ふたつの二項対立から
こんにちは。毎日 暑いですねー。なんてにこにこしている当方、今日の気温は35度でした。[asin:B00008GR0B:image]
今回はGLAY『BELOVED』を取り上げたいと思います。SONYのデジタル一眼カメラ“α”NEX-C3のCMでJUJUがカバーしている、自分としてはちょっとタイムリーな一曲です。JUJUの曲はまだCMでしか見ることができないみたいですが、音源も楽しみですねー。
歌詞はというと、
やがて来る それぞれの交差点を迷いの中 立ち止まるけど
それでも 人はまた歩き出す
巡り会う恋心 どんな時も自分らしく生きてゆくのに
あなたがそばにいてくれたらAH 夢から覚めた これからもあなたを愛してる
サビの部分はこんな感じ。交差点を“立ち止まる”ことと“歩き出す”こと。そして「人」という一般名詞と「自分」という固有の存在。2つセットで対になっている、二項対立の要素がいくつか見受けられますね。今回 私はその中から、ふたつに注目してみました。日常と非日常の対立。そして恋と愛の対立です。このふたつに注目してみたら、この曲の大事な部分が少し見えてきた気がしました。
歌詞はこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND9294/index.html
構成はこちら→A-B-サビ1-サビ2-B-サビ1-サビ1-サビ2
日常と非日常の対立
この曲は、日常を取り上げたラブソングです。
ラブソングには非日常を取り上げたものと、日常を取り上げたものがあると思います。非日常のラブっていったら例えばやっぱり結婚式。レミオロメン『3月9日』とかは非日常を歌ったラブソングだといえます。それから、広末涼子『majiでkoiする5秒前』は、初めてのデートという“特別な日”をテーマにしたラブソングです。
逆に、特別でもなんでもないような、日常を歌ったラブソングも世の中たくさんありますよね。GReeeeN『キセキ』がそんな感じ。特にきっかけがあるわけじゃないけど、出会いが奇跡なんだって気づいたときに紡がれた素敵なラブソング。
さて、今回の『BELOVED』は、完全に日常のほうを向いたラブソングです。
もうどれくらい歩いてきたのか?
この曲の始まりのひと言だけでも、この曲の“日常”フューチャーがよく感じ取れます。どこかへたどりついた曲でもなく、どこかへ目指し歩みだす曲でもなく、歩いている途中からを描き出しているっていうあたりが。
そしてこの曲は、どこかへたどりつくことはありません。曲の終わりは、
AH 夢から覚めた これからもあなたを愛してる
夢から覚めた 今以上 あなたを愛してる
こんな感じ。「これからも」「今以上」というフレーズから、あくまで現在を基準にしたところしか目指していないことが見えています。そういう小さなスケールの中で描かれるラブソングなのです。
この曲では、歩くことがひとつの大事なキーワードになっているみたい。曲の冒頭も歩くことに関する話でしたが、サビにも“歩く”が出てきます。先ほども引用しましたが、もう一度サビを。
やがて来る それぞれの交差点を迷いの中 立ち止まるけど
それでも 人はまた歩き出す
巡り会う恋心 どんな時も自分らしく生きてゆくのに
あなたがそばにいてくれたらAH 夢から覚めた これからもあなたを愛してる
ここでは歩くことと立ち止まることが二項対立をつくっています。ん? 歩くことが日常なら、立ち止まることは非日常かな?
そんな予想をしながらこの歌詞のあたりをじっくり読んでみると、立ち止まっている場所のことに気づきました。立ち止まっている場所は交差点です。
交差点は、分かれ道です。まあここは深く考えることなく、Googleで「人生の分かれ道」と検索してみてください。たくさん出てくるから、人生の非日常が。
そんなわけで、分かれ道といったら非日常で、交差点といったら分かれ道です。それはつまり、表にするとこんな風になると思います。
日常 | 非日常 |
---|---|
歩く | 立ち止まる |
交差点 |
じゃあ、歌い手はそのどちらを大事に思っているのでしょう。
やがて来る それぞれの交差点を迷いの中 立ち止まるけど
それでも 人はまた歩き出す
カンタンなことです。大事なことは逆説のあとにあるって学校の先生に習ったでしょう? 歩き出すほう、つまり日常のほうを、この歌い手は大事に思っているに決まっているんでしょうね。
恋と愛の対立
この曲は、気まぐれな恋から、一途な愛に変わるうたです。
この曲の中には、「恋」も「愛」も両方ともたくさん出てきます。恋のほうから順番に箇条書きでまとめてみましょう。
面倒な恋を投げ出した過去
巡り会う恋心
泡沫の恋を愛だと呼んだ
こうしてみるだけでもはっきりと分かります。「恋」という言葉は、だいたいふわふわして当てにならないような言葉といっしょにいます。面倒だから投げ出されてしまったり、巡り会うという移動に関する言葉だったり、すぐに消えてしまう泡に例えられたり。では、愛だとどうでしょう。
これからもあなたを愛してる
いつの日も さりげない暮らしの中 育んだ愛の木立
今以上 あなたを愛してる
この違いをご覧! 愛に関する言葉の強固なこと!
「これからも」っていったら、いまも愛しているけれど今後だってずっと愛してるよ、というニュアンスが伝わってきますよね。「今以上」だって同じです。愛がずっと続くような、一途で安心なイメージをきちんと私たちに伝えてくれるような、そういう言葉の選び方です。
さて、話は少し戻って「恋」のこと。恋は基本的に、ふわふわとして当てにならない言葉とともにありました。当てにならない言葉といえば、たとえば「夢」がそうですね。
JUDY AND MARY『小さな頃から』では、「現(うつつ)と対称にして夢を考えたことがありました。あの曲では、現実と対になる言葉として夢を考えました。その夢でさえ脅かされているというのに、「壊れそうなのは 夢だけじゃないの」とたたみかけるところが、冷静になってみたら壮絶な歌詞の世界でしたね。
AH 夢から覚めた これからもあなたを愛してる
ここに「夢」があるのでした。この「夢」を、「恋」にひも付けて考えるとしたらどうでしょうか? 夢から覚めて愛になるのなら、それは恋が愛になるのと同じことですね!
ところで、どうして私がこのタイミングでこの曲を取り上げたのかというと、単にJUJUが歌っていたからってだけじゃありません。最初から数えて歌詞の2行めに、「向日葵」が出てくるから。なるほどね、これは夏の曲なんだ♪そういうふうにも思ったからです。でも私は、ここまで来てからこの「向日葵」の別の面に、気づきました。その前後を引用してみますね。
街角に夏を飾る向日葵
面倒な恋を投げ出した過去
「向日葵」は、恋とコロケーションしています。あ、そういえば。私は、この歌詞の別の部分を思い出しました。
いつの日も さりげない暮らしの中 育んだ愛の木立
愛は木立とコロケーションしています。ああそうか。私は、ひまわりのようにはかない恋と、そして木立のように強固な愛を想起しました。この対比もたぶんちゃんと最初から織り込み済みなのでしょうね。すごいなぁ。
つながリンク
前回は、flumpool『証』を取り上げました。今回のGLAY『BELOVED』との共通点は、歩くことです。
flumpool『証』は、
前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない
という一節で始まって、
絆を胸に秘め 僕も歩き出す
という一節で終わる、練り込まれた歌詞です。つまり、歩けなかった歌い手が、歩けるようになるまでの物語をこの歌詞は紡いでいます。夢に向かって歩き出すことが大事なのは分かっていて、でも一歩を踏み出せずにいるのは、なくしてしまうのが恐いからです。その気持ちを克服するまでを、物語の形式に乗せてある歌詞の世界でした。
一方でGLAY『BELOVED』は、
もうどれくらい歩いてきたのか?
という歌詞から始まって、
夢から覚めた 今以上 あなたを愛してる
という歌詞で終わっています。「今以上」とあるからには大きなパラダイムシフトはないのでしょう。つまり、歩いていた歌い手が、これからも歩いていくというこの歌詞は紡いでいます。『証』が物語なら、『BELOVED』は図鑑です。
歩くというのは移動を伴う動作ですから、そこには自ずと変化が生まれます。変化が生まれるような動作を歌詞に取り上げるなら、『証』みたいに物語として取り上げるほうが自然というか、よくあるような感じが私はしています。でも『BELOVED』は、歩くという動作を取り上げているのに、それを日常のものとして消化しています。同じ動作を取り上げていても、切り口は様々なのだと実感した一日でした。
さて、次回予告としゃれ込みたいところですが、例によって次回の曲は決まっていません。荒井由実『卒業写真』を取り上げたときに一度だけ次回予告をしてみて、今後は毎回やってみようと思ったのですが、私は大事なことを忘れていました。自分、そんなに計画性ないんだった…υ
というわけで、今後は次回予告、可能であれば、というスタンスに変更したいなぁと思います。今の時点で候補になる曲はいくつかしぼってあるのですが、絶賛考え中につき、しばらくお待ちください…(+_+)o
https://itunes.apple.com/jp/album/beloved/id403510608?i=403510630&uo=4&at=10lrtS
↑PCからクリックすると、GLAYのほかの曲も含めて1時間以上連続で試聴できます。iTunes正気なのか…。
[asin:B000059HU0:detail]