5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

大事と大切の因果 - SEKAI NO OWARI『Hey Ho』

こんにちは。

SEKAI NO OWARI『Hey Ho』が好きなんです!

ぼろぼろの思い出とか
ばらばらに壊れた気持ちも
大事にしたから大切になった
初めから大切なものなんてない
冒頭の感じ、なんかBUMP OF CHICKENっぽい!!
と思ったけど、よく見てみたらまやかしでした。
過去の思い出のことを歌って「大事にしたから大切になった」みたいなものの捉え直し方を提示したりするのはたしかにBUMP OF CHICKENみたい!
叱られた後にある 晩御飯の不思議
あれは魔法だろうか 目の前が滲む
 
正義のロボットの剣で 引っ掻いたピアノ
見事に傷だらけ こんな筈じゃなかった
あーわかる! わかるよー。

…でも、やっぱりちょっと違うんですよねー。
BUMP OF CHICKENだとそこから一段具体(または抽象)に敷衍して、立体的な世界を提示してくれるけど、SEKAI NO OWARIはそういうことしません。
だからセカオワはからっとしてるし、聴いてて疲れないのでした。SEKAI NO OWARIらしさを楽しめる新曲の歌詞、今回も楽しい!

SEKAI NO OWARI『Hey Ho』歌詞(歌ネットへリンク)

大事にするから大切になる

ぼろぼろの思い出とか
ばらばらに壊れた気持ちも
大事にしたから大切になった
初めから大切なものなんてない
それにしても冒頭のこの連は最高じゃないですか??
「ぼろぼろの思い出とか」「ばらばらに壊れた気持ちも」「大事にしたから大切になった」「初めから大切なものなんてない」ですよ!?!?
あれ、ただ全部引用つなげただけになっちゃった。

日ごろわたしたちは大切なものを大事にする、って思ってるわけじゃないですか。
大切なものがまずあって、それを大事にしていると考えがちです。
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けどこの歌詞では、大事にすることが大切であることにつながると述べています。
いいですか! わたしたちのいままでの認識と順番が逆なんですよ!!
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両者の関係は、悲しみと涙の関係とパラレルだとわたしは思っています。
一般には、悲しみが先にあって、悲しみが涙を生むものだと思われています。感情が先にあって、そのあとにそれが観察できるものとして現れます。
一方で、泣くから悲しくなるっていうような言説もありますよね。小さい子どもを見ているとそう思うことがあって、たとえば子どもが転んでしまったとき、顔を上げて、養育者と目が合って、養育者が慌てて慰めようと駆け寄るのを確認してから泣き出す、みたいなやつありますよね〜!(かわいい)
その子を慰める間に、わたしは思うわけです。この子、いまは泣いてて、たぶん悲しいと思ってるだろうけど、あのときだれとも目が合わなくて、慰めてくれる人がいなかったとしたら、転んだ痛みは変わらなくても、きっと泣いたりしないだろうし、悲しくもないだろうな、と。
悲しさが先にあって、それが涙としてこぼれるのではなく、涙が先にあって、悲しさがあとから押し寄せることはままあると思うんですよ〜!

めっちゃ話がそれましたが、そんなわけで、大事にするから大切になることもある、っていうのがこの歌詞です。
これってとても重要なことです。なぜなら、こういう認識をすることによって、気持ちをコントロールすることができるからです。
ふつう、気持ちというのはコントロールすることはできません。他人の気持ちはもちろん、自分自身に対しても気持ちの制御は時に難しいです。
でも、行動を制御することは気持ちの制御に比べてとってもたやすいことです。そして、気持ちの変化は行動に反映していきます。
だから、行動を変化させることによって、気持ちをコントロールする、ということが可能になるのです。
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こういう特性は、悪く使うこともできるでしょうけど、よく使うこともできます。認知行動療法のバックボーンはこれですよね。
wikipedia:認知行動療法
そして、自分自身に吹き込むときにもこの認識は役に立ちます。気持ちは変えることはできないけど、行動は変えることができる、と知っていれば、いやな上司と渡り合うときだって、だらだらしてしまってなかなか勉強を始められないときだって、建設的に毎日を生きていくことができます。
この曲で主人公が教えてくれるすごく大事なことが、これだと思います。

遠い世界のことなどどうでもいいや

どこか遠い世界のことなど
どうでもいいやと呟いた
大事にしないとああ、こんなにも
大切なものなんて無いんだなあ
続く連に出てくるのは「どうでもいいや」というフレーズです。
さっき出てきた「大事にするから大切になる話」にからめていうと、「どうでもいいや」とは「大事にしない」ということです。
主人公は「どこか遠い世界のこと」を大事にしません。
ということは、主人公が「どこか遠い世界のこと」を大切に思えるような日が来ることは、きっとないのでしょう。だから固有名詞ではなく「どこか遠い世界」とぼんやりした言葉で歌われます。
「大事にしないとああ、こんなにも/大切なものなんて無いんだなあ」と、主人公もいろいろと自覚的です。

Hey Ho Stormy Seas
誰かからのSOS
ずっと耳を塞いできたこの僕に Whoa-oh
 
Hey Ho Stormy Seas
誰かからのScream Of Silence
この嵐の中、船を出す勇気なんて僕にあるのかい
だけど主人公は行動を選びます。
「船を出す」というのは、行動することです。
主人公は、気持ちの中では「どうでもいいや」という思いを抱えています。でもそれを払拭したくて「船を出す」という具体的な行動に向かって歩みを進めています。
きっと船を出したら、その行動のあとにちゃんと気持ちがついてきて、きっと「どこか遠い世界」のことも大切に思える日が来るんだと思います。それを固有名詞で呼べるようになることがあるんだと思います。
とはいえ、主人公は船を出し切るところまで歩み切れていません。
「船を出す勇気なんて僕にあるのかい」と自問するまでです。
主人公ははっきりと船を出そうとはしているのに、船を出し切るところまで行けません。
だって、行動するのにはエネルギーが必要だからです。J-POPの歌詞みたいに、そんなに気軽に行動することなんて、実際には難しいのです。
「Hey Ho」というのは、船乗りのかけ声のことだと思います。かけ声なんかなくたって船を漕ぐことはできるでしょうけど、それでも声を出すのは、行動によって気持ちを奮い立たせることに目的があるのかもな、っていまのわたしは思っています。
主人公は「Hey Ho」のかけ声だけでも威勢よく出して、なんとか気持ちを前に向けようとしています。
この曲は、そんな主人公の出発前夜の歌なのでした。


というわけで、SEKAI NO OWARI『Hey Ho』でした。
ところで、この曲の「船を出す」とは、具体的に何のことなのでしょうね。
わたしは勝手に、この曲は恋愛の曲だと思いました。
付き合ってた人と別れてしまって、こころに穴が開いていて、イオンに足を運んだと想定してください。イオンの中のこのお店で、そういえばいつも、彼女に渡せるプレゼントかなんかないかなぁ、って、見るともなく眺めてたよな…、みたいな思いに駆られがちじゃないですか!!
それって、この歌詞の中の言葉でいうと「大事にしないとああ、こんなにも/大切なものなんて無いんだなあ」と同じだと思うんですよ〜!
だから、「船を出す」というのは、新しい恋愛に足を踏み入れることかもな?ってわたしは思っています。
道を歩いていたら落とし穴にすとんと落ちるような恋愛もあるとは思うけど、歩いて行った先の目的地としてたどり着けるような恋愛もあって、いま主人公が目指しているのは後者の恋愛っぽい気がしています。なんかちょっと、オトナって感じがしますね!
この曲の歌詞には恋愛要素なんかまったくないけど、そこに恋愛を見ることもできるよね、っていうお話でした。

SEKAI NO OWARIはいままでに以下のような曲を読んだことがあります。
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
どれも好きな曲だけど、今回の曲はサビの「Hey Ho!」がすごく映えますよね。わたしはコールアンドレスポンスのある曲がだいっ好きなので、今回も安直に好きになりました。最近はコールアンドレスポンスのある曲が多いので、日々たのしく音楽を聴いています♪♪

次回はflumpool『星に願いを』の歌詞を読むつもりです〜。