Mr.Children『HERO』の歌詞の話をしたいです!
小さい頃に身振り手振りをサビはこういう感じ。「小さい頃に身振り手振りを真似てみせた憧れ」っていうのがヒーローのことなんだと思いますけど、この曲の主人公はありがちなヒーロー像とは違うのを目指しているんですよね。
真似てみせた
憧れになろうだなんて
大それた気持ちはない
どういうふうに違ってて、それはなぜなんだろう?っていうのが今回の記事のテーマです。
考えていくと、思ったよりも壮大な話になっちゃったのでした。
Mr.Children『HERO』歌詞(歌ネットへリンク)
『HERO』のヒーロー像
今回の曲は『HERO』というタイトルです。わたしたちはたぶんヒーローの話をするんだなー、なんて思いながらAメロを読みます。
例えば誰か一人の命とそうなんだ!
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
ヒーローの話をするよね?ってわたしは思ったのに、この曲のAメロは予想に反して自己紹介です。
そして、この曲の主人公はヒーローなんかじゃないことがこの部分からはっきりします。
ぜんぜん違うじゃん! 「誰かが名乗り出るのを待っているだけの男」なんて、ヒーローじゃない!ってわたしたちは思うわけです。
ところが。
愛すべきたくさんの人たちがさっきは主人公のことをかっこ悪いと思ってしまったわたしも、Bメロに入ると考えを新たにします。
僕を臆病者に変えてしまったんだ
愛すべき人たちが周囲にいて、その人たちを大切に思う結果としての臆病なら、それはそれもアリだな、って気持ちになるのです。
ここにあるのは、ヒーローになるのとは違う、新しい幸せの像です。わかるー!
そしてサビに入ります。
小さい頃に身振り手振りをこの「憧れ」とは、ほかでもないヒーローのことです。でもそんな「ヒーローになりたい」気持ちを「大それた気持ち」と主人公は歌っています。
真似てみせた
憧れになろうだなんて
大それた気持ちはない
小さい頃にはヒーローになりたいと無邪気に思っていたけれど、いまはそんなこと考えてないのです。
ヒーローそのものが悪いわけではありません。でも、小さい頃に夢見たヒーロー像は、おとなになった主人公には少し重すぎるのです。
でもヒーローになりたいそれでも、主人公は「ヒーローになりたい」と歌います。
ただ一人 君にとっての
つまずいたり 転んだりするようなら
そっと手を差し伸べるよ
ただ、そのヒーロー像は小さい頃に夢見たものとは違います。
小さい頃に夢見たヒーローはAメロに出てきたように「世界を救える」可能性を持った存在です。
でも、いま主人公が目指しているヒーローは「ただ一人 君にとっての」ヒーローです。
世界のことなんて背負えません。ただ、目の前の一人だけを幸せにするためのヒーローです。
このヒーロー像は、つい先日このブログで読んだ、赤い公園『KOIKI』とよく似ています。
hacosato.hatenablog.com
『KOIKI』では「ヒーロー」と「小粋」は対になっていて、
- ヒーロー
- 颯爽、正義、「あっち」と「こっち」の両立
- 小粋
- ジョーク、悠々自適、あなたが笑ってたらいいじゃない
こんな感じになっています。世界の平和よりも「あなたが笑ってたらいいじゃない」っていう小粋なスタンスは、『HERO』のヒーロー像とよく似ています。
紛らわしいのは『KOIKI』に出てくる「ヒーロー」と『HERO』に出てくる「ヒーロー」は違うということです。
『KOIKI』に出てくる「小粋」が、『HERO』に出てくる「ヒーロー」といっしょの考え方を持っています。
Mr.Childrenが2002年に練り上げた理想形は、まだ「ヒーロー」という昔からある言葉を借りて呼ばれたものでした。
それが2015年になって、赤い公園が「小粋」という新しい名前を付けたのです♪
曲名 | HERO | KOIKI |
---|---|---|
Aメロ | 憧れ | ヒーロー |
理想 | ヒーロー | 小粋 |
どちらの曲にも、Aメロには理想“ではない”存在が出てきます。
そしてサビでは理想の存在が出てきます。
呼び方はまちまちだけど、どちらもタイトルが理想のほうを表しているのがおもしろいですね。
世界の描き方
さて。こっから先は詳しくない話なのですが、サブカルとかカルチュラルスタディーズとかの領域の話をしたくって!
wikipedia:セカイ系
「セカイ系」ってことばがあります。これを『HERO』と照らし合わせながら考えてみたいのです。
「セカイ系」とは、2004年ごろから活字出版物に現れるようになった言葉で
ということは、このころにはたぶん、目の前の「あなた」を救うことを通じてもっと大きな「セカイ」を救うことができると思われていたということです。
セカイ系は、それよりも前のレトロなヒーロー像とはまた違う感じです。
それよりも前だったら、ヒーローは品行方正で人格者でパワーがあって、世界を救えるし目の前の「あなた」(ヒロインとか)も救えるし、その両方を両立できるすごい人だったはずなのでした。
たとえばアンパンマンは、カバオくんの空腹を満たしつつ、バイキンマンとも戦えるのでした。最高!
ところが、セカイ系はもっと視野が狭くて、直接的にはヒロインのことしか見えていません。世界はその向こうにあるけど、主人公にはいまいち見えていません。
そういうところが、セカイ系と、それより古いヒーロー像との違いです。
そしてMr.Children『HERO』のあり方はさらに違いがあります。
だって『HERO』は、「あなた」を救うことは目指すけれど、もう「世界」を救うことは目指していないからです。そんなことは端から諦めてしまっています。
だから、セカイ系を過渡期にして、その後はどうやら、世界のことは諦めてしまっているふうに見えるんです。
わたしはマンガとかアニメとかまったく詳しくないんですけど、世界のことは諦める作品って、最近多かったりしないのかなー。
そう思ってWikipediaを読むと、
wikipedia:日常系
こういう記事に行き着くのでした。
日常系(空気系とも?)、
で、こういう感じのアニメやマンガは、大きなドラマや動きがないってことが書いてあります。
ドラマがない代わりに、描かれているのは日常です。
翻って『HERO』の歌詞を思えば、こういう歌詞があります。
ただこうして繰り返されてきたことがこの部分の中心を形づくっているのは「繰り返し」です。
そうこうして繰り返していくことが
嬉しい 愛しい
繰り返しとは日常のことです。起伏のある人生はそれはそれでいいけれど、そうではなくて一見単調に見える日常の繰り返しの中にもうれしさや愛しさがあるんだ、ってことを主人公は自覚しています。
このスタンスは「日常系」と呼ばれるオタク系コンテンツと地続きのものみたいですね!
ただし『HERO』のスタンスと日常系のスタンスは、同一ではありません。
『HERO』のほうが穏健派で、日常系のほうがもっとラディカルです。
『HERO』の冒頭はこんな感じでした。
例えば誰か一人の命と世界を救うことと自分の命を天秤にかける描写からこの曲は始まっています。
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
そして、天秤にかけた結果、自分の命を守るほうを主人公は選択します。
日常系には、この葛藤はそもそもありません。なぜなら、日常系は世界の平和を目指したりしないからです。
それは、日常系が『HERO』よりもずっと時代が下っていることとも関係するかもしれないなぁって思いました。
あるいは、音楽をやってる人とアニメを見ている人とのメンタリティの違いかもしれないと思いました。
それをまとめると、こんな感じになりそうです。

時代が下るにつれて、だんだん世界というものの存在感がなくなってきていることがわかりますね。
そして、そのペースは音楽よりもアニメのほうが少し早いかもしれないと予期できます。
もっと大規模なコーパスを用意して、統計的に処理すれば説得力のある議論ができそうかも! だれかやってもいいよ!!
というわけで、Mr.Children『HERO』でした。
いままで、Mr.Childrenの曲はほかにもたくさん読んだことがあります。
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
hacosato.hatenablog.com
なぜか主人公に悪態をついてる記事が多い気がするけどたぶん気のせい…。
ところでじつはこの記事の後半は
hacosato.hatenablog.com
これを書いたときにすでにできていたものだったのでした。
そのときに、あれっこれって『HERO』でやったほうがいいんじゃね??って気づいて、そして今に至っています。曲がりなりにもかたちになってよかったです♪次回はモーニング娘。'16『泡沫サタデーナイト!』の歌詞の話をしたいんです!
だってこの曲最高じゃないですか?? もっとめっちゃ流行ってほしい! 高校生もおじさんも知ってる曲になってほしい!!
*1:『波状言論 美少女ゲームの臨界点』孫引き