5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

flumpool『証』

離ればなれのあとに残るもの
こんにちは。今年もNコンの季節がやってきました☆
…なんて思っている人はたぶん世の中にそんなにいないと思いますが(汗)、今年もNHK合唱コンクールの季節がやってきました。NHK合唱コンクールの課題曲といえば、アンジェラ・アキ『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』、いきものがかり『YELL』など、そうそうたる楽曲が並んでいるのです。選曲を毎年 楽しみにしている自分はめずらしいのかな。
証

というわけで、今回は今年分の課題曲、flumpool『証』を取り上げたいと思います。ちなみに去年の課題曲はこのダイアリーでも取り上げた大塚愛『I ♥ ×××』でした。よろしければ去年のぶんもぜひお読みくださいませ。
歌詞はこちら→http://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/kadaikyoku_j.html(曲も聴けます!)
またはこちら→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND110900/index.html
構成はこちら→A-A-B-サビ-A-B-サビ-(間奏)-サビ'-サビ

ダブルクオートが綴じるもの

この曲、歌詞の中でいくつかダブルクオートが使われています。ダブルクオートって、←この記号→のこと。この歌詞の中ではかぎかっこと同じように、会話の引用として使われているみたい。このダブルクオートがたくさん混ぜ込まれているところに、この歌詞のひとつの特徴があります。
たとえば、2連を引用してみましょう。

声に出したら 引き止めそうさ 心で呟く
“僕は僕の夢へと 君は君の夢を”

2行めはすべてダブルクオートでくくられています。これは、1行め「心で呟」いた内容が表されているのでしょう。ダブルクオートがなかったら、「僕は僕の夢へと 君は君の夢を」の捉え方があやふやになってしまいます。つぶやいた内容ともとれますが、単に第三者的な目線から見て、僕と君の歩む道を描写しているだけともとれますからね。この記号があって初めて、2行めはつぶやいた内容なのだと捉えることができます。あってよかったダブルクオート♪
ところが。残りのダブルクオートは、必要性がちょっと微妙な感じがしてきます。4連、

溢れだす涙が 君を遮(さえぎ)るまえに
せめて笑顔で“またいつか”

この「またいつか」が、笑顔で交わしたい言葉であることは明らかです。あれれ、このダブルクオートいらなくね?そう思ってしまった自分は、続きを読んで確信を深めたりしています。

“我侭だ”って貶(けな)されたって 願い続けてよ
その声は届くから 君が君でいれば

「我侭だ」は、けなされている言葉であることはもう明白。だって「って」を辞書で引いてみると、


他から聞き及んだ話を伝える意を表す。…ということだ。…そうだ。
って書いてあるし。「って」が入っている時点ですでに「我侭だ」が伝聞や引用であることははっきりしています。だからわざわざダブルクオートでくくらなくてもいいって言ったのに…。
でも。
この曲にダブルクオートが多用されているのには、ちゃんと意味があるのだと私は途中で気づきました。ダブルクオート部分だけ引用してみましょう。

“僕は僕の夢へと 君は君の夢を”

“またいつか”

“我侭だ“

“またね”

“ありがとう”

この長い歌詞の中で、ダブルクオートでくくられた部分だけを引用しても、なんだか物語の大筋が見えるようになっています。この記号の意図はこれかな、と私は思いました。
最初に「僕は僕の夢へと 君は君の夢を」が出てきます。それぞれの夢を追いかけて、ふたりは離ればなれになる、そういうシチュエーションを描いた曲であることがここからわかります。調子に乗って、このまま続きも見てみましょう。
「またいつか」もその状況を具体的に盛り上げる役目にあるといってよさそうです。起承転結でいうと承にあたる言葉といえますね。
ということは「我侭だ」は、起承転結でいったら転に該当します。僕と君のそれぞれの「夢」を阻む高い壁を描いた部分は、この曲のメインのメッセージと強いコントラストをつくっていて、それが歌詞の世界に深みをもたらしている感じ。
そして起承転結の結に「またね」が登場します。おまけにリフレインの「ありがとう」も。
こんな風に抜き出してみれば分かりますね。この曲のダブルクオートは、物語の中で核になる部分を上手に抜き出した場所にあるのです。

僕と君の間にあるもの

この曲のタイトルは『証』。「証」という言葉がどこに出てくるのかと探してみると、

傷つけ合っては 何度も許し合えたこと
代わりなき僕らの証になるだろう

4連の終わりに「証」が出てきます。この「証」は、僕と君の間にあるものです。ダブルクオートを読み解いたあとで、今度は「僕と君の間にあるもの」をテーマにしてこの歌詞を考えてみようと思います。
この曲にはこれに限らず僕と君の間にあるものがたくさん出てきます。冒頭から探してみると、最初に出てくるのはたぶん

あたりまえの温もり 失くして 初めて気づく

「温もり」だと思います。温もりはふたりをつないでいました。それはあたりまえの存在だったはず。ところがふたりの別離を前にして、温もりは「失くして」しまいます。
僕と君の間にあるもの。次に出てくるのは、

溢れだす涙が 君を遮(さえぎ)るまえに

サビの部分に出てくる「涙」だと思います。この涙は僕と君の間の関係を遮断してしまいます。そしてこの曲の大部分にわたって、涙はふたりの関係を邪魔し続けています。涙はいつ乾くのー!!
涙が乾く場所を探してみると、

溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない

ここでした。最後の連になって、涙はやっと拭われます。でも、同時に「君はもう見えない」と歌われてもいます。どうしてでしょう。いつの間にか君と離れてしまったのでしょうか。
ここは単純に君がいなくなってしまったわけではありません。主人公にとって、もっと大事な意味がある場面です。
歌詞の最初を思い出してみましょう。

前を向きなよ 振り返ってちゃ 上手く歩けない

この曲は、僕が君との未練を残して、なかなか離れる気になれないシーンからスタートしています。本当は夢へと向かって、自分の足で歩かなければならない場面です。でも、振り返っているのでうまく歩けずにいます。視界から早く「君」を外せるようにならなくちゃ。そういう気持ちは歌い手もちゃんとわかってはいるのです。だからこその「前を向きなよ」です。でも、うまくいきません。別れを惜しむ気持ちが、自分の中の壁になっているようなイメージがあります。そして、涙がふたりの間を分かちます。
そして最後。ふたりを阻んだ涙が再び乾いたとき、

溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない

と歌われます。これはつまり。僕が君とついに別れることができた、ということです。ここで心配ごともあります。じゃあ、ふたりの間にはもうなにもなくなってしまったの? ふたりはこれからそれぞれ別の道を歩んでいって、今後 出会うことはもうないの?
そんなことはないのです。この章のテーマは、「僕と君の間にあるもの」でした。僕と君の間にあるもの、この歌詞の最後の最後にちゃんとひとつ、残っていました。

絆を胸に秘め 僕も歩き出す

それは「絆」です。しかも、僕と君の間にあるもの、これまで「失くして」しまったり、「君を遮(さえぎ)」ったり、ふたりを邪魔してばかりでした。ふたりの間にあるものに、ポジティブなイメージを持てない歌詞の世界だったのです。
でも最後は違います。絆は「胸に秘め」るものです。離ればなれになっても、胸の中の絆がふたりをつないでくれます。歌い手はそれに気づいたからこそ、ちゃんと「君」と別れることができたのでしょう。別れはもう、つらいことではないのです。

つながリンク

前回 取り上げた曲は、荒井由実『卒業写真』でした。今回のflumpool『証』との共通点は「遠くでしかって」です。
荒井由実『卒業写真』はWikipediaによると1975年の曲です。flumpoolからさかのぼること36年前。「遠くでしかって」なんていうフレーズはふつうのコロケーションじゃないと思いますから、きっとflumpoolは『卒業写真』のオマージュとしてこの部分を取り上げたのでしょう。

人ごみに流されて 変わってゆく私を
あなたはときどき 遠くでしかって

『卒業写真』では、昔の面影を残した「あなた」が、人ごみに流されて変わってしまった「私」をしかる、という構図になっています。「遠くで叱って」の「遠く」とは、空間としての距離もあるかもしれませんが、時間の遠さも間違いなく残っているでしょう。だめになってしまった自分を、だめじゃなかったころのあなたにしかってもらいたい、という思いが、この歌詞をつくりあげています。

僕がもしも 夢に 敗れて 諦めたなら
遠くで叱ってよ あの時のようにね

『証』においても、構図そのものは同じです。というか、それ自体を作り替えてしまったらあんまりオマージュの意味ないし。でも『証』が『卒業写真』の二番煎じでも完パクでもないのには、違えているところがあるからです。それは視点です。
『卒業写真』では、現在から過去を振り返っています。そしてふがいない私を「遠くで叱って」と歌うから、聴き手は戻れない過去に思いを馳せて、切ない気持ちになってしまうのです。
一方『証』では、現在から未来を見据えています。そして、仮に自分があきらめてしまったら「遠くでしかって」と、“いま”約束をしています。だから聴き手は目の前の「君」の向こうに、果てない未来を夢見るのです。
こんな風に、この2曲は視点が違っているから、同じフレーズを使っていてもまったく違う世界を作り上げられていますね。キラーフレーズばかり繰り出さなくても、ちゃんと個性は発揮できるのです。



ところで、過去のNコンの課題曲、いきものがかり『YELL』には、こんな一節があります。

サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
ともに過ごした日々を胸に抱いて 飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ

すごい! どっちかっていうと、『証』は『卒業写真』よりも『YELL』に似てるー! Nコンに取り上げやすいテーマっていうのがもしかしたらあるのかもしれないなと思った気づきでした。
ところで。前回は初めて、記事の最後に次回予告をしました。実は、先週の時点ですでに私は次に取り上げる曲を決めていました。今後も次回予告しようっと、と思って。
しかし!
しかしです。
その曲の読みが、どうも頓挫してしまっているのです…(+_+)。たまにこういうことがあります。というわけで、現在 次に取り上げる曲は白紙ですので、まあ決まったら次回予告もしてみたいなと思います。

証

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証

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