こんにちは。
今回は秦基博『ひまわりの約束』の歌詞を考えてみたいと思います。
サビの前半はこういう感じです。
そばにいたいよ 君のために出来ることが 僕にあるかなこの部分だけだと、この曲はただのラブソングに見えます。「僕」が主人公で、「君」がヒロインで、ヒロインは女の子で、ふたりは付き合っているって設定。ありがちだけど強力です。
いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて
って感じに見えますが、本当は私、この曲はただの恋愛の曲じゃないと思います。
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部サビの後半。届けていきたい? 優しさを?
これからは僕も 届けていきたい ここにある幸せに 気づいたから
いろんなとこを考えれば考えるほど、なんかちょっとラブソングとは違う感じなんだよなぁって気持ちになります。
私、この曲の「君」は男性だと思います。で、主人公も男性です。
でもまずは、ふたりが男女のヘテロで、恋愛を歌った曲だとして、この歌詞を読んでみましょう。
秦基博『ひまわりの約束』歌詞(歌ネットへリンク)
この歌詞のラブソングじゃないところ
この曲が描く状況は、すごく不思議です。
この曲がラブソングだったとすると、1行めからさっそく私たちは肩透かしにあいます。
どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに悲しみのシーンからこの曲は始まりますが、この部分がさっそく謎です。本来なら主人公が泣くのが自然な状況下で、「君」が先に泣き出してしまうからです。
自分より 悲しむから つらいのがどっちか わからなくなるよ
これは、悲しみを分かち合っているとか、そういうのではないと思います。だって主人公は「つらいのがどっちか わからなくなるよ」と歌っているのです。本当は自分が悲しいのに、という、主人公の当惑みたいな気持ちが浮かんでくる感じがします。
悲しみを分かち合っているのなら、きっとこの部分は「悲しみだって悲しみじゃなくなったよ」とか「半分になったよ」とか、そういう表現のほうが合う感じになるはずなのに、ここはそうではありません。
ガラクタだったはずの今日が ふたりなら 宝物になる続くBメロを引用しました。
これは、さっきとは違うシーンみたいです。さっきみたいに悲しい日のことだったら、「ガラクタだったはずの今日」っていう表現にはならないと思うからです。
「ガラクタ」っていったら、価値のないもののことであって、悲しいことや、それを分け合うこととかとは、ちょっと違うイメージがあります。悲しい日々をモノに例えるなら「キズモノ」とかのほうが似合うのにな。でも、ここでは「ガラクタ」という言葉が選ばれます。
この部分だけ取り出してみるなら、ラブソングに見えなくもありません。ひとりだったらなんでもない退屈な毎日を過ごしていたところだったけど、ふたりだから日々も宝物だよ、って感じに。
でも、それもよく見ると少しだけ不思議です。なんでもない退屈な毎日は「ガラクタ」ではないからです。「ガラクタ」は平均よりも価値の低い感じがしますが、「なんでもない退屈な毎日は、平均と同じぐらいの価値のことを指しそうだからです。
言葉の選び方のずれは少しずつ積み重なって、いつしか大きすぎるギャップになります。
それは、この歌詞のセンスが悪いからではありません。この曲をラブソングだと思う、私たちの思い込みが間違っているのです、きっと。
遠くで ともる未来 もしも 僕らが離れてもサビを飛ばして、2番のAメロへいくと、さらにラブソングとは距離が生まれます。ラブソングだったら、永遠の愛を歌ってほしいです。二人の未来のために発展的な別れを迎えることがあるとしたら、その歌詞のサビに「そばにいたいよ」は似合いません。
それぞれ歩いていく その先で また 出会えると信じて
この曲の主人公は、ほんとうはふたりでいたいのです。でも「君」のために「それぞれ歩いていく」という選択肢が大切であると感じています。
ここから、重要なことがわかります。
この曲の大事な部分は、ふたりでいることではありません。むしろ、別れることです。
ちぐはぐだったはずの歩幅 ひとつのように 今 重なる別れるためには、事前にひとつである必要があります。その前提条件が満たされたのは、2番のBメロになってからです。
ふたりがひとつになったら、あとはもう、別れるまでです。
補助線
単なる別れだとすると、冒頭の涙もちょっとわかる感じがします。きっと惜別の涙なんでしょう。
でも、まだ少し変です。どうして主人公は、つらいのが自分のほうだと思い込んでいるのでしょう。これを考えるためには、もうひとつ補助線が必要です。
私は、この曲の「君」が、“星の王子さま”だと思います。
どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに星の王子さまの内容を、少し思い出してみます。
自分より 悲しむから つらいのがどっちか わからなくなるよ
そういえば、外から見えることだけで判断するなら、星の王子さまよりも主人公のほうがずっと大変な境遇にいたのでした。
小説『星の王子さま』の主人公は、飛行機の操縦士ですが、故障のためにサハラ砂漠で不時着しています。たったひとり、飲み水も1週間分しかない中で、修理をして、また飛行機を操縦して、目的の地に戻らなければなりません。
一方で、星の王子さまは呑気なものです。主人公に会って最初の一言は、
「ね…ヒツジの絵をかいて!」
でした。生死の境をさまよう主人公との対比が鮮やかな部分です。
なのに、この物語、最後のシーンでは星の王子さまは泣いてしまうのでした。最後、星の王子さまは自分の意志で旅立ちを決意したように見えますが、その前に何度も何度も決意が揺らぐシーンがあります。王子さまだって、不安なのです。主人公はそれに立ち会って、「つらいのがどっちか わからなくなる」のです。『星の王子さま』は、この歌詞と、こんな風にでシンクロしていきます。
ガラクタだったはずの今日が ふたりなら 宝物になる「ガラクタだったはずの今日」とは、飛行機の修理ができず、広い砂漠で孤独に過ごす今日です。「ガラクタ」というのは、飛ばなくなった飛行機をも指し示すはずです。
それが「ふたりなら 宝物になる」のでした。
ふたりの関係が宝物になるとは、つまり、ふたりが互いに代わりのきかない関係になるということです。宝物になるような関係を、小説の中で王子さまは、地球のキツネに教えてもらったのでした。
遠くで ともる未来 もしも 僕らが離れてもそうして、王子さまは帰っていきました。行き先はもちろん、故郷の星です。バラの花が1本、咲いているのでした。
それぞれ歩いていく その先で また 出会えると信じて
「遠くで ともる未来」とは、そんな、王子さまの星のことです。
「もしも 僕らが離れても」という部分は、ふたりが離れてしまうことを予期しています。現実にありえっこないようなことを、私たちは仮定法で表現することなんでできません。この時点で、この歌詞の主人公は、小説のほうの主人公と同じように、別れを予期しています。
ちぐはぐだったはずの歩幅 ひとつのように 今 重なる「ちぐはぐだったはずの歩幅」とは、ふたりの会話のことです。
王子さまは、基本的に自分がしゃべりたいことしかしゃべりません。主人公の質問にはほとんど答えません。
けれど、いつしか、ふたりの会話がかみ合うようになっています。
王子さまが旅立つ日のひとつ前のシーン、王子さまから始まる会話は、こういう感じです。
「それ、どういうこと?」
「ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空を眺めたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ」
歌詞はこう続きます。
そばにいたいよ 君のために出来ることが 僕にあるかな一方で小説のほうは、主人公の発話がすごく少なくなります。旅立ちを察する主人公に、王子さまはこう言います。
歌詞は歌います。
いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて小説は、こんな風です。
そして、歌詞のサビ、最後はこんな感じです。
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部小説のこの部分を、想起させますね。
これからは僕も 届けていきたい 本当の幸せの意味を見つけたから
というわけで、秦基博『ひまわりの約束』でした。
「ひまわり」という言葉には触れませんでしたが、これは私、王子さまの髪型のことだと思うんですよね。ほらこんなに似てるし。
今回『星の王子さま』は、すべて サン・テクジュペリ(1962)『星の王子さま』内藤濯 訳 岩波書店 から引用しました。
上記のリンクとは内容が少し違うかもしれません…。
今回は久しぶりに、既存の物語になぞらえる読みができたので良かったです。
aiko『ずっと』 - 5日と20日は歌詞と遊ぼう。
広末涼子『majiでkoiする5秒前』 - 5日と20日は歌詞と遊ぼう。
同じ感じだと、この辺がお気に入りです。次回予告:次回は未定です。2014年最後の更新になります。お楽しみに!