5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

miwa『オトシモノ』

すれ違うふたりの物語だとしたら
こんにちは。
今回はらりれろさんのたってのリクエストにお答えしまして、miwa『オトシモノ』を取り上げてみたいと思います。遅くなってしまってごめんなさい。うまく考えがまとまらなかったのです…。ちなみにmiwaは『春になったら』以来2回めです。
オトシモノ
この曲は、

大事な君のオトシモノ 気付かずに風吹いて
吹かれて飛んでいく 手の届かない遠くへどこまでも

という歌い出しで、ちゃんとキーワード『オトシモノ』が出てきます。だからそんなに迷子になることはない歌詞なのかと思いきや、ぜんぜんそんなことはなかったのでした。ちょっと読み進めて、私は一度あきらめてしまったのでした。オトシモノ、遠く、ここ、夢、夜空…。場所がたくさん出てきすぎてワケわかんないよ!
そんな私はあることに気付くまで、ずっとぐるぐるワケわかんなくなっていました。さて、なにに気付いたのかというと…。
今回はそんな話をしていきます。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND103697/index.html
構成はこちら→Aサビ-Aサビ-C-サビ-サビ-アウトロ

ふたりの物語だとしたら

名詞ばっかり見ていたら、私はひとつ大事なことに気付きました。
1連に

早くここに戻らなきゃと は必死に追いかけた

という連があります。
一方2連には、

大事な君のオトシモノ なくしたのはのせい?

という連があります。あれ? 「僕」と「私」がいる! ということは。
この曲はたぶん、1連と2連で視点が違ってるのだと思います。冷静になって歌詞を追いかけてみましょう。

大事な君のオトシモノ 気付かずに風吹いて
吹かれて飛んでいく 手の届かない遠くへどこまでも
早くここに戻らなきゃと 僕は必死に追いかけた
「いまさら間に合わない」と君は言うけれど
それでも あきらめない

1番のAメロを引用しました。オトシモノは「私」のほうが持っていたもので、それを「私」が落としたので「僕」が追いかけている、という状況が目に見えると思います。
「いまさら間に合わない」とこぼす「私」「私」のほうはあきらめムードですが「僕」のほうは必至にそれを追いかけに戻って、そして早く「私」のいる場所に戻ってきたいと思っています。そういうシチュエーションです。

失くしたものの大切さを もう一度光にあてて輝かせたい
想いが欠けて消えそうなら あの星屑集めて君に届けてみせるから
待ってて

続く1番のサビを、どーんと全部まとめて引用します。「あの星屑」っていうのが新しく出てくる場所です。この曲にはほかにも「月のカケラ」が出てきますから、夜空っていうのがひとつの大事な場所みたい。夜空ってどういう場所を意味するんでしょう。
「あの星屑」って言ったらたぶん「僕」「私」がふたりで並んで見上げるもので「僕」が空に向かって指で示したりするような、そういう状況が浮かぶと思います。そのときにはふたりは空を見上げているわけなので、ふたりの行く先に夜空があります。落とし物は後ろを振り向いて取りにいくものですが、夜空は前を向いて目指すべきものだと読めます。
そこで「僕」は、「想いが欠けて消えそうなら あの星屑集めて君に届けてみせる」って言っています。欠けて消えそうな想いとは「オトシモノ」のことでしょう。だとすると、彼の主張はこの1文から見えてきます。星屑があれば、オトシモノの埋め合わせができる、ってことです。
もっと一般化していうと、前向きさがあれば、なくした後ろ向きは埋め合わせできる、ということです。

「私」の想い

では、2連以降に進んでみましょう。「僕」の連は終わり、ここからは「私」の連です。

大事な君のオトシモノ なくしたのは私のせい?
夢に近づくほど 離れてくのが怖くて逃げていたの

この2行がとっても示唆的だと思います。「私」目線のほうでも「大事な君のオトシモノ」と出てきています。「オトシモノ」はどちらかのものだったんじゃなくて、ふたりのものだったのね、と分かります。が、私が注目しているのはその次。
「なくしたのは私のせい?」って。
オトシモノはふたりのものです。ということは、オトシモノをなくしたのはどちらか片方のせいではないはず。「僕」からすると「私」がオトシモノをしたように見えているのでしょうが、「私」からすると違うのです。
オトシモノの正体は、たぶん1番のサビに出てきた、欠けて消えそうな想い、です。ふたりは想い合う気持ちをどこかへ落としてしまったのだと思います。それが大事だとはお互いに思っています。でも、落としたのは相手だ、とも、お互いに思っているのです。
たぶん、客観的に見たら「私」のほうが想いを欠かしているように見える感じなんじゃないかな、と私は勝手に思っています。「夢に近づくほど 離れてくのが怖くて逃げていたの」って書いてあるから。「僕」が夢に近づくほど、ふたりは離れてしまうように「私」には思えていたんですね。だから「私」は逃げてしまっていたのです、想い合うことに。
「僕」からしてみると、そんなものはオトシモノに見えます。「僕」からしてみたら、夢に近づくことと、互いを想い合うことは両立することです。「私」からしてみたら、そんなものは両立しません。だから「僕」が夢に近づくにつれ、わざとオトシモノでもしないとかまってくれなくなるかも、と「私」は無意識にでも、思っているのではないでしょうか。
…なんて書くと「私」がすごく打算的でイヤな感じに見えますが、実際にはもちろんそんなことはないと思います。夢か想いとかを天秤にかける中で、やっぱりそういう気持ちになることは、あると思うのです。そして天秤から落ちてしまったものが「オトシモノ」なのでしょう。
この曲には、結論まで書いてないみたい。だからふたりはすれ違ったままだったのか、それとも分かり合える日が来たのか、私には分かりません。
でもこの歌詞の終わりはすごく印象的です。

失ってから大切さに 気付いても今から輝きとりもどせる
想いが欠けて消えそうなら あの星屑集めて君に届けてみせるから

待ってて 信じて

こういう「僕」のメッセージで終わっているから。夢の先には「君」がいるよ、というメッセージに「私」がちゃんと気付いていられたら。「待ってて 信じて」というメッセージをちゃんと受けとめられたら。
ふたりはたぶん、大丈夫だと思うだけどな。そしていきものがかり『ありがとう』のように、

"あなたの夢"がいつからか "ふたりの夢"に変わっていた

と言える日がすぐに来るんじゃないかなぁ。



というわけで、読んでみました。曲の途中で視点が切り替わる曲といえばつい先日加藤ミリヤ×清水翔太『Love Forever』を取り上げたばかり。この曲を読んだからこそ私は『オトシモノ』の大事なところに気付けたのだともいえます。こうしてちょっとずつ前進していきたいものです。
らりれろさん、どうもありがとうございます☆
https://itunes.apple.com/jp/album/otoshimono/id573298385?i=573298633&uo=4&at=10lrtS次回予告:次回は間に合えばAKB48『GIVE ME FIVE!』をやり…たいです(笑)。