5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

レミオロメン『3月9日』

-瞳を閉じた世界にあるもの-
こんにちは。3月ですねえ。3月ってそれだけで大好きなんです♪
3月9日
さて、今回はレミオロメン『3月9日』を取り上げようと思います。ちょうど時期的にもぴったりな曲です。私のテンションとは裏腹に、曲調も歌詞も落ち着いた感じ。

瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい

という、威力のあるフレーズがサビになっている珠玉のラブソングです。今日もこの歌詞をおいしく味わっていきたいなと思ってます。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=18874
構成はこちら→A-B-A-B-サビ-A-B-サビ-C-(ブリッジ)サビ

歌詞

風が洗濯物に絡まる→月がきれい、の流れ

前に私がオフで友だちと話をしていたときのことです。J-POPの歌詞の話になって、友だちは歌詞について、こんなツッコミをしてたことがあったのです。

「でも、歌詞を見てて、なんでこのあとにこれが来るんだよ! さっき言いかけたのはどうしたんだよ!とツッコミ入れたくなることがあるんだよね」
って。
確かに! YUKIとかはそんなんばっかり。
そんな脈絡がなさそうなシーン、『3月9日』にもあります。たとえば、2番のAメロ。

砂ぼこり運ぶ つむじ風
洗濯物に絡まりますが
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで 見とれました

2行めから3行めは、風が洗濯物に絡まる→月がきれいの流れです。
おかしいです。月に見とれている主人公の洗濯物は、風に巻かれてちゃってますが大丈夫なのでしょうか。
ここは“飛躍してる”部分です。彼にとってはツッコミどころ、私にとっては読みどころだ! 読もう。
そう思ってすぐ先を読んでみると、この疑問は、すぐに解決します。
続くBメロに解説が入っているのです。

上手くはいかぬこともあるけれど
天を仰げば それさえ小さくて

この2行、前半→but!→後半、の流れが、Aメロの洗濯物のくだりとまったく同じです。
Bメロの「上手くはいかぬこと」とは、Aメロの「風」が「洗濯物に絡ま」ること。
Bメロの「天を仰げば それさえ小さくて」は、Aメロの「月」が「きれいで見とれ」たこととそれぞれ呼応しています。
つまり、Aメロでたとえ話をしておいて、本当に言いたいことをBメロで改めて伝え直す、って構造になっているのです。Aメロが例示、Bメロが解説、という関係になっているわけです。
表にすると、こうなります。

  前半 but! 後半
Aメロ
例示
砂ぼこり運ぶ つむじ風
洗濯物に絡まりまります
昼前の空の白い月は
なんだかきれいで 見とれました
Bメロ
解説
上手くはいかぬこともある けれど 天を仰げば それさえ小さくて

ってことですね。
わからなかった部分が、わかるようになりました。ここは、例示と解説の関係になっていました!
実は、AメロとBメロは、ほかの部分も全部、例示と解説の関係になっています。たとえば、3連と4連も。

溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
 
新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと

3連は全部、主人公の身の回りの身近な「例示」。4連は全部、もっと抽象的で一般的な「解説」です。前半は世界の話、後半は「あなた」の話、というのもきれいに呼応しています。

  前半 後半
Aメロ
例示
溢れ出す光の粒が
少しずつ朝を暖めます
大きなあくびをした後に
少し照れてるあなたの横で
Bメロ
解説
新たな世界の入口に立ち 気づいたことは 1人じゃないってこと
動と静の対比

AメロBメロの関係はどこもおもしろいですが、また2番のAメロBメロに戻りましょう。
この2つの連は、それぞれ前半にネガティブな要素、後半にポジティブな要素があります。
6連でいえば、「つむじ風」がネガティブ、「白い月」がポジティブです。
Chara『TROPHY』でも出てきたように、風は動きのイメージがあります。
http://d.hatena.ne.jp/hacosato/20100105/trophy:embed1
一方で、月は動きません。
ここに動と静の対比があり、動がネガティブ、静がポジティブとして描かれているみたいです。
おもしろいのは、その組み合わせです。動のほうがポジティブに捉えられることが多いそうなのに、ここでは逆です。

ネガティブ ポジティブ
つむじ風 白い月

続く8連を見てみましょう。

青い空は凛と澄んで
羊雲は静かに揺れる
花咲くを待つ喜びを
分かち合えるのであれば それは幸せ

「澄んで」「静かに」「待つ」たくさんの静的な単語が並びます。そして最後に「それは幸せ」と結ばれます。静がよきものとして捉えられていることは明白です。
それは「激動はないけれど、小さくても温かな家庭」という、家庭の理想像のひとつとリンクするかも。

サビの「瞳を閉じれば」もそうです。瞳を閉じたときに広がるのは静的な世界です。そこにいるのは「あなた」です。外部の情報をシャットアウトしたときにできる瞳の中の世界は、静的な世界の極地です。表にまとめるなら、こんな感じになるでしょう。

ネガティブ ポジティブ
つむじ風 白い月
  澄んで・静かに・待つ
瞳を閉じれば

この歌詞はこんな風に、静かで穏やかな未来を夢見ているんですね。その穏やかさは、3月の暖かい日のイメージにぴったりです。

まとめ


前回のスキマスイッチ『奏』と、今回のレミオロメン『3月9日』、共通点は「季節」というフレーズです。
『奏』では、

君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように

というサビのフレーズで、「季節」という言葉が登場します。
『3月9日』では、

流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます

と、曲の最初に「季節」が出てきます。
どちらも、「月日」と言い換えてもいいし、「年月」でもいいし、「時」や「時間」であっても不自然じゃありません。でも、「季節」という表現が選ばれています。
「季節」とか、「月日」とかって言葉は、だいたい同じ意味を持っています。でもそのスパンが違いますね。
日々≒毎日<月日<季節<年月、ってぐらいの並び方。
その中で、どちらの曲においても「季節」がちょうどよかったわけです。
『奏』では大人になるスピードをこの言葉を借りて表現しています。普通は急に大人になったりしませんから、「年月」ぐらいの表現が普通は適切です。
でもここではあえてそれよりスパンの短い「季節」が選ばれました。「季節」という言葉を選ぶことで、『奏』では“こんなに早く大人になるなんてね”という、歌い手の思いが伝わってくるような歌詞に変身しました。
『3月9日』では、忙しい毎日の中に“静”を見つけたときのことを描くときに「季節」が出てきます。
「日の長さを感じます」ですから「年月」を選んでしまったらちぐはぐですが、ここは「時」とかでも意味はおかしくなりませんよね。でも『3月9日』では「季節」を使うことによって、このフレーズに鮮やかな色がつきました。
「季節」って言葉には、ほかの表現とは違って色がありますよね。
それも踏まえてこの表現になっているんだろうなあと私は思います。
なにより、春になった、っていうちょっと明るい気持ちが、歌詞の中からにじみだしてくるように感じられるのはステキなことですね。



https://itunes.apple.com/jp/album/3yue9ri/id662091619?i=662092038&uo=4&at=10lrtS
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2015/03/08手を加えました。