5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

奇跡の惑星直列 - JUDY AND MARY『ラッキープール』

こんにちは。

きょうはJUDY AND MARY『ラッキープール』の歌詞の話をしたいです。

ラッキープール 小さな庭にだして 大きな海にしよう
豪華なバカンスじゃないけど たまにはいいもんね
きっと繰り返す波のような日々から 私を探すでしょう
アクシデントさえ風まかせ

よい…非常によい…(語彙)。

https://shop.r10s.jp/spso-ko/cabinet/outdoor/01708397/img58154634.jpg

たぶんラッキープールっていうのはビニールプールのような小さいプールだと思うんです。

それが「大きな海」に見立てられるんですよね。

この曲、ものすごく複雑な世界を描いているように思いました。

きょうは、そんな歌詞の世界をたどってみることにします。

JUDY AND MARY『ラッキープール』歌詞(歌ネットへリンク)

この曲は、こういう歌詞で始まります。

知らない間に眠ってた 午後の風の中で

この1行め、わたしは非常に好きです。ものすごい情報量があるからです。

「知らない間に眠ってた」ってことは、主人公がいま目を覚ましたところだっていうのを表していると思うんです。たぶんここにはあまり異論がないでしょう。

だとすると「目を覚ますと…」みたいな書き出しのほうが、動作と直結していてストレートな感じ。

でも、この曲ではそういう方法を選びませんでした。なぜでしょうか。

それをいまからかなり字数をかけて話します。

話は変わりますが、フランツ・カフカ『変身』という小説があります。

冒頭は、こういう感じです。

ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。 https://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/49866_41897.html

シチュエーションはさっきの曲と同じです。主人公が目覚めたときの描写から始まっています。

でも、描かれ方は違います。『変身』では「ザムザが…目覚めたとき」という描写です。

このとき、この小説の視点は三人称に定まっています。

この視点の置き方には、はっきりとした効果があります。

(主人公が虫になっているという)突拍子もないできごとを、ちゃんと冷静に描写することができるからです。

一方で『ラッキープール』に戻ります。

この歌詞の冒頭は「知らない間に眠ってた」でした。

さっきの『変身』とは、視点が違います。今度は一人称です。

たとえばソファにいて、寝落ちしてしまったとします。はっと気がついて、口をついて出てくる独り言はこうでしょ。

「…寝てた」

「目覚めた」というたったいまの行動を描写するのではなく「眠ってた」という完了の描写をするほうが自然です。

この歌詞は、そういう自然さを表現しているんですよ!!

さらに推せるのが、この歌詞の2行めです。

日に焼けた鼻 汗ばむ胸 ぬるくなった缶ビール

ここでは、3つの名詞句が並んでいます。

寝ぼけた頭が感知することを、身体に近い方から順に、そのまま列挙する感じがよく表現されていると思いませんか??

しかも、ここまでの2行から、いろんなことがわかるのです。

  • 主人公はいつの間にか寝てて、いまはなぜか午後
  • 昨日は日に焼けたから外にいたんだ
  • 汗ばむ胸、ぬるくなった缶ビールってことは、いまは夏だ
  • ビールってことは、酔いつぶれて寝たのか

ってふうに!

冒頭から情報がたくさん引き出せる曲、わたしは大好きです。

この曲もそういう文脈に並べることができます。

hacosato.hatenablog.com

hacosato.hatenablog.com

歌詞の続きは、こういう感じ。

昨日はあんなに傷ついて ヒリヒリしてたのに
小さくかけてたステレオから うれしい曲届いた

最初の2行から、だんだん頭が冴えてきて、世界の描写が豊かになりました。

「昨日はあんなに傷ついて」の部分から、やはりヤケ酒だったのでは、ということがわかるし、「ヒリヒリしてたのに」からは心のひりひりと日焼けのひりひりがシンクロしているのだとわかります。

「小さくかけてたステレオから うれしい曲届いた」が逆説「のに」でつながっているということは、やっぱり昨日の出来事はうれしいことではなかったのだということもわかります。

かくして、主人公には二種類の過去があります。①傷ついた昨日と、②夢の中の世界、です。

そこからキーが変わってBメロに入ります。

夏に冬のうたで 涼しい夕暮れへ
祈るように季節かんじて 今 瞳ひらくの

ここでまた新しい要素がたくさん入ります。「夏」「冬」といった季節のワード。 そして「夕暮れ」という時間のワードです。

この歌詞の中では、1年の中の特定の時期を示す言葉と、1日の中の特定の時間を示す言葉が混線しています。

でも、その混線は、Aメロでわたしたちがすでに体感したものと似ています。

主人公の過去が2種類あることと、Bメロで時間を示す言葉が2種類あるのとが、似ているような感じします。

この話は、あとでまたまとめます。

サビに移ると、この並行的な関係がまた登場するように見えてきます。

ラッキープール 小さな庭にだして 大きな海にしよう
豪華なバカンスじゃないけど たまにはいいもんね

ラッキープールが庭に出したビニールプールのようなものだとしたら、それは特別さがない、日常の延長にあるアイテムのように感じられます。

でも、それが「大きな海」なら話は少し違う感じ。

この歌詞では「小さな庭」と「大きな海」が並行的に共存しています。

なんだか不思議です。こんなことは、よほど変わった状況の組み立て方をしないと両立しないような気がします

たとえば、ひとつのものをまったく異なるふたりの目線で見る、とか。

きっと繰り返す波のような日々から 私を探すでしょう
アクシデントさえ風まかせ

「波」と「プール」は縁語です。

でも「繰り返す波のような」という表現から、プールを抽出するのはちょっとジャンプ力が足りない気がします。

「私を探すでしょう」という表現も、ビニールプールにはなんだか大げさ。

でもこのふたつとも、海を前にしたセリフなら、なんだかしっくり来るような気がします。

「泣いてもいいんだよ」
誰かが言ってた

1番のパラレルワールドは、「泣いてもいいんだよ」という不思議なセリフで終わります。

「誰かが言ってた」って、一体誰なんだろう。

わたしは思いました。まるで夢オチみたいだ、って。

そして気づくのです。そういえばこの曲、夢から覚めるシーンで始まるんだってことに。

昨日の出来事

2番に入ると、歌詞の描写はますます精緻になります。

どんどん頭が冴えてきて、昨日の記憶がよみがえってきたのが歌詞を見ても伝わってきます。

開いた花びら震えてる 晴れた空の下で
古びた時計捨てる勇気を だんだんわかってく

時計は基本的に長く使うもので、気軽に手放すものではありません。

それを手放すのと同じように、昨日主人公は大切な存在を失ったんだとわたしは感じました。

あなたの笑顔を見ていたら 胸がイタクなった
永遠なんてわからないけど 優しい人になろう

1行めと2行めは対の関係になっています。

「あなたの笑顔」は有限で、いまこの瞬間だけきらめくもの。

それと対になっているのが、先ほどの時計に象徴された「永遠」です。

主人公は永遠に位置する大切なものを失って、たったいま目の前できらめいている笑顔に胸を痛めます。

恋は秋の夕陽に 夜は春の国に
それはなぜか とても せつない

2番のBメロは、1番のBメロを強く想起させます。

「秋」「春」という季節に関する言葉。

そして「夕日」「夜」という、時間に関する言葉がまぜこぜになっているからです。

まとめます。

主人公は、2つの時間の軸を泳いでいます。

1日のうちの時を表す時間帯の言葉と、1年のうちの時を表す季節の言葉です。

それがいま、主人公のうちで同時に登場します。

こうしたことばは、この曲の中の1番のBメロに出てきて、そのあと2番のBメロでもう一度出てきます。

この曲の中で、ループを描いているのです。

一方で、この曲には2種類の過去があります。

昨日という過去と、夢の中という過去です。

主人公は「古びた時計を捨てる」ことで、昨日という過去にハサミを入れようとしています。

また「今 瞳ひらくの」「開いた花びら」という表現で、夢の中からもみるみる距離を置いています。

きっと繰り返す波のような日々から 私を探すでしょう

  

きっとこうして何気ない遊びを あなたと探すでしょう

こういった表現で、未来はそれでもいまとつながっていると主人公は歌います。

水平線の向こうがこことつながっているのと、それは同じです。そしてその先で一周回ってまたここに戻ってくることとも同じです。

この曲には多重のループがあって、それがいま、この瞬間だけ惑星直列のように重なっているのです。

f:id:hacosato:20180704114836p:plain

「見失わないで」
誰かが言ってた
夢が見た?
魚に 夢で会った
あっ!

引用したのはこの歌詞の最後の部分です。

この曲、ふわふわしたシンセのイントロを切り裂いて、「知らない間に眠ってた」で始まりました。

あのシンセは夢の中を示すんだっていうことが察せられます。

そして、曲の最後は「夢」の話をしながらもう一度あのイントロと同じメロディ。

それってつまり、また夢の世界に戻っていったのだとわたしは思います。

この曲は、夢から始まってまた夢に終わるのです。

季節と時間帯の小さいループとは別の、大きなループがここにはあります。

そしてその間のわずか5分半のせつない楽曲がこの『ラッキープール』だったのでした。


JUDY AND MARY『ラッキープール』でした。

この曲はJUDY AND MARY解散の年にリリースされています。

そうやって見てみると、このバンドの終焉みたいなものが描かれているというような見方もできる感じがします。

メンバーの4人は惑星が並ぶような偶然の中で、限られた時間だけ1列に並んでいられたんだ、みたいな。

「泣いてもいいんだよ」「こわくなんかないよ」「見失わないで」といった引用が3つあるのもおもしろいです。

このバンドのメンバーは4人だから。

3人のコメントがひとつずつあって、それから主人公がいるのを合わせたらちょうど4人ですよ!

この曲はそういうポリフォニーが織りなしていると捉えることができるかもしれません。

JUDY AND MARYの曲は、いままでに以下を取り上げました。

hacosato.hatenablog.com

hacosato.hatenablog.com

じつはわたしはリアルタイムでは享受してないんですけど、じぶんが音楽をちゃんと聞こうと思い始めたときに図書館で最初に手にとったのが(当時もう解散していた)JUDY AND MARYWARP」だったので感慨深いです。

こうして懐メロだいすきおばあさんになりさがっちゃうのかもなって内心ちょっと思いますが、それでもいいや。思い出はいつもきれいだもんな。

https://itunes.apple.com/jp/album/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB/573999789?i=573999893&uo=4&at=10lrtS