5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

YUI『fight』

境界線を抜ける物語な歌詞
こんにちは。
今日はmariruさんのリクにお応えしまして、YUI『fight』を取り上げます。この曲はNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の2012年の課題曲です。
2011年の課題曲flumpool『証』や、2010年の課題曲大塚愛『I ♥ ×××』も読んだことがありますので、よければそちらもぜひ。
fight(初回生産限定盤)(DVD付)
で、歌詞なのですが、私は初めてこれを読んだときにかなりびっくりしました。

頑張れ頑張れ
命燃やして
続く現実
生きてゆく

私の個人的なイメージでしかありませんが、この時代に「頑張れ頑張れ」は、かなり斬新です。
論拠はありませんが、傷ついて疲れてしまった人を癒すのは、いまのJ-POPの大事なお仕事だと思います。「あなたはいまのままでいいんだよ がんばらなくていいんだよ」的な歌詞の曲ってたくさんありますもんね。
でもこの曲は違います。「頑張れ頑張れ」と鼓舞するように歌われます。
私の甘い予想をばっさり裏切ったこの曲、常套句には頼らないスタンスがはっきり見えてかなりかっこいいです。
そのかっこよさをこれから味わってみましょう。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND132183/index.html
構成はこちら→A-サビ-A-サビ-C-サビ

クリシェに歯向かって

さっきも書きましたが、世の中にはクリシェ的な表現ってありますよね。
この曲はそんなクリシェにをばっさり切り捨てる部分がたくさんあります。

描く夢がすべて
叶うわけなどないけど

歌詞の1行めを引用してみました。いきなりこれです。
J-POPだったら「夢は叶う」って歌ってくれたっていいのに!って思いますが、いきなりその甘い思いを断ってしまってます。

あなただってわかっているはずよ

その直後にこれ。
この曲の歌詞の主人公はたぶん10代で「あなた」というのはその周囲にいる大人なのだと思います。だとしたら「大人は分かってくれない!」的な歌詞の流れになるのが、よくあるパターンな感じ。
でもこの部分の歌詞はそれの逆を行っています。(大人は分かってくれないのではなくて)大人は分かっている、と歌っているんだから。

壊れそうな空だって
あたしは受け入れるから

引用したのはさらに続く部分。私の手元の『新明解国語辞典』には「空」の2つめの語義としてこう載っています。

その人が現在その中に身を置いている境遇。
この歌詞の主人公は「空だって」「受け入れる」って言っています。身の回りの環境が壊れそうなのに、それを守ろうとするでも、一掃してやろうとするでもなく、単に受け入れるというのはかなり新しい歌詞だなぁと思います。
なんて思っていた私も、胸に手を当ててよく考えてみました。
そういえば中二をこじらせていた私も、斜に構えて世間のことをなんでも邪推してみたり、逆さまに言ってみたりしていた時期があったな、と。
そんなイタい10代の気持ちを、この曲は代弁しているのですね!!

…なんて。ウソです。
この歌詞の主人公は、イタい面もあるといえばありますが、同時にすごく冷静で理知的で、真相を突いてもいます。
夢がすべて叶うわけがないのは事実だし、大人は概して周囲の子どものことをとてもよく見ています。周囲の環境を受け入れて過ごすことは安定した毎日を得るためにとてもたいせつなことだし、生き方のひとつとしてとてもかしこいやり方です。それに、がんばって結果が出せるときにはがんばれるような自分にしておくことはとてもメリットがあることです。

大人になりたい

1連の最後、主人公は「大人になりたい」と締めくくっています。以前斉藤和義『やさしくなりたい』でも取り上げたのと同じですが、この歌詞から分かることはふたつあります。
ひとつは、主人公は大人ではないということ。
もうひとつは、主人公は大人になれるということ。
です。
主人公はもちろん幼稚な子どもではないでしょうが、大人だと言い切れるわけでもありません。その2面性が、この歌詞の中のイタさとかしこさの2面性ともリンクして見えます。
二重の意味で主人公は境界線上にいるんだろうな、と私は思ったのでした。

大人になって

ところで私、この歌詞は図鑑型ではなく、物語型だと捉えて私は読んでみました(図鑑と物語についてはゆず『からっぽ』をご参照ください)。

この歌詞、最初のサビと最後のサビは歌詞が同じです。図鑑として読むなら、このふたつは同じ意味になるはずです。
でも私は、物語型だと思います。つまり、最初のサビと最後のサビは、同じ見た目だけど、意味が違うのです。
最初のサビは自分に対して、最後のサビは他人に対して歌っていて、歌っていると私は思いました。他人というのは、次世代の若い人、です。

証拠は終助詞です。終助詞とは、文の終わりに付く「ね」とか「よ」とか「さ」とかです。
数えてみたらこの歌詞には終助詞は5つありました。「よ」が3つで「ね」が2つなのですが、その登場する位置がすごく特徴的です。
「よ」だけが前半にかたより、「ね」だけが後半にかたよっているのです。

描く夢がすべて
叶うわけなどないけど
あなただってわかっているはず
壊れそうな空だって
あたしは受け入れるから
大丈夫
優しい嘘
大人になりたい

1連を引用しました。「わかっているはずよ」「大丈夫よ」の2ヶ所に「よ」が付いています。

希望の先にある
憧れに手を伸ばせば
明日だって手さぐり見つける
散りゆくから美しいという
意味がわかってきた
ごめん
もう少し
大人になるから

頑張れ頑張れ
勝ち負けだって
本当は大事なことなんだ
頑張れ頑張れ
そうさ人生は引き返せない

サビをはさんで、2番の全部を引用しました。「明日だって手さぐり見つけるよ」までが「よ」のシリーズ。
そこからあとは「ね」だけが出てきます。「ごめんね」「本当は大事なことなんだね」って感じ。
前半は「よ」ばかりが出てきて、後半は「ね」ばかりが出てきます。
その切り替わりにあるのは、

散りゆくから美しいという
意味がわかってきた

という部分。主人公がこの意味に気付いた瞬間、歌詞の世界は変わり、助詞は「よ」から「ね」に切り替わっています。この助詞の違いには、どんな意味があるでしょうか。
益岡・田窪『基礎日本語文法-改訂版-』によると、

「よ」は、基本的には、相手が知らないことに注意を向けさせる働きをする。したがって、場合によって、単なる知らせ、注意、警告、等の様々な意味を表す。
「ね」は、基本的には、相手も当該の知識を持っていると想定される場合に用いられる。自分の知識と相手の知識が一致していると想定し、これを相手に確認するときは同意要求になり、自分の知識が不確かなときは確認になる。
とあります。つまり、この歌詞の前半では「あなた」は自分の気持ちを知らないと思っていました。
でも後半では「あなた」は自分の気持ちを知っていると思っている、ということです。

この歌詞で私たちは「あなた」を大人のことだと考えています。だからつまりこういうことです。
主人公は最初、大人と自分は対峙する存在だと思っていました。
でも途中で、自分自身が大人と同じ立ち位置だと捉え直したのです。

そうだとすると、サビの言葉の響きも変わってきます。

頑張れ頑張れ
命燃やして
続く現実
生きてゆく
頑張れ頑張れ
限りある日々に…
花を咲かせる

と2度繰り返されるサビのフレーズ。
最初は自分自身を鼓舞するように「頑張れ頑張れ」と歌っているように見えました。でも最後は違います。主人公は大人になりましたが、「限りある日々に/花を咲かせる」のはいつだって若い存在。ということは、
最後の部分、主人公はきっと、自分よりも若い世代を鼓舞するポジションへと変わったのです。主人公は自分のことだけではなくて、新しい世代のことも広く見られるような、新しい視野をこの歌詞の中で得たのでしょうね。



というわけで、YUI『fight』でした。
ところでYUIは2012年内で一時活動を休止するみたいです。私は基本的に歌い手と歌詞の主人公を重ねあわせて考えたりはしませんが、この歌詞を読んで、ついYUI自身のことも考えてしまったりしました。
もしかして、大人と子どもの境界線上に立っているのはYUI自身なのではないかな、って。
https://itunes.apple.com/jp/album/fight/id569941097?i=569941129&uo=4&at=10lrtS2014/09/21改訂しました。