5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

いきものがかり『笑顔』

円を描くしあわせのサイクル
こんにちは。
今回はいきものがかり『笑顔』を取り上げてみたいと思います。いままとまったばかりです。
冒頭のサビはこんな感じ。

だから僕は笑ってほしいんだ だから君と生きていたいんだ
かけがえのないひとよ 僕は君を守り続けたい
君がそこにいてくれることが ただその小さな奇跡が
なによりもあたたかい だから 僕は強くなりたい

私はこの歌詞を最初に見て、いきものがかり『ありがとう』歌詞がなんだか似ているなぁと思いました。
『ありがとう』の歌詞はこんな感じ。

"ありがとう"って伝えたくて あなたを見つめるけど
繋がれた右手は 誰よりも優しく ほら この声を受けとめている

主人公がだれかといっしょにいて、その日々を大切にしているあたりが似てます。これって、いきものがかりがひとつの世界をストイックに追求していることの表れだと思うのです。
ってわけで『ありがとう』は前に読んだことがあることだし、今回はそちらとも比べてみることにします。サビだけじゃなくて、後半も見てみるとますます似ているんだから。
笑顔
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND146843/index.html
構成はこちら→サビ-A-A-B-サビ-A-B-サビ-C-サビ-アウトロ

繰り返す時間、しあわせ

と言いつつも、まずは『笑顔』のことだけ考えてみたいと思います。

花がまた咲いている 僕はちっぽけな一歩を踏む
思い出に変わるこの日々に 何度もサヨナラをするよ

Aメロの歌詞を引用しました。「思い出に変わるこの日々に 何度もサヨナラをするよ」とあります。
私は最初、この日々はもう思い出になってしまって、永遠に戻って来られないという意味なのだと思っていました。「ちっぽけな一歩」は不可逆かつ決定的な一歩で、それが惜しくて何度も手を振っているのだと思っていました。そういう、物語的な歌詞の世界だと思っていたわけです。
が、途中で考えを変えました。この歌詞は、どうやら図鑑型です(図鑑型と物語型についてはゆず『からっぽ』の記事をご覧ください)。
私の見立てでは、日々は何度も思い出に変わるし、そのたび主人公はサヨナラをします。日々はどんどん巡るし、主人公はどんな未来でも、少し後ろを振り返って手を振ったりするわけです。このサヨナラには断絶はありません。連続的に輪を描くような時間の流れをなでるだけです。

花がまた咲いている 僕はちっぽけな一歩を踏む

「サヨナラをするよ」の1行前はこんな歌詞でした。「花が“また”咲いている」とあります。花は咲いては枯れる存在です。「また」と表現されている部分に、主人公のそんな円環的な時間の捉え方を感じることができます。花が何度も咲くのと同じように、主人公は何度もサヨナラをするのです。
その証拠に、これとほとんど同じ表現が、サビの部分にもあります。

花が散って咲くようになんども しあわせを繰り返せたなら
そうやって生きていこう だから僕は強くなりたい

主人公にとっては、しあわせは取りにいくものでも、続くものでもなく、繰り返すものです。すごく独特な捉え方だと私は思いました。時間が輪を描いて進むように、幸せのサイクルも輪を描いていて、それに沿って主人公は生きていくみたいです。
生きていれば幸せなこともあるし、そうでないこともあります。それをこういう表現で描くことができるのは、ステキなことだなぁって思います。

『ありがとう』と比べてみると

さて。私は以前このブログでいきものがかり『ありがとう』を読んでみたことがあります。せっかくなので、今回の『笑顔』と比べてみることにしました。
『ありがとう』と『笑顔』は、全体の構成がほとんどいっしょです。なので順番に、連ごとに見てみることにします。1連めはサビなのであとに回して、Aメロから比べてみます。

まぶしい朝に 苦笑いしてさ あなたが窓を開ける
舞い込んだ未来が 始まりを教えて またいつもの街へ出かけるよ
『ありがとう』

花がまた咲いている 僕はちっぽけな一歩を踏む
思い出に変わるこの日々に 何度もサヨナラをするよ
『笑顔』

Aメロはどちらも時間の流れを描いています。『ありがとう』の場合は「朝」、『笑顔』の場合は「花がまた咲いている」という表現からそれが感じられます。前者は日単位。後者は年単位で動いていて、時間の大きさの違いが感じられます。『ありがとう』は身近な感じ。『笑顔』はもっと視野の広い感じがしますね。

でこぼこなまま 積み上げてきた ふたりの淡い日々は
こぼれたひかりを 大事にあつめて いま輝いているんだ
『ありがとう』

どこまでも どこまでも 明るくなれる君の声が
いつだって一番のひかり 背中をちゃんと押しているよ
『笑顔』

続いてAメロ後半です。どちらもほとんど同じ場所に「ひかり」という印象的な言葉が登場します。マジかよなんだこのシンクロ。

"あなたの夢"がいつからか"ふたりの夢"に変わっていた
今日だって いつか 大切な 瞬間(おもいで)
あおぞらも 泣き空も 晴れわたるように
『ありがとう』

優しいひとになりたい いつかの君が言ったね
心のなかでくすぶる 切ないもの つたえてよ
『笑顔』

続いて引用したのはBメロです。どちらもAメロは現在形だったのに、Bメロで過去の描写が出てきます。
強引にざっくりまとめると『ありがとう』も『笑顔』も、いまいっしょにいる相手に親愛の気持ちを伝える曲だと思います。そういう場合、やっぱり現在のことを中心に描くメッセージになるのは自然なことです。でもこの2曲は、現在に軸足を起きながらも、サビに入る前に過去のエピソードにちゃんと目配せをします。だから歌詞の世界に時間的な深みと味わいがしみだしてきます。

"ありがとう"って伝えたくて あなたを見つめるけど
繋がれた右手が まっすぐな想いを 不器用に伝えている
いつまでも ただ いつまでも あなたと笑っていたいから
信じたこの道を 確かめていくように 今 ゆっくりと 歩いていこう
『ありがとう』

そうさ君が笑ってくれるなら 僕はなんでもできるよなんて
ちょっと強がってるかな でもね なぜか 勇気がわくんだ
花が散って咲くようになんども しあわせを繰り返せたなら
そうやって生きていこう だから僕は強くなりたい
『笑顔』

サビを引用しました。先ほど押さえたように、この2曲はどちらも相手への親愛の気持ちを表現する曲。でも、その伝わり方はちょっとずつ違います。
『ありがとう』の主人公は不器用です。気持ちを「伝えたくて あなたを見つめるけど」「まっすぐな想い」はまっすぐには伝わりません。「繋がれた右手」を通じて、ぎこちなく伝わっていきます。そこには恥ずかしさがあるでしょうし、不器用さが見えたり隠れたりしています。
『笑顔』の主人公はもっと素直です。「君が笑ってくれるなら 僕はなんでもできるよ」なんて言葉にすることができます。それは強がりかもしれませんが、でも「なぜか 勇気がわくんだ」って言うことができるから『ありがとう』のときよりもずっと素直です。
さらに『ありがとう』と『笑顔』にはかなり対照的な部分があります。それは、時間の捉え方です。
『ありがとう』には「いつまでも ただ いつまでも」という部分があります。『ありがとう』では時間は「いつまでも」、直線的に続くものです。
一方『笑顔』ではさっき考えたように、時間は「花が散って咲くように」、繰り返すものです。
時間を直線的に捉える『ありがとう』のほうは、信じた道を一直線に進むような、揺るぎのなさと確かな自身を感じさせます。一方で『笑顔』のほうは山も谷も受け入れて進むような、器量の大きさを感じさせますよね。
そして、サビの締めくくり方が違います。『ありがとう』は「歩いていこう」って感じで締めくくり。未来は現在と地続きで、歩いていくだけで辿り着けるような場所にあります。一方で『笑顔』のほうは違います。「僕は強くなりたい」って感じに終わります。
「僕は強くなりたい」というフレーズは、2行前の「ちょっと強がってるかな」っていうフレーズと呼応していますよね。主人公は「君」を前にして、強がりじゃなく「なんでもできる」ようになりたいわけです。
『ありがとう』と『笑顔』の一番の違い、私はここにあると思いました。『ありがとう』では主人公は「歩いていこう」と言っています。「自分が」歩いていこうなのか「ふたりで」歩いていこうなのかは、これだけでは判断できません。それぐらいファジーな表現で、サビがまとまっています。
『笑顔』は違います。繰り返し登場するように、この曲の主人公は「君」ありきです。サビの最後「強くなりたい」も「君」の存在があってこその強さです。
もちろん『ありがとう』にも「あなた」への気配りがあります。でも『笑顔』における「君」への愛着は、なんだかそれとは段違いのような感じがするのです。ん…もしかして。
これかな?



というわけで、いきものがかり『笑顔』でした。

さて。

お知らせです。

なんと、この記事が私の100コめの歌詞読みの記事になります。年間25コ読んでるので、4年にもなれば、まぁそうなりますよね…。4年もこんなことしてるとか、我ながら頭おかしいです。
ついては100コめ記念…ってわけでもありませんが、ブログを移転したいと思います。詳細は、またいずれ。次回は新しいURLでお送りしたい気持ちです。
いつまで飽きずに歌詞読み続けられるかはマジで分かりませんが、やれるうちはやっていこうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
それでは、メリークリスマス&よいお年を。