5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

右眼鏡と左眼鏡でのぞいて - ゆず『ガイコクジンノトモダチ』

少し前にゆず『ガイコクジンノトモダチ』の歌詞についての議論がネットで流行しました。

この国に生まれ 育ち 愛し 生きる なのに 知らないことばかりじゃないのか? この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね 美しい日本 チャチャチャ

こういう歌詞。保守主義がすぎるのでは?という批判に晒されたのですね。

それを取り上げた記事としてはたとえばこれとかがあります。はてブもたくさん付いています。

gendai.ismedia.jp

わたしはもともとはてブでの多様な意見が聞けるところに感銘を受けて入村したので、ブコメのひとつひとつにナットクなところがあるんですが、でもひとつ言いたいことがあります。

みなさん、歌詞ちゃんと読んでなくないですか??

わたしは歌詞を堪能する文化がもっと流行るといいなと思っているけど、はてなのみなさんは英語のお勉強とかでお忙しいでしょうから、わたしが代わりに読みました。

ゆず『ガイコクジンノトモダチ』歌詞(歌ネットへリンク)

R

といっても、歌詞のストーリーはシンプルです。なるほど保守主義がすぎると批判されるのもわかります。

外国人の友達ができました
納豆はあまり好きじゃないけど
お箸ならうまく使えます

外国人の友達が言いました
「私、日本がとても好きなんです。
あなたはどこが好きですか?」

僕は少し戸惑った だって君の方が
日本の事をよく知ってそうだから

主人公は外国人の友達ができて、日本のよさをいままで知らされなかったことに気づかされるのです。

この国に生まれ 育ち 愛し 生きる
なのに 知らないことばかりじゃないのか?
この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね
美しい日本 チャチャチャ

たとえば卒業式とかでも、胸を張って国歌を堂々と歌うとクラスから浮いてしまうと思います。

だからこっそり歌わないといけないけど、それっておかしいよね、っていうのがこの曲の問いかけであるように思います。

国歌は堂々と歌いたいし、日本のことはもっときちんと知りたい。なのにそれが叶わないなんて…というのがこの曲の中心にある感情です。

2番になると、その思いはよりはっきりと顕然するようになります。

外国人の友達が祈ってくれました
「もう二度とあんな戦いを共にしないように」と

TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって
だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした

平和への願いは日本人も外国人も同じです。

それなのにTVではそれを「右だの左だの」で色分けしようとしていて、主人公にはそれが理解できません。

靖国の桜がキレイなのはだれもが認めるところです。その自然な感情と同じように、国を愛する気持ちをまっすぐ表現できる社会を主人公は望んでいます。

L

でも、たとえばこの部分、あまりにもステレオタイプが過ぎませんか…?

外国人の友達が言いました
「私、日本がとても好きなんです。
あなたはどこが好きですか?」

これって、最近流行りの、外国の人が日本を称揚するテレビ番組の構図そのものじゃないですか!

まさか作詞を生業にするひとが、こんなに手垢のついた表現で満足するはずがありません。

この歌詞はすべて皮肉なのでは。そうだとするとまたべつの世界が見えてきます。

この国に生まれ 育ち 愛し 生きる なのに 知らないことばかりじゃないのか? この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね

サビのこの部分、1行目は引用のように見えます。

「この国に生まれ 育ち 愛し 生きる」とみんなは言うけれど、みんなこの国について知らないことばかりじゃないのか? と反駁する主人公です。

美しい日本 チャチャチャ

本当に「美しい日本」だと思っているなら「チャチャチャ」なんてチープな擬音語は似つかわしくありません。

TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした

国粋主義がすぎる思想の人は排外主義に傾きがちです。でも大切なのは右だの左だのに塗り分けることではありません。

人間がこうして争い合っている間に、桜はだれもに平等に、こんなにきれいに咲いています。

この歌詞は、そういう偏った右傾的な思想を皮肉っているんですね。

おしまい。

…と思ったんですが。

この解釈も、やっぱり少し無理があるかもしれません。

靖国といったらやはり靖国神社だし、靖国神社は「戦歿した軍人らを祀る神社」*1です。

ということは、やはり皮肉と解釈するのにも無理があるかもしれません。

少しネットで検索したら、こんな記事を見つけました。

hacosato.hatenablog.comhttp://hacosato.hatenablog.com/entry/20180420/gaikokujinnotomodachi

冒頭を引用しましょう。こんな感じです。

といっても、歌詞のストーリーはシンプルです。なるほど保守主義がすぎると批判されるのもわかります。

おやっ??????


というわけで、ゆず『ガイコクジンノトモダチ』でした。

hacosato.hatenablog.com hacosato.hatenablog.com

ゆずはいままでに2回ぐらい腰を据えて読んだことがあるんですがどれも難しいです…。

ところで話はそれますが、この曲の歌詞の構成、基本に忠実で非常によくできています。

だってですよ。1連2連はAメロで、ここではタイトルでもある「外国人の友達」について歌われています。

3連はBメロ。ここでは歌詞の視座が変わって「僕は少し戸惑った」と歌われます。「友達」の話から翻って「僕」の話に変わります。

4連はサビ。ここではさらに視座が変わって「この国に生まれ」と、大きなスケールの話に変わります。

これを、作詞家のいしわたり淳治さんは“半径”の比喩で表現しました。

mora.jp

関ジャムっていう最高におもしろいテレビ番組で槇原敬之『もう恋なんてしない』の歌詞を題材にした解説があったんです。

その構図、今回のこの曲でもまったく同じです。

Aメロは「友達」の話です。主人公から半径5mの話。

翻ってBメロは自分自身の内省についての話。主人公から半径0mの話。

そして最後は「この国」の話になります。半径100m超えということができます。

こうして曲の展開に合わせて歌詞の粒度も変えていくと、単純な日記ではない奥行きが歌詞に現れるのですね。

はてブとかでそもそも作詞の稚拙さについて腐しているひとがたくさんいました。

それもちょっとわかるけど、そうやって一蹴するのはもったいないとわたしは思ってるよ💕

これからの歌詞の世界にいいことがたくさんありますように。

この記事はシベリウスの『フィンランディア』を聴きながら書きました♪ 高まるね!