読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

五しきのたんざく わたしがかいた、だと…?? - 『たなばたさま』

こんにちは。

サマーバレンタインってことばがあるんですよ。
7月7日の七夕にあやかって、ちょうど(2月から約半年あいてることだし)バレンタインと同じような風物詩になることを狙ったイベントの名前です。
たいていそういうイベントごとには、それにかこつけたJ-POPが生まれます。バレンタインならPerfume『チョコレイト・ディスコ』、ハロウィンならAKB48『ハロウィン・ナイト』のように。
ところが、七夕にはそれがあんまりないんですよ! 少し調べてみるとDREAMS COME TRUE『7月7日、晴れ』っていう曲があるみたいですが(聴いてみたらなんとなく聞き覚えもあった)、でもそんなに定着した感じではありませんよね。
というわけで今の時期、スーパーやショッピングモールでかかるのは、相変わらず唱歌『たなばたさま』なのでした。アーティストのみなさん! ここまだブルーオーシャンだよ!!
というわけで、きょうは『たなばたさま』の歌詞の話をしたいと思います。

童謡・唱歌『たなばたさま』歌詞(歌ネットへリンク)

1章:表面的なやつ

あのですね、この歌詞まずは音のはこびがめっちゃきれいだと思うんですよ。

ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎん砂子(すなご)
「さらさら」「きらきら」「きんぎん」っていうふうに、同じ響きの音が2つセットになってるじゃないですか。
これ畳語(じょうご)っていうんですけど、畳語がたくさんあって、唱歌としてぴったりのかわいい音の響きが連なってるわけです。
歌詞、とだけ聞いたらみんなが思い浮かぶ典型的なものってあると思うんですけど、畳語ってその中にぜったい含まれてると思うんです。この歌詞は、歌詞のイデアなのです!!
しかも、「さらさら」は擬音語、「きらきら」は擬態語です。「きんぎん」はそのどちらでもなく、レトリックですらありません。
つまり似たような音の響きが3つあるけど、ぜんぶ違った使われ方をしてるんですよ! すごくないですか。すごいです。

しかもですね、この歌詞前半の2行はのきば(屋根の先の端の部分)の話をしています。
主人公は、地上から屋根の先の「ささの葉」を見ています。
でもこの歌詞の後半は「お星さま」の話に変わります。なぜなら、見上げてたら「ささの葉」の背景として星空が見えるからです。主人公の興味は、屋根の先から夜空の星へと移り変わります。
それってすごく自然な流れです。七夕だからといって、出し抜けに空に興味が湧くってことはたぶんあんまりなくて、今回はその足がかりとして「のきば」がめっちゃいい場所にあったのでした。

そして2番。

五しきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる
2番も、1番とだいたい同じ流れをしています。自分が書いたたんざくを見上げている主人公。その目に入ってきたのは、やはり星空だったのでした。1番と同じ流れで、安心感があります。
と見せかけて、最後の1行だけ違えてくるのがたいへんニクいのでした。
空からみてる
わかりますか! 最後の1行だけ、視点が違うんですよ!!
いままではずっと地上に立ってた主人公が、のきばを見上げたり夜空を見上げたりして歌が進んできたのでした。
でも最後は違います。星が、星のほうが主人公を見ているのです。
いいですか! あなたが星を見上げているとき、星もまたあなたを見つめているのですよ!!*1

2章:妄想癖なやつ

ところでこの曲の歌詞、すこし変な感じがすると思うんです。
具体的に言うと、2番の歌詞がすこし怪しいと思っています。

五しきのたんざく
わたしがかいた
短冊はふつう単色です。「五しきのたんざく」がちゃんと5色あるのを見せるのなら、短冊は5枚書かないといけません。短冊はひとり1枚限定、というわけではないと思いますが、かといって5枚も書いていたらちょっと多いです。
それに、
お星さまきらきら
空からみてる
ここで視点が変わって、星の視点になるのは唐突だと思います。
視点が変わるんだったら、そのための伏線があるはずで、そうでなかったらちょっと最後の2行だけ浮き過ぎだと思うのです。
ここで、前半の書きすぎている短冊が伏線だったとしたら、いい感じに視点の変化も符合させて説明することができます。
この歌詞、主人公は自分のきょうだいを亡くしたんだとわたしは思っています。
根拠があるのではありません。そうだとすると辻褄が合うからです(アブダクションです)。

五しきのたんざく
わたしがかいた
「五しきのたんざく」は、きょうだい5人分の短冊です。「わたし」ひとりなら1枚だけでいいところ。残りの4枚はきょうだいの分です。主人公は、もうこの世から去ってしまって書くことのできないきょうだいの代わりに、短冊を書いてあげています。
主人公は、短冊に願いを込めることで、きょうだいの幸せを願っているのです。
だからこの部分は「わたしがかいた」という表現になるのです。
単に短冊に願いを込めただけだったら、「きいろのたんざく ねがいをかいた」みたいにすればいいと思うんです。
でも「わたしがかいた」って書くってことは「わたし」って部分にちゃんと強調したいポイントがあるからなんだと思うのです。
「わたし」を強調したいだなんて、ふつうはちょっと違和感あります。
でも、主人公が亡くなったきょうだいの代わりに短冊を書いているのなら、それが違和感ではなくなります。

さらに、

お星さまきらきら
空からみてる
死んだひとが「お星さま」になる、というのはギリシャ神話とかにも出てくる、古典的なモチーフじゃないですか!
いままでは主人公が空を見上げるだけだったこの曲の構図に、いきなり逆向きの矢印が出てきたのにはわけがあります。
この「お星さま」には、主人公のきょうだいという人格が付与されていたんですよ!
主人公は短冊を書いたことで、亡くしたきょうだいに思いを馳せた、っていうのが、この曲の真の骨格だとわたしは思うんです。

ところで「五しきのたんざく」がほんとうに5枚の短冊なのだとしたら、主人公は一度に(自分を除いた)4人のきょうだいを亡くしていることになります。
いちどにそれだけのきょうだいを亡くす、というのは、どういう状況なのでしょうか。
わたしは、それは戦争だと思ったんですよ。
この曲は、そういうきょうだいへの思いの向こうに、平和への願いが込められているんだなぁ、と思いました。



…というのは、完全なる妄想なので、真に受けたりしないでください。
Wikipediaによると、この曲がつくられたのは昭和16年とされています。
昭和16年は太平洋戦争の始まった年です。そのころまでに日中戦争は進んでいましたが、作詞者が実際にきょうだいを亡くしたという証拠をわたしがつかんでいるわけではまったくないので、この記事にもとづいたデマを流すのはやめようね♪

今回は初めて唱歌の歌詞を読んでみました。
書く前にざっとネットで調べてみて、だいたい同じような記事しかない(「のきば」「きんぎん砂子」「五しき」の意味を載せたやつ)ので、これはいいじゃん!と思ってこの記事を書いたんですが、あとで調べてみたらわたしと似たことを思っているひとがやっぱりいらっしゃいました。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

うーん、こうして書いてみると、二番に、なんだか薄幸感、もっと言うと、不幸感を感じてしまいました。
この人の願いごとって何だろう。 「私が書いた」って、私だけ? 家族とかの気配がないのだが、もしかして、一人で七夕・・・? 空から見ているお星様って、誰かのこと・・・?
そうだよね。わたしもそう思う!
このひとと歌詞の話をしたいな。と思って見てみたけど、このひとここ5年は活動してないんだ…。残念だな…。

*1:もちろんニーチェの「おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」を下敷きにしています。

広告を非表示にする