5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

井上陽水『少年時代』

切なさの源泉
こんにちは。夏ですね。
できれば夏には夏の曲を取り上げたいポリシーです。というわけで今回は、
少年時代
井上陽水『少年時代』を取り上げたいと思います。
歌詞をよく見てみると夏の曲じゃないような気もするけど、まいっか。
この曲の歌詞はとても人気なので、ネットでもたくさんの人が歌詞の内容について考えていらっしゃるみたいです。とりあえず私は、それを読まずに自力で筋道を見いだしてみたいと思います。よければごいっしょに☆
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND2568/index.html
構成はこちら→A-B-A-B-A

AメロとBメロの対比

この曲はAメロとBメロ、ふたつのメロディからできています。そして、そのふたつはそれぞれ違う世界を描いています。

夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様

最初のAメロはこんな感じ。そして次のAメロは、

夏まつり 宵かがり
胸のたかなりに あわせて
八月は夢花火 私の心は夏模様

こんな感じです。単語も文章のつくりも音韻もそっくりですね。「夏」から始まるところが同じだし、そのあとの3音は母音が同じだし、そのあとの単語は漢字1字+ひらがな3字の造語ってところが同じだし、って調子。最後のAメロにいたっては、上記2つのAメロを組み合わせ直した構成になっています。Aメロは3つありますが、どれも同じ内容を歌っているんだと予想できますね。図鑑型の歌詞、というわけです。
一方で、Bメロはそれとはまたぜんぜん違う感じ。

夢が覚め 夜の中
永い冬が 窓を閉じて
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出のあとさき

ひとつめのBメロを引用してみました。先ほど引用したAメロとはまったく毛色の違う単語がたくさん登場します。例えば「冬」。Aメロには「夏」が出てきましたが、Bメロは「冬」がでてきます。こんな風に対照的な単語を探してみると、案外たくさん見つかるので驚きます。

Aメロ Bメロ
青空
(日中を想起させます)
窓を閉じて
かがり

って感じ。ここまできれいに符合するなら、それはもう狙ってやっているのだとしか思えません。AメロとBメロは、対照的な歌詞のないようになるように構成し尽くされているみたいです。

「は」に注目。

さて、私が注目したのは、「は」です。注目ポイントが変態なのは仕様です(^_^)b
「は」って助詞の「は」ですが、この言葉には文の主題を示すという大事な役割があります。主題というのはテーマみたいなもので、○○について話をします!というのをわかるようにするための印です。
で、『少年時代』に戻るわけですが、この曲の歌詞にはいくつかの「は」があります。そしてその「は」は、どれも連の最後にあります。つまり、連の最後に「は」を持ち出して、その連がなにに関することだったのかを教えてくれる、という構成になっているのです。
たとえば、最初のAメロを再度引用してみましょう。

夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様

最後の行に「私の心は夏模様」とあります。この文は、「私の心」について記されたもので、私の心が夏模様であることを示している部分です。こんなことはわざわざ解説しなくても、日本語の文章が読める人なら迷ったりしないと思います。
で、大事なのはそこではなくて、それがこの連の最後にあるということです。こんなことが書いてあるから、この連の全体が、実は「私の心」について解説したものなのではないかと思うことができるってわけです。
夏が過ぎて、風あざみで、だれかのあこがれにさまよっていて、青空に残されている私の心が夏模様なのだと歌っている、ってわけです。
ふだん、私たちはたとえば友だちとしゃべっていて、いちいち自分の状況をこうして説明したりはしません。私の心は夏模様だったよ!とか言わないでしょふつう。夢は想い出のあとさきだとか絶対言わないわけです。ふつうはそんなに、自分自身を突き放して解説したりすることはないのです。
でも、この曲では自分自身の心を「夏模様」だと解説してくれています。ここから、どんなことがわかるでしょうか?
私は、ここにとても切なさを感じました。「私の心は夏模様」って解説してくれているのは、主人公が自分のことを突き放しているからです。どうして突き放しているのかというと、それは、長い時間が経ったから、かな?と私は思いました。主人公はもう少年時代から遠く離れた大人になって、懐かしい少年時代を懐かしんでいるのかな?と思ったのです。
Aメロがそうだとすると、Bメロはそれとは対照的な時制になるはず。Aメロが過去なら、Bメロは現在になるはずですね。
それをさっきの表に組み込むなら、こんな感じになります。

Aメロ Bメロ
青空
(日中を想起させます)
窓を閉じて
かがり
過去 現在

つまりこの曲、Aメロで昔に思いを馳せたあとBメロで現実に立ち返り、またAメロで夢の世界へ旅立ったあとに再びBメロで元に戻り、最後にもう一度Aメロで過去を振り返って、そのまま曲が終わる、という構成になっているのです。すごいなそれ。
そして私は最後に、一人称に気づいちゃったのでした。この曲の一人称は「私」です。男性が「私」を一人称として使うのは、その人が十分に大人で、オフィシャルな場で自分を示したいときだけだと思います。
主人公はきっと、大人になったのです。少年時代を思い返す時でも、その大人になった自分自身が歌詞の端からついにじみ出てしまいます。でもだからこそ、遠く離れてしまった少年時代とのギャップが際立つのでしょう。そしてだからこそ、少年時代が懐かしく思えるのでしょうね。



というわけで、井上陽水『少年時代』でした。
一人称については、本当は違う読み方も考えたのです。たとえば主人公は本当は女性で、少年のように振る舞うことができていた昔を懐かしんでいる、とか。
それでも十分にキレイに筋は通るのですが、女性である必然性も今ひとつ見当たらないので、今回は男性が主人公ってことにしてみました。主人公と歌い手の性別については福山雅治『家族になろうよ』のときに考えたことがあるので、よければどうぞ。
宿題にしていたYUKIうれしくって抱きあうよ』は次回かその次に持ち越しにしたいと思います。読めそうな夏の曲がまだあったらそっちに浮気します。ごめんなさいませ…。
少年時代

少年時代

↑クリックすると90秒聴けるので、この曲の半分はふつうに聴けることになります。iTunesさんステキですねというステマ(もはやステマじゃない)。
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