ヨルシカ『言って。』って曲があります。
ナブナさんが作詞・作曲をしてsuisさんが歌っている曲、動画もかわいくてお気に入りです。このキャラ友だちに似てる…!
ところで、YouTubeでこの動画を見ると、投稿者のコメント欄があって、開いて歌詞を見ることができるんですよ。
わたしは、歌詞なんてだいたい聴き取れるわなめんなよ!と思いながら流し読みしていたんですが、その一部に目を惹かれて思考がストップしました。
今日はそれについての話です。
※今回の記事にはネタバレが含まれます。注意してください!
図鑑型の歌詞です。
わたしは、歌詞には図鑑型と物語型の2つがあると思っています。
図鑑型とは、1曲の中で対象が変わらなくて、ひとつの描きたいものを丁寧にいろんな言葉で描写するタイプの曲です。
物語型とは、1曲の中でストーリーがどんどん進行して、曲の始まりと終わりでは主人公の置かれた状況が変化しているような曲です。
図鑑型と物語型の歌詞については以前に書いたことがあるのでぜひ見てみてね♪
一時は物語型こそが至上の存在、みたいな風潮があって、物語型の歌詞がもてはやされた感じがあります。
BUMP OF CHICKENとかがとっても人気ですが、それ以外にもたくさん。
hacosato.hatenablog.com
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物語型の曲はいまもとっても人気ですが、むかしに比べるとそれも最近は落ち着いて、1曲を通じて情景を丁寧に描写し続けたり、1曲がひとつのネタになるように描く曲もたくさん出てきておもしろいですね。
hacosato.hatenablog.com
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さて今回の『言って。』、歌詞の世界が1曲を通じてほとんど前に進みません。
図鑑型、ということになります。
それは歌詞の冒頭と最後を見比べてみればわかります。
冒頭はこうです。
言ってそして最後はこうです。
もっと、もっと、もっと、もっと最初と最後が同じ!
もっと、もっと、もっと、君が
もっと、もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って
いくら図鑑でも、最初と最後が同じだと言うことはほとんどありません。っていうか覚えている範囲で言うとないです(だってメロがちがうし)。
でも今回は同じなので、最初と最後で歌詞の世界はひとつの「言って。」というメッセージを伝え続けているんだっていうことがわかります。だからこの曲は「言って」の図鑑です。
図鑑型の歌詞じゃないです。
この曲のサビはこういう感じ。
きっと、人生最後の日を前に思うのだろうわたしはこの歌詞を見て、ひとつ気になったことがありました。
全部、全部言い足りなくて惜しいけど
あぁ、いつか人生最後の日、
君がいないことを
もっと、もっと、もっと
もっと、ちゃんと言って
「人生最後の日、/君がいない」って言い方はなんだか視点がちぐはぐで変じゃないですか?
人生最後の日、っていったら、ふつうはいまから何十年も先の、想像もできないぐらいの未来です。たとえばいま好きでいることのどれぐらいをそのときまで好きでいるのかなんてぜんぜんわかりません。
でも、それぐらい先になってもずっと「君」のことを思っているよ、って歌詞は、アリだとわたしは思います。ふつうはぜんぜんわからないようなことを恥ずかしげもなく言えちゃうのは歌詞の特権だし、言えちゃうのは恋の魔法!!
嵐『One Love』が「百年先も 愛を誓うよ 君は僕の全てさ」(歌ネット)と歌うのが心を打つのは、ふつう百年先のことなんてわかんないのに、「君」に対しては愛を誓ってくれることに、格別感があるからです。
でも。
『言って。』ではそのあとに「君がいない」と続きます。さっきまでスケールの大きい話をしていたのに、突然卑近な話になるのは詩的だけど、なんだか稚拙な感じもします。
それにたいていの場合「人生最後の日」には「君がいない」状態になります。そんなの当たり前なのです。
でもそんな当たり前のことを
もっと、もっと、もっとと主人公は歌います。当然のことだけど、それを言ってもらいたいのです。
もっと、ちゃんと言って
どうして? コミュニケーションに飢えてるから?
あのね、空が青いのってそうやって考えると、続きの歌詞もなんだか変な感じがします。
どうやって伝えればいいんだろうね
夜の雲が高いのって
どうすれば君もわかるんだろう
言って
空が青いのは当然だし、雲が高いのも当然です。
それを「どうやって伝えればいいんだろうね」「どうすれば君もわかるんだろう」と悩むのはやはりコミュニケーションの話です。
このあたりの歌詞はぜんぶ、
- 当然なことを歌っている
- コミュニケーションのことで困っている
っていう共通点があります。
そんな疑問は、次の個所まで見ると霧消します。
あのね、私実はわかってるの
もう君が逝ったこと
気づかなかったのです、わたしは、この部分の歌詞が「言った」じゃなくて「逝った」になってたこと。
この歌詞の「君」は死んでしまったんだ、ってことに、ここで初めてわかるようになっているのです。はぁ、匠の技かよ。
そうだとすると、これまでの歌詞の中での疑問点も約分されるようにして消えていきます。
主人公が「人生最後の日、/君がいない」と歌うのは、「君」が亡くなってしまったから。
それを「言って」ほしいのは、「君」の喪失をまだ心に溶かしきれてないから。
「空が青い」「夜の雲が高い」と歌うのは、空を見上げて「君」を思っているから。
それを「どうやって伝えればいいんだろうね」と歌うのは、伝える方法がないから。
音を聞くだけではわからないようにわざと仕組んであった仕掛けの中で、わたしはすっかり安住していたのでした。
ところで、この部分と対になっている個所が、この歌詞の1番にあります。
1番はこうです。
あのね、私実は気付いてるの2番はこうです。
ほら、君がいったこと
あのね、私実はわかってるの1番はひらがなで書いてある!!
もう君が逝ったこと
おい待て、この主人公、1番の時点でうすうす気づいてるぞ!!
わたしはさっき、この歌詞について「最初と最後で歌詞の世界はひとつの「言って。」というメッセージを伝え続けているんだっていうことがわかります。」っていいました。
あれは間違いです。
ふざけんなよ! ぜんぜんきれいな図鑑なんかじゃないじゃないか! 最高かよ!!
というわけで、ヨルシカ『言って。』でした。この記事にネタバレ注意って書いたの初めてです。これはネタバレ以外の何物でもないよな…。
最近図鑑型の歌詞を取り上げようとするとたいていきれいな図鑑に見せかけた物語を見せつけられてしまう気がします…。
世の中の歌詞はたいていほんとうによくできています…。
この曲と同じナブナさんが手がけている曲として、以下の曲を前に読みました。
hacosato.hatenablog.com
めっちゃ好きな曲です♪ この曲しか心にぴったりはまんないシーンってあるよね…。