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5日と20日は歌詞と遊ぼう。

毎月5日と20日に、J-POPやボカロ曲などの歌詞を読んだり、統計したりしています。twitterは@hacosato。

川本真琴『桜』

ふたりの「あたし」
こんにちは。地元の県立高校の国語の問題を解いてみました! 別に中学のとき国語が得意だったとかじゃないのに、なんと97点だったよ!!ドヤッ
そこで宣伝です! みなさん、歌詞を読むと国語の成績が上がるよ!!←
桜
えー、ということで今回は、川本真琴『桜』を取り上げたいと思います。私がこのダイアリーを始める前からずっと読みたかった曲です。やっとこさ文章にまとまってきましたので今回取り上げてみたいと思います。お待たせしました自分!
川本真琴『桜』は、

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

こんなサビの歌詞がとても印象的です。ヤバいなに言ってんのかよくわかんない!テンション上がる!
というわけで、この高いテンションで今日は川本真琴『桜』を考えていきます!
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND10281/index.html
構成はこちら→A-A-B-サビ-A-A-B-サビ-B-サビ

桜のようなお別れ

…とはいえ、歌詞の全体のイメージ、いくら読んでもひとつの像を結びません。困った私は、いままでに読んできた桜ソングを振り返ってみました。
私は桜ソングが好きです。「桜とか言っときゃ売れると思ってんだろお前ら!!」とかって風に悪く言う人も世の中いますが、私は好きだよ、切ないもん。
いままでには、Whiteberry『桜並木道』コブクロ『桜』森山直太朗『さくら(独唱)』AKB48『GIVE ME FIVE!』などを始め、けっこうたくさんの桜ソングを読んできましたが、私がはっとしたのはAKB48『10年桜』でした。それを参考にすると、桜とお別れの構図が見えてきました。
AKB48『10年桜』では、桜の花びらが風に舞うことが、人の羽ばたきや卒業なんかと重ねあわされています。その構図が、川本真琴『桜』と似ているみたいだと思ったのです。

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

桜の花びらは風に吹かれて、梢から離れていきます。この歌詞ではそれを「ひとりぼっちになる」と表現しています。梢から離れる花びらを、自分自身の姿と重ねあわせ、お別れをしなければならない自分自身を振り返っているのでしょう。

くしゃくしゃになってた 捨てるつもりの卒業証書を
ねぇ かえっこしよ

最初の2行を引用しました。卒業証書をもらっているのだから、主人公は卒業生です。けれど、ふつう卒業証書をかえっこなんてしません。くしゃくしゃにもしません。オフィシャル的には大事なものであるはずの卒業証書は、主人公にはちっとも大事ではありません。主人公にとってほんとうに大切なのは、お仕着せの卒業ではなく、自分自身でちゃんと選ぶお別れだと思うのです。こっから先、そんな前提で読んでみます。

今誰か使ってるの 窓際ならんだ席 こっから見えるかな
「絶交だ」って彫った横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

続くBメロを引用しました。
1回目、机に「絶交だ」って彫るのは、たぶんケンカしたからとかそういう理由からです。もういっしょにいたくないし、口もきかないし、顔も見たくない!みたいな熱いエネルギーを机にぶつけているんでしょう。でもきっと時間が経てばそれも思い出になって「今誰か使ってるの 窓際ならんだ席 こっから見えるかな」っていうノリで振り返ることができます。
でも「今度こそ絶交だ」はもっと重いです。「今度こそ絶交だ」が彫られたのは、卒業式の当日の、ついさっきのことだと私は思いました。「今度こそ絶交だ」って彫ったって、もうだれも見ることがありません。それに絶交だったのは遠い思い出の話で、いまはふたりはいっしょにいます。だからもう、ここにはさっきみたいな負のエネルギーはありません。
じゃあ、なんのために?
ここにあるのは、自らに宛てた決意です。「今度こそ絶交だ」って彫ることによって、主人公は自分自身に言い聞かせようとしているのかな、と私は思いました。
お別れをしないといけないのです。それに向かって、全部は進んでいきます。

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

もう一度サビを引用します。だんだん分かってくると、このサビはアツいですね! 桜が梢から別れるように、私もお別れをしないといけません。
「深呼吸の途中」で、主人公はたぶんお別れの言葉を言おうとしています。なにかを話すためには、息を吸わないといけません。決心して、大きく息を吸って、想いを口にしようとするたび、その決心はくじけてしまいます。緊張から来る早口で「できない」って言葉ばかりが口をつくんじゃないでしょうか。

神様は創りかけて やめてしまった
こんな気持ちわかんない ぜんぜん
あたしとあたしの手があなたにふれた時
できない できない できない

続くサビの後半です。「神様が創りかけて やめてしまった/こんな気持ち」の内容もいまなら分かります。これはきっと、別れたくなんかないけれど、別れなければならない、そんなアンビバレントな気持ちのことを指しているのでしょう。
この曲は図鑑型として、最後まで少しずつ表現を変えて、でもひとつのこのテーマをきっちりと描いています。
でも、何と言っても白眉はここです。2番のサビの後半。

発車のベルが鳴っても 言い出せなかった
今年で一番やさしい風
あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる
できない できない できない

「発車のベル」は、たぶんお別れのタイムリミット。スキマスイッチ『奏』にも出てくるモチーフです。そのときに吹いたのは「今年で一番やさしい風」です。
「今年で一番やさしい風!」
思えば、桜にとって風はお別れを後押しするものでした。主人公にとっても「風」はお別れの言葉を切り出すきっかけになる存在であるはず。
でもその風が「あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる」のです。今年で一番の風と、タイミングが合わないのです。

ふたりの「あたし」

ところでこの曲の「あたしたち」とはだれでしょうか? 「あたし」とその彼氏?
私は、ちょっと違うと思います。でも「あたしたち」は違います。この曲には2つの「あたし」がいると思います。別れないといけないことを分かってる「あたし」と、別れたくない「あたし」です。

「絶交だ」って彫った横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

1番のBメロを引用しました。これ、さっきはさらっと流しましたけど、ちょっと言い回しが不思議だと思うのです。「『今度こそ絶交だ』って彫った」がこの複文の主節にあたります。「今度こそ絶交だ」を彫った時点で「絶交だ」は彫ってあったわけなので、引用した部分は本来なら

「絶交だ」って彫ってあった横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

って書いたほうが文としては自然です。音としてもこれくらいの字数、簡単に収められます。
でも、この歌詞はそうなっていません。私はこれを見て、変なのって思いました。これじゃまるで「絶交だ」も「今度こそ絶交だ」も、同じタイミングで両方とも自分で書いたみたいじゃん、って思っていたのです。
でもこれ、ほんとうに両方とも同じタイミングで、両方とも自分で書いたのだとすれば、ちっとも変ではありません。で、このふたつを書いた人が、別れたくない「あたし」と、別れないといけないのが分かってる「あたし」なのだとすると、とてもきれいにつじつまが合います。この曲では「あたし」がふたつに分離していて、両者がせめぎあっているのです。そして、一人称の地位を目まぐるしく取り合っています。

知らない人が声かけてくるの知ってたけど あの夕焼けで
友達にまざっていた ただそれだけで
あったかくなれたの

2番のAメロです。いきなり「知らない人」が出てきて、唐突だなぁと私は思っていました。これも、さっきの考えを適用すれば自然に読むことができます。
この部分で主人公なのは別れたくない「あたし」です。友達にまざって、つかの間の青春を青春しているのでしょう(謎)。そこで出てくる「知らない人」は、もうひとりの主人公です。つまり別れないといけないのが分かってる「あたし」です。お別れを言わないと、と思っているもうひとりの自分が不意に首をもたげたのを友達に見られてしまった別れたくない「あたし」が「し、知らないヒトだよ…」って取り繕っているみたい。
もしふたりの「あたし」がいるのだとすると、おもしろいのはこの歌詞の中での「あたし」の登場の仕方です。この歌詞、ほぼすべて一人称は単独では出てきません。「あたし」は常になにかといっしょです。

あたしたちがそっと息している

あたしとあたしの手があなたにふれた時

あたしたちがずっと追いかけてた

あたしたち新しくなれるの?

って風に。これはぜんぶ、ふたりの「あたし」を指しているのだと考えればイイ感じですね。「あたし」の気持ちは分離していても、離ればなれになるわけではありません。瞳のピントを外して物事を見てみたら、ひとつのものがふたつに見えてしまうのと同じように、ふたつに見えても中身はひとつで、中身はひとつだけど像はふたつなのです。
ところでこの曲で唯一、この像がひとつになる瞬間があります。それは、

今年で一番やさしい風が
あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる

さっきのところです。ここだけ「あたし」が単独で出てきます。ふたつの「あたし」がひとつになっているのがここからよく分かります。千載一遇のチャンスです。
なのに。
せっかく自分の気持ちもまとめて、息も吸って、あとは別れの言葉を口にするだけでいいのに「今年で一番」の風とタイミングが一秒だけ合いません。だからお別れも「できない」のままなのです。すごいせつなさじゃん!



というわけで、川本真琴『桜』でした。
前回aiko『三国駅』に引き続き、今回も主人公がふたつに別れる、という趣旨で読んでみました。最近そういうの多いですね…自重します。
川本真琴はほかの曲で「あたしとあなたがひとつになる」みたいな読み方できそうな曲があるので、これから取り上げてみたいところです。川本真琴の歌詞を考察している方ってたくさんいらっしゃいますから、その点でももっとやってみたいアーティストさんです!! 今日は楽しかった!
桜

gobbledygook

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The Complete Singles Collection 1996~2001

The Complete Singles Collection 1996~2001

次回予告:次回は加山雄三・谷村新司『サライ』を取り上げたいと思います。桜の時期だからね★

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