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歌詞を読み、統計したりしています。

自縄自縛の言葉の果て - 米津玄師『ゴーゴー幽霊船』


米津玄師『ゴーゴー幽霊船』の歌詞を考えましょう!

ちょっと病弱なセブンティー
回る発条のアンドロイド
ずっと病欠のセブンティー
あいも変わらずにアンドロイド
各連の1行めを見ればわかるように、この歌詞は「セブンティーン」と「アンドロイド」のふたりが出てくる歌詞です。
では、このふたりはどういう関係なのでしょうか。そしてこの歌詞はどこへ行くのでしょうか。
それをこれから考えてみます。
米津玄師『ゴーゴー幽霊船』歌詞(歌ネットへリンク)

「セブンティーン」&「アンドロイド」

先ほど触れたように、この歌詞には「セブンティーン」と「アンドロイド」というふたりの人物が出てきます。
このふたりには、描かれ方に顕著な違いがあります。

ちょっと病弱なセブンティー
枯れたインクとペンで絵を描いて
継いで接いでまたマザーグース
夜は何度も泣いてまた明日
1連をセブンティーンに関する連です。動詞がいくつか出てくることに注目。
「枯れたインク」「絵を描いて」「継いで接いで」「何度も泣いて」。セブンティーンに関する連には、動詞が多く登場します。そして、動詞の多くは動作動詞です。セブンティーンに関する連は、たいてい外からの視点で描かれています。

一方で。

回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい
2連はアンドロイドに関する連です。
さっきと同じように、動詞だけを抽出してみます。「回る発条」「愛されたい」「願っていたい」。
数は少ないし、動作動詞が少ないのがわかります。動詞の多くは発語内行為です。外から見てわかるような表現はあまりありません。
アンドロイドに関する連は、たいてい内からの視点で描かれています。

1番では、もう一度セブンティーンとアンドロイドが出てきます。さっきの印象をもう一度確認しましょう。

ずっと病欠のセブンティー
曇らないまま今日を空き缶に
空の雷管とペーパーバッグ
馬鹿みたいに呼吸を詰め入れた
動詞は「曇らない」「呼吸を詰め入れた」のふたつ。動詞が2つあり、どちらも動作動詞です。
セブンティーンに関するこの連では、外から観察できることが描写されています。

一方で。

あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど
動詞は「騙す」「目には見えない」のふたつ。「騙す」は言葉による発語内行為なので、文字通り「目には見えない」ものです。
それに、「君を本当の嘘で騙すんだ」という表現は、騙す側からしか適切に使えないはず。
アンドロイドに関するこの部分は、やはり内面からの描写と捉えられます。

今度はサビを考えます。
この歌詞、Aメロ以外のBメロやサビの部分には「セブンティーン」も「アンドロイド」も出てきません。
でも、ここまで見てきたことをヒントにすれば、サビがだれのことを歌っているのかを考える手がかりになります。
サビはこういう感じ。

電光板の言葉になれ
それゆけ幽かな言葉捜せ
沿線上の扉壊せ
見えない僕を信じてくれ
動詞は「言葉になれ」「言葉捜せ」「扉壊せ」「見えない僕」「信じてくれ」という感じ。目に付くのは、毎行の命令形。そして、「言葉に関する単語」の多さです。
だからこの部分はアンドロイドに関する連だと判断できます。もともと、アンドロイドに関する部分は内面からの描写が続いていました。『ゴーゴー幽霊船』は、アンドロイドを主人公にした歌詞なのです。
この歌詞、Aメロでは長々と自分についての内面描写に終始していましたが、サビに入ると突然、命令形が連打されます。サビでは自分自身に対して、鼓舞するような命令が続くことになります。
いったいそれは、どうしてなのでしょうか。

「セブンティーン」←「アンドロイド」

私は「アンドロイド」が「セブンティーン」のことを好きなのだと思います。
でも「セブンティーン」は「アンドロイド」に冷たいのです。「アンドロイド」から「セブンティーン」への片想いです。
そういう想定で歌詞を見てみます。

いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい
愛されたいと願うのに「いつも最低な気分」なのは、アンドロイドの片想いがいつも報われないからです。嫌われているのではありません。無視されているのです。「僕の声と頭はがらんどう」とはそういう意味です。声はがらんどうのように空虚なものになって、相手に届く前に消えてしまうのです。

あいも変わらずにアンドロイド
君を本当の嘘で騙すんだ
僕は幽霊だ 本当さ
君の目には見えないだろうけど
だからアンドロイドは、策を練りました。それがこれ。「僕は幽霊だ 本当さ」とセブンティーンにささやきかけます。そうして気を引こうとしているのです。
アンドロイドは、実際には幽霊なんかではありません。本人は「君の目には見えないだろうけど」と歌いますが、実際には目に見えるはずです。
だから、そんなこと言われたセブンティーンのほうは、
「そんなことないでしょちゃんと見えるよ」
とか、
「なに言ってんのあんたアンドロイドでしょ」
とか、
「バカなんじゃないの」
とか言うでしょう。アンドロイドは、その反応がほしいのです。
どんな言葉であれ、セブンティーンからの言葉は祝福なのです。
この曲は、虚言症の曲です。

電光板の言葉になれ
それゆけ幽かな言葉捜せ
沿線上の扉壊せ
見えない僕を信じてくれ
だけど、その「設定」はだんだんアンドロイドの首を絞めていきます。「電光板の言葉」はまばゆいけれどすぐに消えるものだし、「幽かな言葉」はどうせ言葉だから、フィジカルとは直接関係がありません。
けれど、「見えない僕」を証明するために「扉壊せ」と自身を奮い立たせるあたりから、アンドロイドの行動は少しずつ不幸へと繋がっていきます。そんなことをしたってセブンティーンは喜ばないのに、アンドロイドは自分で作った「設定」を守るために、言動をエスカレートさせていきます。

2番以降のサビは、もう虚言のための虚言にまみれてしまっています。

太陽系の奥へ進め
飛び込め一二の三で跨がれ
太陽系に「奥」なんかありません。存在しない方向へ向かって進むしかないことに、アンドロイドは気づいてもいます。
沿線上の扉壊せ
まんまの言葉信じてくれ
けれど、扉は壊しつづけるしかないし、「言葉信じてくれ」と発言しつづける以外にもう道はありません。
この言葉の先にセブンティーンがいるかどうかは、もう歌詞の中からだけではわかりません。アンドロイドはもう、自分の言葉のあて先を自覚できません。

幽霊船は怒り散らせ
みてろよ今度は修羅に堕ちて
遠い昔のおまじないが
あんまりな嘘と知るのさ
アンドロイドは幽霊船のように寄る辺のない存在になって、いつまでも大海を漂流し続けます。「遠い昔のおまじない」とは、昔自分自身が言った「僕は幽霊だ 本当さ」という言葉です。
セブンティーンを騙すためのはずだった言葉は、いつしか自分自身を縛り付ける「おまじない」に変わっていました。それが「あんまりな嘘」だって自覚していても、もう、アンドロイド本人にはどうすることもできないのです。

というわけで、米津玄師『ゴーゴー幽霊船』でした。
前にゆず『からっぽ』を読んだときと、どことなく似たような読みになりました。
米津玄師さんの曲、私は過去にも

の2つを読んだことがあります。よければ合わせてお楽しみください。

diorama

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次回こそは、ゴールデンボンパー『ローラの傷だらけ』を読みたいです…。