あの、初めて会ったときからずっと思ってたんですけど、
わたし、
乃木坂46『サヨナラの意味』の歌詞がだいすきです!!💕💕
…というわけで、きょうは乃木坂46『サヨナラの意味』の歌詞の話をしたいと思います。
この曲のMVがYouTubeに出てから4ヶ月間、マジで時間をかけてずっと考えていたんですが、このたびわたくし、だいすきポイントを3つにしぼってまいりました。
ひとつめ:電車!
電車が近づくまず曲の最初です。 この曲が電車で始まることには、ちゃんとした効果があると思っています♪
気配が好きなんだ
電車が出てくる曲自体はめずらしくないけど、この曲の電車の出てき方はマジで刮目なのです。のちほどじっくり語らせてください!
ふたつめ:強くなれ!
サヨナラに強くなれそれからサビ頭。
この出会いに意味がある
「サヨナラに強くなれ」って言い方、わかるけどすごく新鮮だよね!ってすごく思います。
これだけで伝わってくることがたくさんあります。いまはこの「サヨナラ」にへこたれそうだけど、これからもたくさんの「サヨナラ」に出会うことを示唆しているんだよねきっと。
みっつめ:愛に代わるもの!
守りたかったそれとサビの最後!
愛に代わるもの
「愛に代わるもの」ってなによ?? って思うじゃないですか。
「守りたかった愛」じゃなくて、なんだか言い訳がましい「愛に代わるもの」。
「サヨナラに強くなれ」って言い方をヒントにしたら「愛に代わるもの」がすこしわかった気がしました。
というわけで、この3つのトピックに分けて、この歌詞の好きなところを文章にしました!
(思えばいつでもそうだけど)この文章はわたしから『サヨナラの意味』への、ラブレターです。
1.電車が近づく
この曲はこういう風に始まります。
電車が近づく
気配が好きなんだ
高架線のその下で耳を澄ましてた
わたしはこの始まり方がすごく好きです。
電車を使うことでこの曲の中に時間の流れが生まれるからです。
この曲は、電車の接近を高架線の下で感じるシーンからスタートします。
そうするともちろんわたしたちはそのあとに電車が通り過ぎるのを予期するし、実際にそうなります。
そして、電車が通り過ぎるタイミングが、なにかひとつのピークなんだろうとも予期します。それも実際にそうなります。
だから「電車が近づく」っていうだけで、歌詞にはストーリーが勝手に生まれます。電車がすいすい進むのと連動して、物語も推進力を得て前進するのです。
その証拠は2番の冒頭にあります。
電車が通過する
轟音(ごうおん)と風の中
君の唇が動いたけど
聴こえない
初めて「君」がなにかしゃべるシーンが出てきます。物語が動く瞬間です。
それは、電車の通過という、電車にとってのピークと同時に起こります。
けど、電車の「轟音」で、「君」の声は主人公に聴こえません。
二つのピークが重なりあうのと同時に、それがちゃんと意味を持って絡み合っているんですよ! すごくないですか!!
さらにそのあと、
静寂が戻りと、電車が過ぎ去ったことが描写されます。
するとBメロではすかさず、
大切なもの(大切なもの)電車の通過と「大切なもの」の通過が重なり合って描かれるのです。
遠ざかっても(遠ざかっても)
あああ。ヤバいすごすぎる。この歌詞は天才です……。
登場人物の心情を、別の風景やものごとになぞらえる表現は、歌詞にも小説にもよく出てきます。
たとえば、
歌詞の世界でもそれは同じです。
hacosato.hatenablog.com
たとえば森山直太朗『さくら(独唱)』にはこういう歌詞があります。
さくら さくら 今、咲き誇るここでは「友」の「旅立ち」が「さくら」の「刹那に散りゆく」ことになぞらえて表現されています。
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその思いを 今
http://www.uta-net.com/song/17129/
桜が出てくるJ-POPはたいてい同じ感じで、さくらが散ることと人との別れが重なり合っています。そしてそこから先には
- 桜が1年後にまた咲くことを踏まえて、再会を誓う
- 桜がすぐに散るはかない花であることを踏まえて、人の縁のはかなさを歌う
- 桜の花びらが紙吹雪に見えるのを踏まえて、切り裂いた手紙になぞらえる
などのパターンがあります。ここは作詞する人の腕の見せどころ。
それと同じ手法が、今回の乃木坂46『サヨナラの意味』でも使われています。
でも今回新しいのは、高架線の下で電車の音を聞く、というモチーフが使われているということ。
空前絶後とは言えないけど、手垢のついたモチーフでもありません。
新鮮で、それでいてきちんとドラマのある、すてきなモチーフだと思います!
しかもさ、高架線って、都会にも田舎にもないものなんですよね。郊外にしかありません。
「高架線」という短い言葉で、都市の郊外であること、それは日常の生活の中にあること、といった機微のある情報が伝わります。
こんな短い名詞で、こんなにたくさんのことを伝えられるモチーフを見つけられるの、才能しか感じないよな!!
しかもこの曲には、もうひとつ別のモチーフがあります。空です。
躊躇してた間に舞台は夕方。太陽がどんどんと沈んでいくように、周りの景色はみるみる色を変えます。
陽は沈む(切なく)
遠くに見える鉄塔
ぼやけてく(確かな距離)
それと連動して、ふたりの距離が変化していきます。
見つめあった瞳が星空になる高架線の下は暗がりだから、周りよりもきっと少し早く夜がやってきます。
瞳の光が星空のように輝きだすぐらいに暗くなるまで、ふたりがいっしょにいたことがこれだけの描写でわかります。
5分や10分じゃないけど、2時間や3時間でもないことが、こういうことばの端々から見えるのです。
電車が短いスパンの動きなら、太陽はもっと長いスパンで動きます。
この曲は、ふたつのモチーフが、違う速度で、ストーリーを引っ張っているのです。
2.サヨナラに強くなれ
サヨナラに強くなれ
この出会いに意味がある
悲しみの先に続く
僕たちの未来
この曲のサビは「サヨナラに強くなれ」という印象的なフレーズで始まります。
これを見て、わたしたちは思います。
いまは“この”「サヨナラ」にへこたれそうだけど、これからもたくさんの新しい「サヨナラ」に出会うことを示唆しているんだよねきっと。
って。きっと「君」は、卒業とか引っ越しとかでどこか遠くへ行ってしまうのでしょう。
でもここには、それだけでは収まらないような「僕」と「君」の関係についての情報が見えてきます。
そもそもわたしは思うのです。
「サヨナラに強くなれ」って上段に構えすぎでは…?って。
「サヨナラに強くなれ」は、主人公である「僕」が「君」に向けて話しているように見えます。
だとすると、二人の関係は対等ではなくて、なんだかいびつです。「僕」が「君」に対して、すごく優位に立っているように見えるから。
「サヨナラに強くなれ」は、ちょっと上から目線のようなのです。
電車が通過する
轟音(ごうおん)と風の中
君の唇が動いたけど
聴こえない
サビが終わった部分にはこんな歌詞があります。
電車の通過とシンクロして「君の唇が動いた」シーンは、この歌詞のひとつのピークです。
このとき「君」は、たぶん「僕」に好きだって告白したんだと思います。電車がふたりに最接近するのとタイミングを合わせて、二人の距離も史上最接近します。少なくとも「君」にはそういう意志があります。
でも「僕」はそれは「聴こえない」ものとして、回送電車のように流してしまいます。「僕」はここでも「君」に対して優位に立つように振る舞います。
静寂が戻り
答えを待つ君に
僕は目を見て微笑みながら
頷いた
「答えを待つ君」は、けなげだけどアドバンテージを奪われています。
いま、物語を動かせるのは主人公である「僕」のほうです。
なのに「僕」は頷くだけで、物語を先に進めようとはしません。
電車が遠ざかっていくのと同じように、一度接近した二人の距離の物語は、一度棚上げされてしまいます。
「僕」、許すまじ。(心の声がだだ漏れ)
でも「僕」は強いのではありません。強がっているだけなのです。
その強がりは、日が落ちるのとシンクロして、だんだん剥がれていきます。
それがわかるのはCメロです。
3.愛に代わるもの
Cメロは、この曲で初めて主人公である「僕」の気持ちがはっきりと描写されるシーンです。
躊躇してた間に
陽は沈む(切なく)
遠くに見える鉄塔
ぼやけてく(確かな距離)
1行目から主人公「僕」の内面が「躊躇してた」という表現で描写されます。
主人公の内面はこれまでほとんど描写されてきませんでした。Cメロが特異な部分だとはっきりわかります。
この部分では逡巡して前に進めない「僕」が、刻々と沈む太陽の動きと対照的に描かれています。
そして、鉄塔がぼやけてくのと呼応して「僕」の強がりも剥がれていきます。
君が好きだけど(君が好きだけど)
ちゃんと言わなくちゃいけない
見つめあった瞳が星空になる
ここまで読んできて、わたしはびっくりしてしまいます。
主人公は「君が好き」なのです。
そんなことはだいたいわかっていたけど、わざわざ言葉にしない…というか、自分からは認めないのが主人公の性格なのだと思っていました。でも、Cメロでは主人公は素直です。
だけど、ここで晴れて両思いになって、めでたしめでたし、では終わりません。
主人公は「君が好きだけど/ちゃんと言わなくちゃいけない」と言うのです。「サヨナラに強くなれ」と。
このときに初めて主人公の上から目線は強がりだったということがほんとうに明らかになるのです。
ここからは最後の連。ラスサビです。
サヨナラに強くなれ
この出会いに意味がある
悲しみの先に続く
僕たちの未来
最後のサビはこうして、ふたりの別れが描かれていきます。ふたりの関係は両片思いから両思いへと変わって、そしてサヨナラしていきます。
これまでのいきさつが、転調してからの一歩新しい目線でなぞり直されていきます。
始まりはいつだって
そう何かが終わること
「始まり」とは、ふたりの新しい関係のこと、「何かが終わる」とはふたりの別れのことです。
もう一度君を抱きしめて
本当の気持ち問いかけた
失いたくない
守りたかった
愛に代わるもの
主人公の「本当の気持ち」は、最後の最後で明らかになります。
「失いたくない」という気持ちです。
この「失いたくない」という部分で、やっと、たくさんのヒントが確信を持って一つの像を結ぶのです。
たぶんこの曲の冒頭の段階では、主人公にとって「君」は、恋愛の対象ではありませんでした。
「君」が主人公に好意を抱いているのを知りつつも、そしてそれにまんざらではない気持ちを持ちつつも、主人公は本当に「君」のことを好きになろうとはしていなかったし、実際そうではないと自認していました。
なぜなら、そうするとふたりは対等な関係になってしまって、主人公がいままで取っていたマウンティングができなくなってしまうからです。
けれど、2番のAメロで「君」は主人公に告白をします。ここで主人公は、これまでの二人の関係の変化を迫られることになります。いままでのようにのんきにマウンティングばかりできなくなります。
ここで、主人公は自分で自分の気持ちを問いかけてみます。そして「君が好き」という気持ちを引き出します。
けれど、主人公はそれを「君」に伝えることはしません。代わりに単にサヨナラを告げます。主人公には、いまの関係を崩す勇気がないからです。
だけど、最後の最後で主人公の気持ちはやっぱり発露してしまうのです。「失いたくない」って。
* *
主人公にとって「君」は、「愛に代わるもの」でした。
「愛」の代わりとして、便利に上から目線に立てるような、そういう存在だったのです。
でも「君」に告白されてしまって、もう「君」は便利な「愛に代わるもの」ではありません。
これからは主人公は「君」のことを「愛」そのものとして見なければならないと思います。
それは「始まり」です。
この曲は告白が描かれるラブソングであるのと同時に、主人公が新しい人間関係を築いていく、自分を発見するプロセスを描いた曲なのだとわたしは思いました。
わたしがこの曲に惹かれたのは、そういう多面性があるからなのでした。
乃木坂46『サヨナラの意味』でした。
この曲がYouTubeで公開されてからずっと、わたしはこの曲の歌詞をずっと見ていました。何度も紙に書き写したり、それをもとに考えをメモしてみたりしてきました。
そうしてやっとなんとかまとまったのが今回の記事です。
時間をかけたかいがあって、個人的にはいままででいちばんマトモな文章が書けたと思っています。どうかな。読む人にも楽しんでもらえたかな?
乃木坂46の歌詞を読むのは初めてだったけど、このプロセスで感じたのは作詞の巧みさに尽きます。
こうして大好きな歌詞が世に公表されて、それが(歌詞の力だけではないにしろ)きちんと評価されて、たくさんの音楽番組などで披露されてわたしも含めた世の中の耳に届くという世界はステキだなぁって思います☆
今回の曲の作詞は秋元康さん。AKB48などでたくさんの作品があって、わけてもこの曲には通じ合うところが感じられて好きです!!
hacosato.hatenablog.com
『GIVE ME FIVE!』はAKB48の前田敦子さん卒業のときの曲です。『サヨナラの意味』は乃木坂46の橋本奈々未さんの卒業の曲なので、そういう関係があるのかも。
とりまこれからもわたしはたくさんのステキな歌詞に触れたいし、歌詞のステキさについてちゃんと見抜けるようになりたいなぁって強く思っています。
主人公は「君」とサヨナラしちゃったけど、でもそれが新しい「始まり」でした。
わたしもこの文章を書き終わったけど、でもそれが次への一歩だと思って、また楽しく歌詞を読んでいきたいと思っています!
読んでいただきありがとうございました!
https://itunes.apple.com/jp/album/sayonarano-yi-wei/id1167463173?i=1167463709&uo=4&at=10lrtS
次回はハチ feat.GUMI『ドーナツホール』の歌詞を読みます。米津玄師名義でセルフカバーもしましたね。
次回も活躍するぞ!