5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

JUDY AND MARY『小さな頃から』

夢から現へと流れるひとすじの時間
こんにちは。
今回はJUDY AND MARY『小さな頃から』を取り上げたいと思います。

小さな頃から 叱られた夜は
いつも 聞こえてきてた あの小さなじゅもん

こんな出だしが印象的。もう、この2行だけですごくせつない(>_<)o きっと主人公はもう小さくもなくて、叱られることも少なくなったのでしょう。そんな立ち位置から想起するこの小さな頃のエピソードは、いま、どんな意味を持っているのでしょう。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND7889/index.html
構成はこちら→AA-AA-B-A-C-(間奏)-B-A-アウトロ

じゅもん

この曲は、前半の2連で「じゅもん」のことをたくさんたくさん語ります。それはなぜかというと、前半でしか語ることができないからです。
一度チャンスを逃してしまうと、もう語ることができない一方通行な感じは、
子どもから大人になることと似ています。
ひとたび大人になってしまったら、なにか特別なこと(たとえば、荒井由実『やさしさに包まれたなら』)がない限り子どもに戻ることはできません。『小さな頃から』は、子どものころのエピソードを回想するところから始まっています。
回想には必ず終わりがあります。回想が終わると、そこにいるのは大人になった自分です。それを表現するために、この曲の回想シーンは最初だけで終わってしまうのです。

小さな頃から 叱られた夜は
いつも 聞こえてきてた あの小さなじゅもん
静かに流れる 時にいつの日か
あたしは 眠れる森に 連れ去られてた

「じゅもん」が聞けるのは夜だけです。あたしが連れ去られる「眠れる森」というのは、眠りの国のことなのでしょう。叱られた夜に聞こえるじゅもんになぐさめられて、それに聞き入っているうちにいつの間にか眠ってしまうような小さな女の子がいます。

小さな頃から 見えない力で
あたしを強くさせる あの小さなじゅもん
たくさんの傷と 争う夜にも
抱きしめるたびに いつも震えて響く

そのじゅもんに特徴的なのは「いつも」ということ。叱られた夜だけではありません。その女の子には「たくさんの傷と 争う夜」があります。試練は絶え間ありません。それでもいつだってじゅもんは守ってくれます。じゅもんはそんな風に、女の子を安心させてくれる存在です。
そして、Bメロはこう続きます。

すりきれた 言葉達の かけらさえも もう
どこかへ 消えたわ

この「言葉達」はもちろん「じゅもん」のことでしょう(英語では言葉も呪文も「spell」と言います)。
小さな頃に主人公を守ってくれた存在は消えてしまったのです。さらに、

壊れそうなのは 夢だけじゃないの
窓から差し込む光 もう行かなくちゃ…

こんな続き方をします。とても示唆的です。
だって、「壊れそうなのは 夢だけじゃないの」って言われたら、夢じゃないものも壊れそうだということですから。
の反対は現(うつつ)。つまりこの部分が表現しているのは、夢も壊れそうだけど、現実も壊れそうだということです。
「夢」は子どものころの思い出、「現」はいまここにいる大人になってしまった自分、に符合します。子供のころの思い出が壊れてしまいそうなのと同時に、大人になったいまの自分も壊れてしまいそうになっています。

ひとごみ

最初の連で「じゅもん」はひらがなで書かれていました。これと対になる言葉が、最後の連にあります。それは「ひとごみ」です。

ただ 歩く ひとごみにまぎれ
いつも なぜか 泣きたくなる

どんな人ごみにも大きな流れがあります。花火大会だったら駅から会場へ向かう流れがあるし、会場から駅へ向かう流れがあります。通勤電車なら乗るほうへの流れと、降りるほうへの流れがあります。
流れといえば、この曲の前半にもそんな言葉が出てきました。

静かに流れる 時にいつの日か
あたしは 眠れる森に 連れ去られてた

ここにありましたね。この曲、最初から最後までずっと流れているものがあります。それは時間です。
時間は最初はじゅもんのメロディとして流れていました。。それが最後には、ひとの流れとして、同じように流れています。
でも、「ひとごみにまぎれ」っていったら、単に人の波に流されているだけではない主人公の姿が浮かび上がっています。だからといってひとごみに逆らうような強い意図も見られません。
ひとごみの中で前後不覚になって、向かうべき方向も分からなくなってしまって、立ち止まる勇気もなくて、泣きたくなる感情だけを抱えている、そんな姿が描かれます。
ひとごみに対するこの心情はきっと、時間に対する心情とも符合します。勝手に流れてしまう時間に対して、安易にそれに流されるわけにはいかない気持ちがあります。かといって反発するわけにもいきません。
時間は勝手に流れます。人々は勝手に歩いていきます。主人公は、その流れに、どうしても乗れずに戸惑っています。
私はこの曲の最後の部分に、そんな戸惑いの気持ちを感じました。主人公は単にひとごみに紛れて泣いているのではありません。それと同時に、時間の流れにも紛れて、戸惑っているのだと思います。

つながリンク

前回 取り上げたのはNIKIIE『HIDE & SEEK』。今回 取り上げたJUDY AND MARY『小さな頃から』との共通点は「行かなくちゃ」
前回 取り上げたNIKIIE『HIDE & SEEK』では、

私もそろそろ行かなきゃ
私もそろそろ‥

というCメロの部分に「行かなきゃ」が出てきます(ちょっと言い回しが違いますが)。勢いのあるメッセージを手向けていたサビとは対照的に、内省的なイメージが強く出ているCメロです。
「走ってくんだよ」というメッセージを強気で発し続けていた主人公が、この部分だけは我が身を振り返っている印象を私は受けました。そもそも、だれかに対してメッセージを送るって、ほんとうはそのメッセージを自分自身にも届けていることが多いと思うのです。『HIDE & SEEK』の「行かなきゃ」は自分を鼓舞するための独り言です。
一方、今回のJUDY AND MARY『小さな頃から』では、Bメロが明けてからのAメロに「行かなくちゃ」が出てきます。

少し眠ったら 朝はまたくるわ
窓から差し込む光 もう行かなくちゃ…

この歌詞は夜から始まっています。そして、曲の途中で朝になります。
夜から朝になる曲は、BUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』とかがあります。こういう曲って、夜にあった暗い気持ちが朝になると明るく晴れ渡る、っていうストーリーを描くことが多いように思います。
ところが、『小さな頃から』はそんな風に簡単にはいきません。そもそも主人公はずっと時の流れにとまどいを覚えているから。からになったところで、それは子どもから大人になるようなもので、困った気持ちはちっとも改善しないのです。
窓から差し込む光を受けて、「もう行かなくちゃ…」とつぶやく主人公に、明るい兆しはあんまり見えません。大人としての義務を果たさなくてはならない理由で、行かなくちゃいけない状況に追い込まれてしまっているのかな、って私はこれを読んで思ったのでした。



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