5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

認知言語学で読む、あの子じゃなくてこっちを見てよ!の気持ち - ましのみ『プチョヘンザしちゃだめ』

ましのみ『プチョヘンザしちゃだめ』の歌詞の話をしたいです!

見てこのAmazonのレビュー。

キャッチーなメロディーとつんのめったリリックに引き込まれてぽちってみました。 歌詞をよく読んでみたら、かわいくて健気で涙でてきた。

いやこんなん見たら確かめない手はないでしょ。

というわけでさっそくサビの歌詞を引用するとこういう感じです。

プチョヘンザしちゃだめ手をあげないで あの子のいいなりにならないで
ラブソングにまで身をゆだねてちゃ Yesのアンサーそのもの

主人公は「君」といっしょにライブハウスに来ています。

ステージ上ではたぶん共通の知り合いの女の子がパフォーマンスをしていて、そこで彼女がこういう風に言うのです。

「プチョヘンザ!」

これは「手を上げて!」という意味。上げた手をリズムに合わせて揺らしたりして、一体感も盛り上がりも生まれるやつです。

そんな「君」に対して、主人公はタイトルのように『プチョヘンザしちゃだめ』と言うのです。

となりの「君」が、ステージ上の彼女の言うことにやすやすとそれに従っちゃうところに妬いてる、っていう歌詞なんですよね。

状況が具体的。

でも具体的な歌詞はよいものです。いしわたり淳治も「現場のある歌詞」のことをたたえてたからね。

きょうはそういう話。

ましのみ『プチョヘンザしちゃだめ』歌詞

もっかい歌詞の状況

Aメロの歌詞はこういう感じ。

どんな曲でもからだでリズムを取っちゃう君のそうゆうとこ
意外とかわいくて好きだった
でもあんな曲でもなんにも考えずリズムを取っちゃう君のその無神経さが
イヤになった

主人公の女の子には恋人っぽいいい感じの関係の男子がいます。

音楽の趣味とかが合うからいっしょにライブハウスに行ったりするんだと思うんです。

しかし「どんな曲でも」受け入れる「君」に対して、「あんな曲でも」という好みがあるのが主人公。

そこに段差が生まれています。

というのがまずAメロ。

本筋と関係ないんですけどこの部分の“女子”っぽさすごくないですか? わたしがこの「君」の立場だったら、このすれ違いのとき、
「どんな曲でもからだでリズム取っちゃうとかかわいくて好き」ってゆってたじゃん!!!
ってなる。ぜったいなる。「無神経」ってなんだよ、ってなる。そしてだいぶもめる。

さてBメロ。

だってあの子の歌に出てくる ゆるふわパーマのあなた なんて
君以外いないとわかるでしょう

ステージ上には共通の知り合いの女の子。オリジナル曲を歌っています。

その歌詞の中に、「ゆるふわパーマのあなた」ってフレーズが出てくるのです。

主人公はいやゆるふわパーマ、君じゃん、ってなってます。

この感情に名前をつけるならまあ嫉妬ってことになるんでしょうけど、世の中そんな単純じゃないもんねー。

そしてサビの歌詞。

プチョヘンザしちゃだめ手をあげないで あの子のいいなりにならないで
ラブソングにまで身をゆだねてちゃ Yesのアンサーそのもの
プチョヘンザしちゃだめ手はつないでて ライトの当たらないはじの方で
ベースの音 震えた心臓に追い打ちかけるようにキスをしてよ

「君」は「あの子」の「プチョヘンザ」に合わせて手を上げて盛り上がっています。

でもそれをすぐ横で冷ややかに見るひとがいます。

もちろん主人公です。

主人公にとって、ステージ上の煽りに合わせてプチョヘンザしちゃうのは、

  • 「いいなり」だし
  • 「身をゆだねて」だし
  • 「Yesのアンサーそのもの」

です。

ことばが全体的につええーー!!!

その代わりに主人公が「君」に求めているもの。それも明白です。

ベースの音 震えた心臓に追い打ちかけるようにキスをしてよ

それはつまり、あの子じゃなくてこっちを見てよ!ということです。

それを『プチョヘンザしちゃだめ』と、具体的な行動で名前をつけて呼べるのが、この曲の切り口のよさなのです。

ところで認知言語学の話

ところで最近、言語学の一ジャンルである認知言語学の勉強をしているので、無理やりなんですけどからめた話をしていいですか。いいよ!

というわけで、フレーム意味論に基づいて考えてみます。

一般に、語の背景に世界に関する知識があり、語の使用はその知識を喚起する、とするのがフレーム意味論の考えの枠組みです。

たとえばこの例文。

Mary was invited to Jack's party. She wondered if he would like a kite. (Minsky 1985:261)
メアリーはジャックのパーティに呼ばれました。メアリーは、ジャックは凧好きかな、と考えました(ハコサト訳)。

1文目の単語のひとつひとつを見ただけでは、2文目に凧が出てくる必然性は見出せません。

でもわたしたちはこの文を見て、どうしてメアリーが凧のことを考えたのか、まあなんとなく当てることができます。

この「party」って誕生日パーティで、誕生日パーティではプレゼントをする習慣があるよね、というところに行き着くのです。この知識が「フレーム」です。

さて、翻ってわたしたちはこの歌詞の中の「プチョヘンザ」のフレームについて考えてみます。

「プチョヘンザ」はステージ上の演者と観客とのコミュニケーションのひとつで、演者が観客に煽り立てるもの。観客はそれに応じてもよいし応じなくてもよいが、でも応じるとたのしい。目立つ。湧く。

まあこんな感じになるはず。

しかし、この曲の主人公のフレームはちがいます。

さらにつよい言葉が並ぶはずです。

「プチョヘンザ」はステージ上の演者と観客とのコミュニケーションのひとつで、演者が観客に煽り立てるもの。それに応じるのはいいなり。身をゆだねてちゃYesのアンサーそのもの。

いやそうなります???

っていうのがいまのわたしの気持ちではありますが、でももしフレームというものは個々人が持つものだとしたら*1、当然そこには違いがあってもいいはず。

コミュニケーションの中で、そのギャップに気づくことは当然日常的にあるんだと思うんですけど、フレーム意味論(やもっと広く認知言語学)ではその変化のダイナミズムをどう捉えているのかな?というのが昨今気になっていることです。

ここがわかると、認知言語学を学んで歌詞を読むのにだいぶいい感じに効いてきそうなんだよなとおもっているポイントです。

だれか詳しいひと教えてください〜〜><


ってわけで、ましのみ『プチョヘンザしちゃだめ』でした。

ところでこの曲、YouTubeの概要欄に本人による親切丁寧なコメントが付いているんですよ。

ライブとかでよくステージ上の人が「みんな手あげてープチョヘンザー」とか言うじゃないですか。あの行為って、例えば女の子が 好きだよ〜♪ とか歌ってるのに対してやってしまったらもうそれは「僕もだよ〜♪」って答えてるのとほぼ同義になってしまうと思うんですよ私はね!! そんな感じでこの「プチョヘンザしちゃだめ」は、やめてよ!!他の女の子に対してそんな!!プ、プチョヘンザなんてしちゃだめだよ!!目移りばっかしないでよ!!そこら中で思わせぶらないでよ!! みたいな曲になっております。独占欲ですかね

ちなみにライブでこの曲をやる時は皆にプチョヘンザしてもらっています、一緒に楽しく踊りましょう?「私の」ライブで (にっこり)
ましのみ

この「私はね!!」のあたりに、この曲でのプチョヘンザのフレームはあなたが持っているのとは違うかもよ、という含意(implicature)を感じ、認知言語学徒にはエモい解説となっております。

ところで上の「含意」は言語学の新たな別ジャンル、語用論の用語です。

認知言語学の中には語用論との共演NGの流派もあるようなんですが、語用論はそれはそれでおもしろいので、個人的にはいいとこ取りしながら楽しい歌詞読み生活をしていきたい所存です。

どうぞよろしくお願いします。

プチョヘンザしちゃだめ

プチョヘンザしちゃだめ

  • ましのみ
  • J-Pop
  • ¥255

*1:意味論的カテゴリーのスキーマという概念は少なくとも個々人がそれぞれ持っているものだと聞きました。でもここはちがうのかもしれない…。