いいですか(席から立ち上がる)。

この歌詞、あきらめないで立ち上がって、もう一度やってみよう!みたいな曲ではないのです。

あきらめて、さやを納めたら、そこでやっと雪が降り止んで、春が訪れる、っていうところにしか未来はたぶんないのです。

だけど、主人公にはそういう制御はできません。

この歌詞見て。

だけど 可能性0なんて
証明できないじゃない
終わってしまうくらいならば 痛いままがいい

本来進むべき方向とは正反対なのです。

可能性はゼロみたいなもんなんだけど、そんなのわかってるんだけど、でも「好き」は降りしきります。

好きだよって 会いたいって 触れたいって 伝えたい
方位磁針 ぐるりぐるり どこも指さず 私はまた 行方不明

わかっていることと、正反対の、ほんとに真逆のフレーズをサビに持ってくるとかセンスよすぎでは??? そうなのよ????? あきらめきれないじゃん???????

それが、この曲のいいところなのです。

「愛してる」なんて言ってみたいな
言葉は儚いね
君の姿は遠く遠く
ホワイトアウト
だけど好きだよ

主人公が雪を降らせれば降らせるほど、つまり「好き」を募らせるほど、「君」の姿は遠のいていきます。

それは恋のホワイトアウトです。

これ、バッドエンドなんですよね。この恋は叶わないから。

だけどこの気持ちを、主人公は止めることができません。

最後の「だけど好きだよ」は、あとさきの関係ない、本当に純粋な「好き」なのだ、ってことが、雪の中からだんだんあらわになっていきます。

「好き」の先にホワイトアウトしかないことがわかっているタイプの恋愛って、ありますよね。

わたし個人は(他人より長く雪道を歩きがちだけど)どこかのタイミングでけっきょくは雪を止ませて、そしてのうのうと下山するタイプの人間なんですよ。

そして多くのひとはそういうものだと思うのです。生きていかねばならないからな。

そんな中で、こういう「好き」の吹雪の中で埋もれていく、みたいな物語を、フィクションとして享受することができるなんてすごい幸せだなぁ、と思ったのでこの文章をまとめました。

たのしかった〜〜〜!

おしまい。


虹のコンキスタドールの歌詞はこれまでにも読んだことがあって、どれもほんとうに好きな歌詞だと思ってたんですけど、今回マジで出色でした。

どんだけ引き出しあるんだ……。 hacosato.hatenablog.comhttps://hacosato.hatenablog.com/entry/20190605/zuttosummerdekoishiteru hacosato.hatenablog.comhttps://hacosato.hatenablog.com/entry/20190805/ThisSummerGirl hacosato.hatenablog.com

あと、今回の曲の話に戻ると、MVが暖色の世界寒色の世界のふたつあるんですよね。

それって、歌詞の中の「愛」と「好き」の対比と紐づくと思いませんか? わたしは思う。

わたしは動画については語れることばが一切ないのでよくわかんないけど、そういう体系もあったら美しいよね✨

そんな気持ちでもう一度どうぞ〜。

あともういっこ聞いて!!

この歌詞のちゃんとした出典が見つからなくて人生初フラゲをしました〜💿 お祭りに乗るのはだいたいのしい❄︎

おしまい。

2021/04/29 めちゃくちゃ改訂しました。