5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

谷村新司・加山雄三『サライ』

嫌いな理由。好きな理由。
こんにちは。
サライ
谷村新司加山雄三サライ』を今回は取り上げたいと思います。Wikipediaによると、サライとは「ペルシア語で家(または宿)の意味」とのことです。
歌詞はどうせとっても有名ですが、サビをちょっと引用してみますと、こんな感じ。

動き始めた 汽車の窓辺を
流れてゆく 景色だけを じっと見ていた
サクラ吹雪の サライの空は
哀しい程 青く澄んで 胸が震えた

すごい! 徳光さんの顔が脳裏に浮かびますね!(違
テレビっ子要素が非常に薄い私ですらそうなのですから、世のみなさまがたにおかれましてはなおさらなのではないかと思います。大合唱が似合いますねぇ。
YouTubeとかのこの曲のコメント欄を見ると、この曲を聴いて郷愁をかき立てられる人が多くいらっしゃる様子です。それはそれでいいのですが、実は私は最初この曲にぜんぜん共感できませんでした。いまから私が書くのは、共感できなかったポイントと、その考えを改めるまでの経緯です。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2152/index.html
構成はこちら→A-サビ-A-サビ-A-サビ-サビ

共感できない理由

ってか、さっきちょっとオブラートに包んでいいましたけど、もっとはっきり言います。私、この曲のこと嫌いでした。
世の中には24時間テレビのことを悪く言う人もいらっしゃいますが、別に私は24時間テレビについてはなんとも思いません。てか、テレビあんまり見ないのでよく分かりません。違うんだよ、この歌詞の主人公がジコチューだと思ったんだよ!

遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた
穏やかな 春の陽射しが ゆれる 小さな駅舎
別離より 悲しみより 憧憬はつよく
淋しさと 背中あわせの ひとりきりの 旅立ち

1連を引用しました。この部分はけっこういいと思うんです。たった4行で(ってか最初の1行で)この曲のシチュエーションが分かるし、たった4行で(てか最初から2行めで)それを踏まえた美しい風景描写があるのがとてもきれいです。冒頭の描写が簡素かつ印象的で、たむらぱん『ちゃりんこ』とかを連想しちゃいますね!(yatt0618さんを念頭に置いたあざとい発言)
冒頭をまとめると、夢を叶えるためにひとり電車に乗って故郷を旅立つ、という主人公のシチュエーションがはっきりと分かります。

動き始めた 汽車の窓辺を
流れてゆく 景色だけを じっと見ていた
サクラ吹雪の サライの空は
哀しい程 青く澄んで 胸が震えた

そしてすぐにサビが続きます。冒頭から順に読むならここも好きなシーン。桜の色と空の色の対比がすごく鮮やかですね。
窓辺を見ている主人公は、未来の自分に想いを馳せて、きっと将来この光景は自分の心に刻まれるだろうなと思っているみたいな感じがします。でなければたかだか窓辺を「じっと見ていた」なんて描写しないと思いますからね。現在の視点から過去を振り返るサザンオールスターズ『TSUNAMI』とはちょうど逆の描き方になっています。時間をはさんだ深みのある表現です。
こんな感じで、故郷からの旅立ちが描かれている1番。ここまでは嫌いじゃないです。てか、個人的にはけっこう好きなテーマだし、好きな描かれ方です。いいよねお別れ。切ないよね。
ところがですよ! 途中をいろいろ飛ばして最後の連を引用します。

まぶたとじれば 浮かぶ景色が
迷いながら いつか帰る 愛の故郷
サクラ吹雪の サライの空へ
いつか帰る いつか帰る きっと帰るから

お前なんだこれ!! 未練たらたらじゃねぇか!!
私は最後まで読んでこう思いましたね。最初の連を思い出してください。最初はこうでした。

遠い夢 すてきれずに 故郷をすてた

夢を追いかけて、自分の判断で故郷を捨てたはずなのです。だとしたら切ないけれど故郷はすっぱりあきらめるべきだし、夢は追い続けていてほしいです。
けれど、主人公のまぶたの向こうにあるのはいつまで経っても故郷の景色です。で、浮かぶだけならまだしも、

迷いながら いつか帰る 愛の故郷

と歌われているのです。どっちだよ! 帰るのかよ! なのに迷うのかよ!!
さらに、追い討ちをかけるかのような最後の1行がこれです。

いつか帰る いつか帰る きっと帰るから

この繰り返しはなんだよ、って私は思いましたね。
ちょっと考えてみてください。次の日曜日に公園に行くといったはずのお父さんが、約束を守らずに家でごろごろしています。娘はお父さんに言うのです。
「ねえパパぁ、今日行かないのー? じゃあいつ行くのーねぇねぇ?」
そして、お父さんはこう答えるでしょう。
「あーいつか行く。いつか行くからさ!」
せっかくの前フリなのに!これは行かないフラグ全開じゃないですか!!
というわけで話は脱線しましたが、主人公は口では帰るとか言っておきながら、本当はあまり帰る気がなさそうなのです。そのくせ、まぶたを閉じれば故郷の景色が浮かぶぐらい、故郷に未練もあります。私が嫌なのはここなのですよ。
自分の判断で故郷を離れたなら、そこから先は前向きに生きていてほしいのです。いつまでも故郷を忘れられない自分に酔うのはやめてください!
ってね。

切なくなっちゃう理由

…っていうさっきまでの私の感想は、実は間違いでした。故郷を発ってから最後のシーンにたどり着くまでには、経緯がちゃんとあったのです。

恋をして 恋に破れ 眠れずに過ごす
アパートの 窓ガラス越し 見てた 夜空の星
この街で 夢追うなら もう少し強く
ならなけりゃ 時の流れに 負けてしまいそうで

さっき飛ばした2番を引用しました。「アパート」「この街」みたいなキーワードから、ここは都会でのシーンだと分かります。私が注目したのは最後の1行。「時の流れに 負けてしまいそうで」これです。
「時の流れに負ける」とは、どういうことでしょうか?
決心は、時間が経つにつれて薄れてしまうもの。「時の流れに負ける」とは、故郷を旅立った決心が薄れることを指すのではないかと思います。それはつまり、夢をあきらめるということです。
故郷を発った時点では、主人公はまだ若いのだと思います。恋を知り、「この街」の大きさを知る過程で、主人公はさまざまなことを知り、成長していくのでしょう。そして、その成長の先で、だんだん自分の実力や、夢への距離が分かってきたのではないでしょうか。

まぶたとじれば 浮かぶ景色が
迷いながら いつか帰る 愛の故郷
サクラ吹雪の サライの空へ
いつか帰る その時まで 夢はすてない

さっきも引用した6連です。「夢はすてない」という言葉は、実はとても重いものです。
中島みゆき『荒野より』などでも触れたことですが、否定文って一度 文章の意味の内容を肯定の状態で飲み込んでから、それをひっくり返しにかかります。『青い象のことだけは考えないで!』と言われたら青い象のことを思い浮かべてしまうのと同じです。何の脈絡もなく否定文が出てくることは基本的にはありません。否定文が出てくるのは、それなりの文脈と必然性があるからです。
この曲には「夢はすてない」と出てきます。ということは主人公は一瞬でも夢を捨てることを脳裏に浮かべたことがあるはずだということです。決定的なライバルの存在を知ったとか。客観的な試験の点数を見て愕然としたとか。信用のおける友だちに、冷静な観点から諭されたとか。
ほかにストレートな表現が出てこないのは、この曲が故郷の人たちの耳に届くだろうことを予期しているからかもしれないですね。だからこそ「夢はすてない」というたった6文字が、この曲の中ではこんなに重たいのです。
長く生きていると、自分の意志では思い通りにならないことが必ず訪れます。主人公はきっとそれに突き当たったのでしょう。この曲は、夢を追いかけて故郷を旅立つところから始まりました。夢をつかんで故郷に戻れば、きっと曲としてはきれいに収まったことでしょう。でも自分の力ではどうしようもないレベルで、どうしても夢が叶わないってことは起こりうることです。この曲の背景にはそんなエピソードが隠れて(でも見えるように)横たわっているから、きっとこんなに切ないのでしょう。
最初の私の思いは間違いだったのです。都会でのエピソードが見えていなかった私は、まだまだひよっこだったのです。



というわけで、谷村新司加山雄三サライ』でした。
私はいつもこんなエラそうな口調でこれを書いていますが、ぶっちゃけ人生経験も浅いし学もないし洞察力や発想力があるわけでもないので、私の読みが正しいものだとはあんまり思っていません。でも今回は書いていく過程で、なんか分かんないですけど人生はこういうものだ、みたいな言い回しに触れざるを得ませんでした…。私が人生を語るなんて僭越もいいところですが、そうなってしまってごめんなさい。うう。
でも! 逆に言うとサライ』は主人公が自分の目線からしか歌詞を書いていないくせに、大きな人生みたいなことを考えさせる力があるって点で、やっぱりすごいなって思いました!!(強引)
次回予告:次回は嵐『Breathless』を取り上げます! めっちゃかっこいい。