5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

カミナリグモ『ローカル線』

-草食な僕、草食な電車-
こんにちは。夜もあっつくなっちゃった…。氷まくらが手放せないのです。エアコンないから。
[asin:B003N4TQ46:image]
今回はカミナリグモ『ローカル線』を取り上げたいと思います。なんと、7月にメジャーデビューしたばっかりのバンドです。私にしては耳が早い♪ 今年リリースの曲を取り上げるのは中川あゆみ『 事実 〜12歳で私が決めたコト〜』と、大塚愛『I ♥ ×××』に続いて3度めです。J-POPを取り上げるブログなんて鮮度が命のはずなのにいいのかこんな選曲で…υ
さて、この『ローカル線』、歌詞はというと

橋を渡る ローカル線の 最終便は
大げさな 音をたてて 夜空に溶けていく
水面で揺れる 青い列車が キラキラ泳ぐよ
キミはちょっと 照れくさそうに また少し笑った

なんて始まりかたです。空白の多い書き方が寡黙な感じ。
登場人物は「キミ」と「僕」と、それから「ローカル線」みたいです。んー、この曲ではローカル線ってどんな意味があるんでしょう? 単にローカル線に乗っていたときにこの曲を思いついたから、なんて安直な理由でローカル線を取り上げたなんてわけないはず。きっとローカル線となにかを重ねあわせているんでしょうね。それをなんとなく思いながら、歌詞を読み進めてみましょう。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=98544
構成はこちら→A-Bサビ-A-B-サビ-C-サビ-アウトロ

ローカル線ってなに?

もちろん、辞書を引いてみればローカル線の字義通りの意味はすぐにわかります。

鉄道など交通機関の、幹線から分かれた地方支線。特定の地域を走る路線。
なんて風に書いてあります。だいたい単線で、車両も2両とか1両とかで短くて、多くても1時間に1本ぐらいのペースでしか来なくて、森だったり海だったり、あんまり人の気配のないところを行く、というイメージがありますよね。
でも私に興味があるのは、この曲の中でローカル線がどういう位置づけなのか、ということ。わざわざ歌にするぐらいです。ローカル線をその中心に据えたのには理由があるはず。

それは今夜だけのアトラクション
僕はピエロにでもなる

1番のBメロを引用してみました。ローカル線は「アトラクション」なんだって。遊園地にある観覧車とかジェットコースターとか、そういうもののひとつひとつをふつうはアトラクションって呼びます。アトラクションってどんなものでしたっけ。考えてみると、現実の世界とはちょっとだけ違った別の世界、って意味があるかな、と思ったりしました。いったん遊園地の世界を離れて、観覧車なら観覧車の世界を楽しんで、それを降りるとまた現実の世界に戻ってくる、そういう行き来がアトラクションの特徴っぽくないですか?
この曲の中では、ローカル線はアトラクションだと言っています。だから電車の中の世界は、日常の世界とはちょっと切り離された別世界のような場所なのかもしれませんね。
そういえば夜の電車って、外が真っ暗になるとほんと、どこを走っているのか知っているはずでもわかんなくなってしまったりしますよね。電車の中でうとうとしてて、はっと目を覚まして、外を見たとき、夜だったら外は真っ暗で、ときどき街灯の光が後ろへと流れて、窓ガラスには寝ぼけ眼の自分の姿だけが映っていたりするシチュエーション。あれっ、ここはどこなんだ? ってなっちゃうのは私だけじゃないはず。まるで見知らぬ場所にトリップしてしまったかのような感覚です。
でも、ローカル線は私たちの知っている世界と地続きですし、地図にも載っていますし、このローカル線の世界を現実のものとして毎日を暮らしている一般の人がいます。このへんが観覧車とかとの大きな違い。

にじんで揺れる 車窓の明かり まばらな乗客は
誰も彼も くたびれて 何を想うのだろう
今日の出来事 明日のこと 帰りを待つ人のこと
僕はずっと 夢を見てる 瞬きも忘れて

2番のAメロですが、この対比はけっこう鮮やかですね。前半の3行は乗客の話をしています。この電車は、乗客にとっては日常です。一方、最後の1行は僕の話。僕にとって、この電車は夢の世界です。ローカル線の中では、夢と現実がちょっとずつ混ざりあっているんですね。
そういえば1行め、ローカル線は「橋を渡る」って書いてありましたね。橋を渡るということは、橋の向こうの世界とこちらの世界に断絶があるということです。そしてちょうどその断絶を越えようとしている、ということですね。そうか。夢の世界に半分だけ足を踏み入れた、そういう位置にローカル線はいるですね!

ピエロってなに?

さっき引用だけしてまったくふれませんでしたが、1番のBメロの2行めは、

僕はピエロにでもなる

でした。ローカル線の中はアトラクションだから、その中で僕自身も変身することができるわけです。
でも変身先がピエロっていうのはおもしろいですね。ピエロってぶっちゃけ、私だって着替えてメイクすれば変身できちゃいそうな見た目なのです(やんないけど)。だから変身できるといっても大したことはなくて、その大したことのない感じがローカル線の過渡期な感じとシンクロしているように見えます。
しかもピエロって、おどけた動きをしたりして笑い者になる役割の人ですよね。そういうキャラクタを選ぶのって、なんというかちょっと自嘲した感じです。変身するといっても、ちょっと照れがあるっぽいところがまた、変身しきれてない感じがしてぴったり。
1番のサビに

言えずにいたこと 僕のかたち いびつな夢 キミに見せたいなあ

って部分があります。変身したらかっこいい自分になって、キミに言えなかったことも言えちゃうようになるよ!ってのがふつうの曲の描くストーリーです。でもこの曲は変身先だってピエロですし、そんなにかっこいい姿に一気に進めるようにはできてないのです。
「言えずにいたこと」ってなんだろう? だいたいそういうのってCメロの前後かな? と思って探してみると、まさにCメロがこんな感じです。

そうだ 明日 キミを 旅に誘うよ

えっ? と、とぎれとぎれにしゃべって、曲の中のCメロという特等席にありながら、この程度かよ…。もっとはっきり言っちゃえばいいのに。失礼ながら私はそんな風に思っちゃいました。
だってだって、「キミはキレイだなぁ」と歌ってしまうような僕です(話すと長いのでやめますが、「キミはキレイだなぁ」は心の中で思っただけであって、キミに向けて伝えたわけじゃないと私は思っています)。たぶん僕はキミのことを好きなんでしょう。でも好きだなんて言えてません。旅に誘うのがせいいっぱいなのですが、ふたりでローカル線に乗ってる時点ですでにけっこう旅だから、正直これってそんなに進展のあるフレーズじゃないのです。しかも「明日」だし。
でもね、でもね、こんな風に書くと私がこのフレーズにがっかりしているみたいですが、まったくそんなことはなくて、むしろしみじみといーなぁ、と思ってしまっているのです。だってまだ電車は橋を渡っているところですし、僕はピエロになる程度で立ち止まっているんです。夢の世界の力を使って変身して、それで精一杯のフレーズがこれなのです。あまりにも弱いこの草食な感じに、私は逆にハートをつかまれちゃうのです☆

電車は前には進まない

この曲、最初のサビと最後のサビはまったく同一です。歌詞も同じだし、音的にもほとんど同じに聴こえます。電車に乗ってるんだから実際には前に進んでいるはずですし、理屈の上では最後には終点にたどり着いてふたりが電車を降りるときが来るはずです。でも曲も歌詞も前には進みません。
1番のサビにある「22時のローカル線」は、2番のサビになっても「22時のローカル線」のままです。RADWIMPS『有心論』だったら、「22時のローカル線」は「23時のローカル線」になり、最後は「24時のローカル線」になっちゃうことでしょう。でもこの曲は22時のままです。
私はこれも、“狙ってやっている”ことだと思ってます。この曲は変化を描きたいんじゃなくて、変わりつつあるという“状態”を描きたいのだと思うから。荒井由実『やさしさに包まれたなら』と同じように、この曲は状態を描くタイプみたいだと読みました。なにかを“する”ことを描くのではなくて、なにかが“ある”ことを描いた曲なのです。物語ではなくて図鑑型です。RADWIMPS有心論』と比較しながら、前につくった表に当てはめてみましょう。

描くもの 動詞
RADWIMPS『有心論』 変化 する 物語
カミナリグモ『ローカル線』 状態 ある 図鑑

それに、ローカル線は橋を渡っているところです。でもまだ渡りきっていません。
僕は言えずにいたことも言えそうです。でもそれはまだほんのちょっとしたフレーズです。
そういうところもシンクロしていますね。でもそこでがつがつ前に進もうとしないからこそ、この曲は等身大に感じられるんでしょう。

まとめ

では、前回のRADWIMPS『有心論』とこの曲を比べてみましょう。共通点は、「のまま」です。「のまま」ってなんだよ、ってお思いでしょうか? 『有心論』には、「今のまま」という歌詞があり、『ローカル線』には「このまま」という歌詞があります。両方とも現状のまま、って感じの意味なので、近い関係にあるなぁと思ったのです。

今日も生きて 今日も生きて そして今のままでいてと
白血球、赤血球、その他諸々の愛を僕に送る

有心論』の最後の最後です。有心論は、物語型ですから、主人公の気持ちは曲の中でかなり大きく右にぶれたり左にぶれたりします。最終的には「永久幸福論者」になる状態の描写で終わるのですが、その状況下で上に書いたような歌詞は出てくるわけです。
だからここでは、「今のままでいて」は、「永久幸福論者」のままでいて、という意味が読み取れそうです。
一方でカミナリグモ『ローカル線』はというと、

このままずっと闇を照らせ ローカル線

このこころ揺らせ ローカル線

という感じで曲が終わっています。
ひとつ前の節でふれたように、この曲の中ではローカル線は僕のこころとシンクロしているみたいでした。ならきっと、ローカル線が闇を照らすというのは、僕のこころの闇を照らすことでもあるのでしょう。ふつう、こころの闇というと、ダークでどろどろした、邪悪で人にはいえないような感情を指すことが多いように想えますが、この曲は違います。どちらかというと、ローカル線が闇を照らすように、僕のこころの見えない部分も見えるようになったらなぁ、というような意味なのでしょう。そしてそのぼんやりした希望は曲の中では叶ったりしないままです。ぼんやりした希望の状態のままで曲は終わるのでした。



それにしても草食な歌詞だなぁと私は思いました。最後の最後だって、ローカル線は力強く闇を切り開くともいえるのに、僕はというとつい「見えるようになったらなぁ」なんてぼやけた語尾を書き加えたくなっちゃうぐらいです。だってそのほうが座りがいいんだもん。これからこういう歌詞がはやったりするのかなぁ? ぼんやり注目していこうっと。
では。アトラクションの外の現実の世界では、熱中症がはやっているみたいなので気をつけましょうね。ところで日射病との違いってなに?[asin:B00405OIV8:detail]
ローカル線

ローカル線