@恋と愛とでふたつのサイクル@
こんにちは。6月になりましたね。衣替えもあったところだし、もうすぐ夏です♪というわけで、夏っぽい曲を取り上げようと思いました。桑田佳祐『波乗りジョニー』。2001年の曲です。
青い渚を走り 恋の季節がやってくる
夢と希望の大空に 君が待っている熱い放射にまみれ 濡れた身体にキッスして
同じ波はもう来ない 逃がしたくない
おぉー、恋の季節やってくるよね! 夏がやってくるよね!
ってことはつまりあれです。恋=夏ということだと読めますね。夏とともに、恋の季節はやってくるのです。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND13368/index.html
構成はこちら→A-A-B-サビ-サビ-A-A-B-サビ-サビ-B-サビ-サビ-アウトロ
夏は恋の季節!
というわけで、すでに気づき済みですが、この曲では夏は恋の季節です。
青い渚を走り 恋の季節がやってくる
夢と希望の大空に 君が待っている熱い放射にまみれ 濡れた身体にキッスして
同じ波はもう来ない 逃がしたくない
さっきと同じですが、この曲の冒頭を引用しました。この曲、とにかく夏の海のモチーフをこれでもかと登場させてきます。「青い渚」(海!)、「熱い放射」(太陽!)、「濡れた身体」(ビーチ!)、「波」(海!)、って感じで、いちいちツッコミにも事欠かないレベルです。しかもこれが1番だけじゃなくてあとあとまでずっと続くからびっくり。桑田さんに関して茅ヶ崎の海辺のイメージがある人は私だけじゃないと思いますが、桑田さんはそれをうまく利用しているんだなぁって思います。
そしてそんな中に紛れ込んだ「恋の季節」というフレーズ。これはもう、夏のことを指しているのだとしか考えられないですね。
ということは、歌詞の中にでてくる「夏」は恋と読み替えても大丈夫になるはず。夏はないかなー、夏、なつ…。
いつか君をさらって
彼氏になって
口づけ合って 愛まかせ
終わりなき夏の誘惑に
人は彷徨う 恋は陽炎
嗚呼…蘇る
あった! 引用したのはサビの部分です。「終わりなき夏の誘惑」というフレーズ。この「夏」が「恋」だとすると、「終わりなり恋の誘惑」になりますね! なんか知らないけどすごくしっくりくる感じです。すごいすごい。
じゃ、愛は?
さて、すごいなぁと思ったところでもひとつ疑問が。
この曲、恋のほかに愛もでてくるのです。恋と愛ってちがうの?(←問いが中学生みたい…)
ちなみに、数えてみると「恋」が4つ、「愛」が5つ出てきました。だいたい半々だけど、意味があって使い分けているのかな…。
私なりの答えを書きますね。私は、恋と愛とでは、サイクルの大きさが違うな、と思いました。具体的にいうと、恋が夏という年単位のサイクルなのに対して、愛は一日のサイクルで巡っているように思います。
赤い夕陽を浴びて 風が水面に帆を立てる
やがて消えゆく愛の灯に 人は追いすがる
2番のAメロを引用してみました。この部分には「赤い夕陽」がありますから、太陽が沈む夕方を描いたシーンだということがイメージできます。「風が水面に帆を立てる」から、夕凪は終わったのかもしれません。
ここで出てくるのが「やがて消えゆく愛の灯」です。太陽が沈むシーンに出てくる「消えゆく愛の灯」ですから、この愛は太陽と結びついて考えられているのかもしれません。つまり、愛は一日のサイクルと連動しているのです。
やがて二人黙って
つれなくなって
心変わって 愛は何故?
海啼く闇の真ん中で
もうひとつ「愛」が出てくるシーンを引用してみましょう。二人の心変わりがほのめかされるシーンで「愛は何故?」と綴られます。その直後には「闇」がありますから、きっと太陽はもう沈んでしまって、夜になっているシーンだと思います。それが「心変わり」と同じ連で描かれているのが注目のポイント。一日の終わりは「愛」の終わりとリンクして描かれているんですね。
ところで、この直後の歌詞はこう続きます。
月はおぼろ 遥か遠く
秋が目醒めた
「秋」が出てきます! 秋っていったらもちろん夏の次の季節ですから、ここは「恋」とも連携してしかるべき。
私はこう思うのです。愛は一日単位で切り替わっていきます。でもって、愛が終わるたび、主人公は恋の季節も終わってしまうような錯覚に陥ります。でもそれは主人公の思い違い。次の日の朝になれば新しい愛が始まるし、新しい愛が始まる限り、恋の季節は終わらないのです。夏が続く限り恋の季節は続くし、ひと夏にいくつ愛があっても別にかまわないのです。チャラい。
ふつう、恋と愛って逆のポジションで語られることが多いように思います。つまり恋ってどっちかっていうと移り気な感じ。愛のほうが永遠を誓うのにふさわしい雰囲気。でもこの主人公は違います。すぐに心変わりしてしまうようなアバンチュールを愛と呼び、たくさんのアバンチュールを含んでいるひとつの夏を恋と呼びます。
それはどうしてでしょうか。私は、このふたつの言葉がだれ用のものなのかに注目しました。「青い渚を走り 恋の季節がやってくる」と主人公が歌うとき「恋の季節」は主人公のものです。でも「いつか君をさらって/彼氏になって/口づけ合って 愛まかせ」と歌うとき「愛」はふたりのものです。主人公は自分について歌うときには軽々しい響きの「恋」を、相手と共有して歌うときには強固な響きのある「愛」を、選んで使っているのだと思います。
そっか! 女の子には永遠の愛をちらつかせておきながら、自分としてはひと夏の恋ってつもりだったのね!
このあと歌詞は
君を守ってやるよと 神に誓った夜なのに
弱気な性(さが)と裏腹なままに 身体疼いてる
と続きます。これはもちろん1番のBメロと同じです。心変わりがあったはずなのに最初と同じ歌詞ってどういうこと?
そうです。この時点で、主人公は次のコを口説いているに決まってるのです。
チャラい! チャラすぎる! でもある意味、こんなにキャラの立った登場人物が出てくる歌詞ってあんまり記憶にない(!)。
というわけで、桑田佳祐『波乗りジョニー』でした。
ところでこんな風に、ひとつの歌詞の中にふたつの異なる長さの時間が内包されている曲を前に取り上げたことがあります。AKB48『10年桜』です。桜は一瞬花開いてはすぐに散ってしまうけれど、反面来年になったらまた咲くという面もあるのでした。このときにはそれに注目して読んでみた回でしたね。翻って桑田佳祐『波乗りジョニー』では、恋と愛の話に仕立ててみました。きっと主人公は気温が上がると恋愛のボルテージも高まるのでしょうね。
次回予告:いま本当は読みかけなのですが、このまま順調に読めればJUDY AND MARY『そばかす』を取り上げる予感です。
想い出は いつも キレイだけど
それだけじゃ おなかが すくの
本当は せつない夜なのに
どうしてかしら? あの人の涙も思いだせないの
思いだせないの
どうしてなの?
みなさんだってこれを見て思うでしょう?「どうしてなの?」って。どうしてを考えてるところなので、また来週☆