ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』の歌詞を妄想しました。
ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』歌詞(歌ネットへリンク)
このグループの歌詞のことを考えるのは、
に続いて2度目です。
前回『私以外私じゃないの』を読んだときには、その歌詞はゴーストライターのことを描いていると私は思いました。
今回の曲は、その続きです。
今回も主人公はミュージシャンです。この2曲はほんとによく似てます。
私は今日もそんなことを考えてました。ヒマそうだねだと? うるせえ。
ロマンスってなに?
私は、この歌詞の中で3つのこじつけを考えました。
まずはタイトルにもある「ロマンス」のこと。
さて、この歌詞の中で「ロマンス」とは何でしょう。
字義通りには恋愛沙汰てきな意味ですが、ふつう恋愛がありあまるってことはありません。
なので、ここでいう「ロマンス」は何かの比喩なのだと思います。
私は考えました。
ここでは、主人公にとって「ロマンス」とは、音楽活動のご褒美のことです。
それは例えば、名声や、お金や、女です。
これが、1つめのこじつけです。
僕にはありあまる前回『私以外私じゃないの』という曲をヒットさせた主人公は、予想をはるかに超える「ロマンス」を手にしました。
ロマンスがありあまる
通帳のケタが2つぐらい増えて、街を歩けばファンに取り囲まれ、言い寄る女が十指に余るようになりました。
でも主人公は、もともとそんなに功名心があるほうではありません。お金にも女遊びにも執着しません。
サビの部分は、そういう感じです。
この続きはこうです。
少し贅沢をし過ぎたみたいだ「贅沢」とは、お金を使うことではありません。
前回『私以外私じゃないの』という曲は、ゴーストライターの存在を描いた歌詞だと私は思いました。
今回の歌詞は、それとつながっています。
「贅沢」とは、曲作りをゴーストライターに頼ることです。
これが、2つめのこじつけです。
主人公は曲作りをゴーストライターに頼った結果、身にあまる「ロマンス」が舞い込むようになったのです。
完全にあぶく銭です。
自分で作ることへの気持ち
でも、主人公はゴーストライターに頼ることをよしとしません。
僕にはありあまる「死に物狂いで生き急いでんだ」とは、ゴーストライターに頼らずに、自分で曲を書くことだと思います。
ロマンスがありあまるけど
死に物狂いで生き急いでんだ
これが、3つめのこじつけです。
前回の『私以外私じゃないの』の歌詞に、こういう部分があります。
私にしか守れないものを私はこの部分を踏まえて以前、以下のように書きました。
身を削って紡いだら
案外さ、悪くないかもよ
主人公は決心するのです。
ああ、やっぱり自分で書こう、って。
http://hacosato.hatenablog.com/entry/20150420/watashiigaiwatashijanaino
命を費やして創作活動をする、っていうスタンスが、どちらにも共通して見えます。
だから、「死に物狂いで生き急いでんだ」とは、ゴーストライターに頼らずに、自分で曲を書くことだと考えたのです。
1→2→3人称
ところで少し話が変わります。
この曲の登場人物に注目すると、いいことがわかります。
この曲、登場人物が1人称から始まって、だんだんと広がりが出るように描かれてます。
1番を引用します。
空いたワインのボトルを見た主人公は、ワインのボトルを見て「荒み切った僕の心みたい」って思うのです。
荒み切った僕の心みたい
周りの風景は、自分の心象風景と関連づいて見えています。
ああ背伸びし過ぎたかな周囲にも人はいるけれど、歌詞の中心は自意識です。
ああまた嫌われたかな
とか考えたりしながら星を仰ぐ
「嫌われた」という事実があるのではなく、「嫌われたかな」と思っている描写なので、この部分の中心は1人称です。
ところが曲が進むと、こういう部分が出てきます。
もういっそ枯れちまえばいいこの曲で唯一の「あなた」が出てきます。いままでに出てこなかった2人称です。
そう思って叫んだ嘘も
あなたには届かないから美しいんだ
主人公は最初は自分のことしか考えていなかったのに、途中で「あなた」のことが出てくるようになります。
いままで思い至ることのなかった2人称が現れて、主人公の視野が少し広くなったことが感じられるのです。
さらに。
悲しくって泣けるなんてものよりさらにその後には「名前も知らぬ誰か」が出てきます。
棘を取った優しさなんてものより
ずっとずっと美しいんだ
信じてくれよ
名前も知らぬ誰かが僕の音をさらった
これは3人称です。
主人公は最初は自分のことしか考えていなかったのに、途中で「あなた」のことが出てくるようになり、最後には名前も知らぬ誰か」まで登場します。
曲が進むのとシンクロして、主人公の視野がどんどん広くなってる!
けど→から
視野が広がるのに呼応して、主人公の創作についての考え方も少しずつ変わります。
僕にはありあまる1番のサビの後半はこういう感じでした。
ロマンスがありあまるけど
死に物狂いで生き急いでんだ
ロマンスがありあまる“けど”、死に物狂いで生き急いでいます。
「けど」という逆接が使われています。
ゴーストライターに頼ることでじゅうぶんなご褒美を手にして、ふつうだったら命を削って創作活動などする必要がないのにもかかわらず、自分で創作しようとするからです。
ところが。
僕にはありあまる最後のサビで「いつも贅沢に怯えていたんだ」と主人公は告白します。
ロマンスがありあまるけど
いつも贅沢に怯えていたんだ
「贅沢に怯える」とはつまり、ゴーストライターに頼ることに怯える、ということです。
僕にはありあまる最後の最後は、ロマンスがありあまる“から”死に物狂いで生き急いでいます。
ロマンスがありあまるから
死に物狂いで生き急いでんだ
逆接ではなくて順接に変わっています。
いますでにご褒美がたくさんあるけど、だからこそ、自分で創作したい、という気持ちに、主人公は変わったのです。
状況はずっといっしょだけど、主人公の心の持ちようだけが少し変わります。
この感じも『私以外私じゃないの』と同じです。
私以外私じゃないの』では、「私以外私じゃないの」というフレーズの持つ意味が、後半に進むにつれ少しずつずれていくところにおもしろさがありました。
『私以外私じゃないの』と『ロマンスがありあまる』の2曲は、主人公のわずかな心持ちの変化を描写している点でも、とてもよく似ていたのでした。
というわけで、ゲスの極み乙女。『ロマンスがありあまる』でした。
っつーか、この記事を書くにあたって辞書を引いてたんですけど。
お前は何を言ってるんだ…。 pic.twitter.com/i9qbg1jQFx
— ハコサト📦 (@hacosato) 2015年7月11日
新明解さんウケたwww
7月5日号、書くことができずに不甲斐ない思いです。書けなかったのは初だよ…。これからはできるだけ休まずに続けていこうと思ってます〜。でももう次回の記事書き上げてあるもんね〜。
ということで、次回はShiggy Jr.『サマータイムラブ』の歌詞のことを妄想します♪