5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

米津玄師『サンタマリア』

呪いとともに歩む道程

今回は、米津玄師『サンタマリア』の歌詞を考えてみたいと思います。ハチとしてボーカロイドの楽曲でも有名な方です。

さて今回は『サンタマリア』のサビの歌詞は、

ンタマリ 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
幸せを砕いて 祈り疲れ
漸く(ようやく)あなたに 会えたのだから

こんな感じ。サビの最初のいちばん露出が多そうなところに「サンタマリア」とタイトルが入ってくるのがキャッチーですね。
しかも「サンタマリア」と同じメロディには「様々な」と入ります。最初がsの音。最後はaの音で、きれいに押韻しています。
しかも押韻しているのは1番だけではなくて、2番も同じ。「ンタマリ」「の目に」と、sで始まりaで終わっています。この押韻が偶然なんかのわけない!
というわけで、この歌詞についてこれから考えてみたいと思います。見てみたらライムだけではなくて、意味の上でもとても緻密な歌詞でした♪
歌詞はこちら→http://dic.nicovideo.jp/v/sm20682333
構成はこちら→A1-A1-A2-B-B-サビ1-サビ2-A1-A1-A2-B-B-サビ1-サビ2-C1-C1-C2-サビ1-サビ2-サビ2

アンビバレンス

この歌詞、反対の意味を持つ単語のペアがものすごくたくさん出てきます。
例えば歌詞の最初はこんな感じ。

掌をふたつ
重ねたあいだ
一枚の硝子で隔てられていた

1番の最後はこうです。

手をつなごう
意味なんか無くたって

最初は「硝子で隔てられていた」のに、最後には「手をつなごう」と歌っています。冒頭のシーンは硝子によって手を触れ合えないことがわざわざ強調されているのに、最後のシーンではあっさり手をつなごうとしています。一体どっちなんだろう。
こんな対立はほかにもあります。たとえば1行だけのBメロ。

話をしている

こんな風にあります。ところがサビでは、

サンタマリア 何も言わないさ

となります。話をしていたはずなのに「何も言わないさ」に切り替わってしまっています。
2番のサビには

サンタマリア 全て正しい
どんな日々も過去も未来も間違いさえも

という部分もあります。ここでは「正しい」と「間違い」が対立しています。
この部分の少し前には、

汚れることのない歌を

という部分がありますが、少し先には

落ち込んだ
泥濘(でいねい)の中だって

という部分が登場します。「汚れることのない」と「落ち込んだ/泥濘」の対立は鮮やかです。こんな風に、この歌詞には対立する要素がとてもたくさん並立しています。
対立する要素が多い曲といえば、たとえば以前レミオロメン『3月9日』を読んだことがありました。ここではいろんな要素は静と動に整理され、いろんな要素が静に向かうようにできているようでした。
今回の『サンタマリア』もそういう風に読めるかと思って考えてみたのですが、そういう風にすっきりとはいきませんでした。困ったよ…。これじゃ、ただいろんな要素ががちゃがちゃ出てくるだけの曲です。でも、そんなことないオーラをひしひしと感じます。
そして、私は気づきました。この曲には、現在から未来へとつながる線があるみたい、ってことにです。
最初に戻ります。
私が最初に取り上げた対立は、隔てられていることと手をつなぐことでした。

一枚の硝子で隔てられてい

この「た」はたぶん完了なので、「硝子で隔てられていた」のは現在だといえると思います。

手をつなご

一方、この「う」は意志なので、「手をつな」ぐのはきっと未来でしょう。
こうして、隔てられているのは現在、手をつなぐのは未来、だと整理できます。
私がさっき取り上げたいろんな対立は、ほかも現在未来に分類できるみたいです。
「正しい」と「間違い」の対立も考えてみます。

どんな日々も過去も未来も間違いさえも

今回問題の「間違い」は、過去と未来と併置されるもうひとつとして登場します。過去や未来に並ぶものといったら、私はやっぱり「現在」だと思います。「過去も未来も○○も」の○を埋めましょう、みたいな国語の問題があったとしたら、私は「現在」って書きますよ。そういうわけでこの「間違い」は現在に属するものだろうなぁ、と思ったのです。
一方で、その直前の行では、

サンタマリア 全て正しい

と歌われます。これはきっと過去も未来も現在正しいということでしょうから、この正しさを時間軸に落とし込もうとするのは難しそうな感じ。でもこじつけと消去法を活用するなら、正しさは未来に属するものにできますね。だって過去のことだったとしたら「正しい」じゃなくて「正しかった」って言うはずのところだし♪
これを表にまとめると、以下のようになりそうです。

  現在 未来
硝子で隔てられていた 手をつなごう
話をしている 何も言わないさ
汚れ 落ち込んだ
泥濘の中
汚れることのない
正誤 間違い 正しい

こんな感じに分類できます。
さらに、最初に取り上げなかった項目も、現在未来に落とし込むことができそうです。たとえば「呪い」はどうでしょう。

今呪いにかけられたままふたりで

1番のBメロにはこんな歌詞が出てきます。だから「呪いにかけられたまま」なのは現在なのだとはっきり分かります。
2番のAメロを見てみると、

信じようじゃないか
どんな明日でも
重ねた手と手が触れあうその日を

呪いがとけるのを

こんな部分があります。この「呪いがとけるのを」は1行目の「信じようじゃないか」と呼応しているみたいに読めます。「呪いがとけるのを信じよう」ってことです。それが「明日」のことみたいですから、きっと呪いがとけるのは明日のことなのでしょう。それはつまり、未来です。「呪いにかけられたまま」なのは現在で、「呪いがとける」のは未来です。
同じ感じで「仙人掌」もよいキーワードとして注目できます。それも含めてさっきの表に盛り込むなら、こんな感じです。

  現在 未来
呪い 今呪いにかけられたまま 信じようじゃないか
(中略)
呪いがとけるのを
仙人掌 仙人掌は
未だ咲かない
いつか紺碧の
仙人掌が咲いて

どちらも、対立要素が描かれていますが、現在未来にきれいに分かれています。だから歌詞が破綻することがありません。
現在未来の要素を、単純に静や動に分けるわけにはいきません。「硝子で隔てられていた」静に見える現在は、「話をしている」から動にも見えます。「仙人掌が咲いて」動に見える未来は、「汚れることのない」静にも見えます。
でも、主人公が現在をポジティブに捉えていないことは、歌詞の端々から分かります。「泥濘の中」だし、「呪いにかけられたまま」だし、「仙人掌は未だ咲かない」のだし、「間違い」なのです。たくさんの相反する言葉の奥からは、現在をポジティブに捉えきれない主人公がぼんやり浮かび上がってきます。そして、反対にもう少し明るく見える未来も。
この曲は、ただの混沌ではありません。陰陽いろんな要素がある中で、現在からはそっと背を向け、ぼんやりと未来に明るい思いを馳せるような、そんな色分けが浮かんできます。

デフォーミティ

でも、そういうシチュエーションって、具体的にどんな状況なのでしょうか。「あなた」ってだれなのでしょう。「サンタマリア」とは何でしょうか。
ここからは輪をかけて私の妄想ですが、主人公は赤ちゃんを授かったところなのだと私はイメージしました。五体満足“ではない”赤ちゃんです。
この曲は「あなた」に話しかける体裁をとっています。「あなた」とは赤ちゃんのことだと思います。

あなたと僕は
決してひとつになりあえないそのままで

話をしている

ガラスで隔てられてもいるし、赤ちゃんは生まれたばかりなのでしょう。だからほんとうの意味での「話」はできません。でもきっと親子のことですから、言葉がなくたって通じ合うものがあるのだと思います。
私は、この曲の登場人物は主に3人だと思いました。「僕」、「あなた」(=赤ちゃん)、そしてサンタマリアです。「あなた」とサンタマリアは別の人だと私は思いました。
字義通りに捉えるなら、サンタマリア聖母マリアのことです。「僕」は「あなた」に話しかける一方で、聖母マリアに対しての思いも織り交ぜています。

サンタマリア 何も言わないさ
惑うだけの言葉で満たすくらいならば
様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸く(ようやく)あなたに 会えたのだから

サビを引用しました。ここで「何も言わないさ」の対象になっているのは、赤ちゃんではありません。「サンタマリア」です。「僕」はサンタマリアに対して「何も言わない」と歌っているみたいです。
もしこの境遇に主人公が不満だったとしたら、主人公はサンタマリアに救いを求めるだろうと思います。なのに主人公は「何も言わない」と表明しています。だから主人公はこの境遇を、サンタマリアのせいにはしないよ、不満はないよ、と歌っているように聞こえてきます。

様々な幸せを砕いて 祈り疲れ
漸く(ようやく)あなたに 会えたのだから

主人公にとって「あなた」はきっと待ち望んだ子なのでしょう。長く祈って、ようやく会えた「あなた」を離したくはないのだと思います。

一緒にいこう
あの光の方へ
手をつなごう
意味なんか無くたって

だから1番の最後はとても感慨深く見えます。
面会室のガラスは簡単に越えられるようなものなのではないでしょうか。例えば、数歩あるいて、隣の部屋の扉を開けるぐらいの。
いまは赤ちゃんを細菌や感染症などから守るために、ガラスがふたりの間をさえぎっています。でも、主人公はそれを越えて、大切な赤ちゃんの手をつなごうとしています。外から見ている人からしてみたら、ルールを破り危険を冒して、手をつなごうとするのにはよっぽどの理由があるのだろうと思うでしょう。でも主人公には大した理由の持ち合わせなんかありません。単純にそばにいたいのです。「意味なんか無くたって」という1行に、私はそういう思いを感じました。
ほんとうはきっと、主人公の気持ちはまだ整理しきれていないのだと思います。これからずっといっしょに過ごしていかなければならない障害は「呪い」のようにも感じられるでしょう。この記事の前半で考えたアンビバレンスは、そういう割り切れない思いみたいに見えます。
けれど、未来には明かりが灯っています。
たとえば仙人掌にそれが見えてきます。solxsolによると仙人掌の花は「開花する大きさに育つまで30年〜50年かかるものだったり、2m以上 に育たないと花をつけないものもあります」とのこと。開花の時間が極端に限られている品種もあるみたいです。この歌詞ではつまり仙人掌は、長い年月や高いハードルを象徴しているのでしょう。でも、長い年月や高いハードルの先に、花が咲く日が訪れることをこの歌詞ははっきりと予期させます。

闇を背負いながら
一緒にいこう
あの光の方へ

いまはきっと、自分たちの居場所が「闇」の中に見えるのでしょう。でもきっとその向こうで「光」に包まれる日は必ず来るはずです。主人公はそれを、すでに知っていそうです。だからこの混沌も、迷うことなく色分けすることができるのでしょう。
主人公からは、そういう覚悟を感じるのです。



というわけで、米津玄師『サンタマリア』でした。
実はこれを読むのがけっこう難しくて、サンタマリアをいろいろ調べたあげく、私は宮沢賢治を読んだりもしました←
今回の読みにはまったく生かされていませんが、きっと別の読みでなら、宮沢賢治をからめることもできそうです。
今回「面会室」を産婦人科だと捉えてみましたが、監獄とも取れるし、もっとまったく違う比喩の世界でも遊べる気がします。「呪い」とはボーカロイドのことでは?というコメントがニコ動の当該ページに流れていましたが、なんか、それだけでもうひとつ記事が書けそうな気がしますね。
味わい深い歌詞で、大変おいしゅうございました。ごちそうさまでした。
追記:米津玄師『アイネクライネ』米津玄師『ゴーゴー幽霊船』も読んでみましたので、よければご覧ください。
https://itunes.apple.com/jp/album/santamaria/id632010845?i=632011255&uo=4&at=10lrtS
↑クリックすると続きのサビとかも聴けます♪次回予告:次回はスピッツ『さらさら』を読んでみたいと思います。