SEKAI NO OWARI『プレゼント』の歌詞のことを考えました。
SEKAI NO OWARI『プレゼント』(NHKオンラインへリンク)
この曲は、NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)の中学生の部課題曲です。
今回の歌詞は、
いま君のいる世界がっていう感じ。人生は「プレゼント」だよ!っていうメッセージを伝える曲、って風に見えます。
辛くて泣きそうでも
それさえも「プレゼント」
だったと笑える日が必ず来る
メッセージというものには、送り手と受け手がいます。
この曲では、メッセージの送り手は歌詞の語り手です。ここでは「主人公」と呼びます。この曲のメッセージの送り手は、主人公ひとりだけです。
でもこの曲、メッセージの受け手のほうはひとりではありません。ふたりいます。
今回はそのことから考えてみます。
主人公自身、そして「君」
この曲には、メッセージの受け手がふたりいます。
それは、主人公自身、そして「君」です。
言い方を変えると、こんな感じになります。
この曲のメッセージの宛先は、ふたつあります。一人称と、二人称です。
「知らない」という言葉の意味1連を引用しました。この部分はひとりごとみたいにできています。「間違えていたんだ」と主人公が言うとき、その発言の宛先は特にありません。
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
主人公は自分に言い聞かすように「間違えていたんだ」っていうふうにつぶやきます。
この部分は、主人公から主人公にあててメッセージが送られた部分です。
1連は一人称あての連です。
一人称あてとは、つまり独り言ということです。
何も知らずに次の連も似た感じです。
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう」
流されていたんだ
「どうして「嫌い」なんて言ったのだろう」っていう言葉には内省があります。だからこの連も一人称あての連です。
「知らない」ことは怖いからところが、3連になると風向きが変わります。
醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して
自分のことまで嫌わないで
「自分のことまで嫌わないで」という文は(文法の用語としての)命令です。命令は相手に対しておこなうものなので、この部分は一人称にあてたものではありません。二人称にあてたものです。
メッセージを伝える先は「君」です。
ひとりぼっちになりたくない続く連も同じです。「心閉ざさないで」は、禁止の命令の文なので、ここも二人称にあてた連です。
ここにいてよ
その言葉言えなくって
心閉ざさないで
「君は心を閉ざさないで」と言っているからです。
こんなふうにして考えていくと、この曲には一人称にあてた連と、二人称にあてた連があることに気づきます。
主人公は、内省をして、自分自身に話しかけて、わかったことを別のだれかに伝えようとしています。
話は少し変わります。
自分語りをするようですが、中学生のころ、私は大人のことを派手に誤解していました。
大人になったら悩むことも迷うこともなく、平坦な日々をもくもくと生きていくだけだと思っていたのです。
行動には全て正解があって、大人にはそれがわかっていて、分かれ道で迷うことなどないと思っていたのです。
いま、大人って言われる年齢になって、やっと気づきました。
私は、相変わらず悩みっぱなしの人生なのでした。
中学生のころの私の大人観は、間違いだったのです。
この歌詞は、SEKAI NO OWARIのSaoriさんが書いています。
中学生の人たちは歌詞を見るとき、ぜったいそれを脳裏に浮かべるだろうし、Saoriさんはそれを織り込んでいるんだと私は思います。
たいていの中学生は私よりずっと聡明ですから、これを見て気づくのです。
大人でも悩んだんだ、って。
そうすると、中学生たちは、悩んでるのは自分だけじゃないんだなぁ、って気づきます。
そして、たったそれだけのことが助けになったりします。
私はこの曲で中学のころのことを思い出して、ぞくぞくしたりしていたのでした。
「んだ」というしるし
ところで、この曲には「んだ」っていう語尾の部分がたくさんあります。
「知らない」という言葉の意味「間違えていたんだ」ってところとかがそうです。
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
この曲には「んだ」がある連とない連があります。
そして、「んだ」がある連は1人称あて、ない連は2人称あて、という特徴があります。
「んだ」には、その連がどういう特徴の連なのかを示す、しるしのような効果があります。
メッセージの宛先 | 「んだ」の有無 |
---|---|
一人称あて | あり |
二人称あて | なし |
これは、「んだ」に内省的な発見っぽい用法があるからだと思います。
益岡・田窪『基礎日本語文法』によると、「のだ」(=「んだ」は「のだ」の派生です)は「ある事態に対する事情・背景の説明を述べる形式」だとあります。
説明というのはある程度系統だった伝え方をする必要がありますから、発話の前には心の中でリハーサルをします。それが、一人称あての連の特徴とリンクします。
また、森田『基礎日本語辞典』によると、「だ」には「名詞に付いて、その事柄がまちがいなく現実のこととして生じているとの判断を表す。事象の発見を口に出して知らせる文である」ってありますから、この「んだ」っていう部分は“発見”というものと相性のいい表現であるように読めてきます。
この曲では、「んだ」があったら、主人公が自分で気づいたことを指すのです。
では、具体的に歌詞の内容を見てみます。
「知らない」という言葉の意味1連には「間違えていたんだ」という部分があります。ここが気づきの部分にあたります。
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
ちゃんと一人称あての連に「んだ」があります。
何も知らずにこの連には「流されていたんだ」という部分があります。
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ
さっきと同じように、ここが発見にあたるので、一人称あての連に「んだ」がある仮説を支持してくれます。
「知らない」ことは怖いからこの連には「んだ」がありません。
醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して
自分のことまで嫌わないで
そもそもこの部分は「嫌わないで」という「君」へのメッセージを込めた部分なので、発見がありません。発見がない二人称あての連なので、「んだ」がないのです。
ひとりぼっちになりたくないこの連にも「んだ」がありません。
ここにいてよ
その言葉言えなくって
心閉ざさないで
この連も「ここにいてよ」「心閉ざさないで」という「君」へのメッセージを込めた部分なので、発見とかを歌いたい連ではありません。やはり二人称あての連なので「んだ」がないのです。
この曲には、例外がありません。
メッセージの宛先 | 「んだ」の有無 |
---|---|
一人称あて | あり |
二人称あて | なし |
みんな、この表にもとづいて分類できると思います。
「強くなりたい」
ところで、私はこの曲の最後の2連が好きです。
ひとりぼっちになってこの部分です。
気付いた
本当は大切な人がたくさん
いるんだってことが
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
ひとりぼっちになって前半のこの連は、一人称あての連です。一人称あてである傍証として「いるんだってことが」のところに「んだ」もちゃんとあります。
気付いた
本当は大切な人がたくさん
いるんだってことが
この部分は一人称あてですから、「一人ぼっちになって気付いた」のは主人公自身です。
主人公は一人ぼっちになってしまった経験があるけれども、そのときに「本当は大切な人がたくさんいる」ってことに気づくのでした。
そして次の連。
ひとりぼっちにさせないからさっきまで内省的だった主人公は、今度は目線を変えて私たちの方を向きます。
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
「ひとりぼっちにさせないから/大丈夫だよ」って声をかけてくれます。
そして「強くなりたい」という決意の言葉で、この連を締めくくります。
主人公は、昔ひとりぼっちになったとき、「大切な人」に助けられたことをぼんやりと示唆しています。
今回主人公が「強くなりたい」って言ったとき、主人公の脳裏には、自分を助けてくれた「大切な人」のことが浮かんでいることだろうと思います。
主人公は、昔自分を助けてくれた人のことを思い出して、今度は別のだれかを助けようとしています。
助けられるのは、いま中学生の人たちです。
そういう人たちは、いつか大人になって、いまのSaoriさんと同じような場所までたどり着くでしょう。
そしたらそのとき新しく中学生になった人たちを、つまづきから救えるかもしれません。
こんなふうに助け合う連鎖のイメージを、Saoriさんは頭に浮かべているんだろうな、って私は思いました。
というわけで、SEKAI NO OWARI『プレゼント』でした。
今回はSaoriさんって言いすぎた…///
助け合う連鎖のイメージは
以前読んだ、Superfly『輝く月のように』と、同じ感じ。とてもいいですね!
セカオワは、いままで
この3曲を読んできました。どれもたくさんの方に見ていただいています♪また今回はこの2冊に助けられました。似たタイトルの本ですが、前者は教科書、後者は辞書で、性格が結構違います。本当にいい本です。手にしてよかった♪
ところで、いままで、Nコンの課題曲の歌詞、私はたくさん読んできました。
よければ合わせてお楽しみください。
後半リンク多すぎますねごめんなさい…。
次回はヒトリエ『るらるら』の歌詞のことを考えます! ついにおもしろいことが書けそう!