きょうは、槇原敬之『どうしようもない僕に天使が降りてきた』という曲の話。1996年の曲です。
歌詞の始まりはこういう感じ。
勢い良くしまったドアで
舞いあがった枕の羽根
今夜はついに彼女を
怒らせてしまった
昔の恋人のくれた
めざまし時計を
何度言われてもずっと
使ったのが気にいらない
ここからシーンが変わり、舞台も変わり、お話はどんどん進んでいきます。この歌詞は、物語型なのです。
その後J-POPの中で、物語を描いた歌詞は流行していきます。
だけど、この歌詞の物語の描き方は、そのあたりとはちょっと違うように思います。
きょうのはそういう話。
視点の視点から。
わたしは、歌詞には図鑑型と物語型があると考えています。
図鑑型というのは曲を通じて描く世界に変化がないもの、 物語型というのは曲を通じて描く世界が変化していくもの、です。
以前ゆず『からっぽ』のことを考えたときにまとめたことがあります。
今回の槇原敬之『どうしようもない僕に天使が降りてきた』はどう見たって物語型です。
でも、その描き方は、わたしが知っているほかの物語型の歌詞とはちょっとちがう感じ。
それをいまから追いかけていこうと思います。
まずは冒頭のシーン。
勢い良くしまったドアで
舞いあがった枕の羽根
今夜はついに彼女を
怒らせてしまった
時間帯は夜で、場所は部屋の中。主人公が「彼女」を怒らせてしまい、「彼女」が部屋を出ていくところから物語は始まります。
「怒らせてしまった」と書いてあるので、この部分は主人公である「僕」の目線で描かれています。
ところが。
昔の恋人のくれた
めざまし時計を
何度言われてもずっと
使ったのが気にいらない
続くシーンでは「使ったのが気にいらない」とあります。
こういう言い方をしないわけではないと思うけれど、でもこれって「僕」目線でいうと規範的な言い方ではないと思います。
日本語では、他人の心情に対して「気にいらない」とは言いづらいからです。
ふつうは「気にいらなかったらしい」とか「気にいらなそうだ」とか言うはず。
でも自身の心情についてだったらそう言うことも不自然でありません。
ということはここ、主人公の目線ではなくて「彼女」自身の目線なんです。視点が移動した!
続くBメロ。ストーリーの進行に伴ってきちんと盛り上がっていくメロディが素晴らしくないですか…。
飛び出した彼女の手の中で
チクタク まるで時限爆弾
近くの空き地に違いない
今すぐ 追いかけよう
「違いない」「追いかけよう」と判断しているのは「僕」です。
「彼女」の目線だったら、「(「僕」が)追いかけた」「追いかけようとした」みたいな言い方になるはずだから。
ということは、Bメロは改めて「僕」の目線になります。
そしてサビ。
走る君の髪で シャツで
揺れるたくさんの白い羽根
いっぱい道路に落ちてる
「本当は探してほしい」
走る僕の髪で シャツで
揺れるたくさんの白い羽根
君はきっと どうしようもない
僕に降りてきた天使
「揺れるたくさんの白い羽根」「いっぱい道路に落ちてる」などの描写はだれの目線なんでしょうか。
「彼女」は羽根をまき散らしている側だから羽根は視界に入らないとすると、じゃあ「僕」目線ということ? そうかもしれません。
でもそんなことよりわたしたちのハートをつかむのは、このサビの部分の映像の鮮やかさ、って感じがしませんか?
主人公は夜の闇の中、浮かぶ白い羽根をたどり、時限爆弾を追いかけて、絶対の確信がある空き地へと走るのです。
映画でいうと、たぶんカメラを持つひとが違うんですよね。主人公がカメラを持ったり、「彼女」のほうが持ったり、あるいはそのどちらでもなかったり。
こんな風にこの曲は、ただストーリーをなぞるだけではありません。
ああなって、こうなって、最後にそうなりました、という時系列をたどるだけではありません。
そのたどり方に、ものすごい振れ幅があるのです。
たとえばここで見てきたのは、その中の視点の話でした。
時間の振れ幅、描写の繊細さ、そして粒から宇宙へ
もうひとつ、別の視点の話をしていいっすか(いいよ!)。
続く2番のAメロです。
付き合ってもうすぐ1年で
ずいぶん仲良くなったから
キスしたって 抱きしめたって
挨拶みたいに思っていた
これ、主人公である「僕」の視点で描かれていますが、いま注目したいのはその話ではありません。
この「キスしたって 抱きしめたって」は、付き合ってからいままでのことを描いているんですよね。白い羽根を舞い上げている日のことではありません。
つまりここ、回想シーンなんです。
1曲の歌詞の中なのにこんなに凝った演出入れる…? できすぎじゃない??
やっぱり空き地で見つけた
君はなんだか他人みたいに
僕におじぎをしてみせた
「愛を勘違いしないでください」って
そしてこの直後に空き地のシーンへ戻るのです。
リスナーがきちんと戻ってこられるようにするひとことが「やっぱり」っていうのが非常に好きです。
この「やっぱり」は
- 空き地で見つけたのは予想通りだった、というしるし
- かねてから話していたことに改めて戻るけれど、という前置き
という二重の意味があって、それをひとことで示すことができているからです。えっ天才なんじゃない??
君が両手をそらに上げて
目覚まし時計は飛んでいった
まるで誰かを見送るように
そっと微笑んで
このシーンもすごく好きで、なぜって投げ方がわかるんですよこれ。
ねえ聞いてください。
恋人の大事なものを投げて壊すといったら、SHISHAMO『君の大事にしてるもの』って曲がカッコいいんですぜひ聞いて。
晴れた空とレスポール
宙を舞う君の宝物
って歌詞で、主人公がレスポールを投げて壊しているのがわかるんですけど、投げ方までは歌詞には描かれてないんです。
投げ方なんて書いてなくたって、まあきっと一時の怒りに任せてひどい投げ方をしたんだろうなとは思うんです。でも書いてあったらもっと臨場感湧いてくるじゃないですか。
その点『どうしようもない僕に天使が降りてきた』の「彼女」の投げ方はこうです。
君が両手をそらに上げて
目覚まし時計は飛んでいった
野球選手みたいに片手で投げたとかじゃないんですよね。
時計を両手で持って、ブーケトスみたいに上に向かって投げたんだと思うんですよこれ。
この描写の繊細さが、物語の厚みを確かなものにしていると思うんです。
そして最後にもうひとつ、サビのところの話をさせてください。
時々天使は僕らに
悪戯をして教えるよ
誰かを愛するためには
もっと努力が必要
うわぁ〜〜好き〜〜〜!!!
作詞家の高橋久美子さんから「粒から宇宙へ」という作詞のスタイルについて以前お話しいただいたことがあります。
まさにこれです。
作詞の手がかりとして、身近なできごと(=めざまし時計を手放せずに彼女を怒らせる)を起点にするのはいいと思うんです。
でもそのできごとに終始して歌詞が終わってしまうならそれはただの日記になってしまうから、その粒を宇宙にまで広げることで歌詞としてのおもしろみを出していこう、というのが高橋さんの話でした(と理解しています)。
この歌詞がまさにそれ。
「誰かを愛するためには/もっと努力が必要」という、スケール大きい歌詞に回収されることによって、わたしたちはやっと、このエピソードを自分のものとして咀嚼できるようになるのです。
この話は前にたむらぱんの歌詞を見たときにもしたんだった!
そして曲の終わりはこういう感じ。
帰ったら部屋の掃除は
僕が全部やるから一緒に帰ろう
部屋から始まった物語は、お部屋に戻って終わるのです。
槇原敬之『どうしようもない僕に天使が降りてきた』でした。
いつもと同じテンションで書いたつもりだったんだけど、字数を数えたらいつもよりだいぶ多い感じだったようで、もしかしたら好きがあふれ出てしまったかもしれないなと思いました。
私、好きなもののどこがいいかをはっきり言葉にするタイプのブログとかツイートが大好きなんですよ。そこでみなさんにはこの、歌詞のどこがいいか定期的に記事にしてくれる最高なブログを読んでいただきたいなと思います。どんどん推しを推していこうhttps://t.co/7uKGTU5JEy
— あおのり (@aonori33) February 13, 2020
これからも好きなもののどこがいいかをはっきり言葉にしていくぞ〜。