5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

土岐麻子『Gift〜あなたはマドンナ〜』

-同窓会ソング、再び-
こんにちは。風邪をひいたです。ずび。
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今回は、土岐麻子『Gift〜あなたはマドンナ〜』を読んでいこうかなと思います。タイトルでぴんと来なくても、このサビのフレーズに覚えのある人は多いはず。

あなたって不思議だわ あなたっていくつなの
シュペリエルな シュペリエルな
あなたはマドンナ

ぴんと来ました? エリクシール シュペリエルのCMソングです♪ ちなみにWikipediaによると、「エリクシール(ELIXIR)はフランス語で「万能薬」、シュペリエル(SUPERIEUR)は同じくフランス語で「優れた、上級の」という意味」だそうです。シュペリエルのほうはわかったけど、エリクシールはわかんなかった…。
それにしてもすごく心に残る歌詞です。「あなたっていくつなの」ってインパクトありすぎ(!)。
ここんトコ、たぶん若く見えるね意味だと思いますが、そうだとしてもふつう「あなたっていくつなの」なんて言わないですよね。どんなシチュエーションならこのフレーズは不自然じゃないかなぁ? そんなところから私の疑問は出発しました。えーっとえーっと…。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/user/phplib/view_0.php?ID=106185
構成はこちら→サビ-A-B-サビ-サビ-A-B-サビ-サビ-C-サビ-サビ


歌まっぷの歌詞、どうやら実際よりもちょっと短くなってしまっているようです。本当は歌まっぷの歌詞に続いて、最後に5連と同じ内容がもう一度 登場して終わります。今回はそれを含めて全12連として歌詞を読んでいこうと思います。

疑問じゃなくて、ツッコミだとしたら。

「あなたっていくつなの」「あなたっていくつなの」…なんか最近、こんな内容の発言をしたような気がするのです、自分。ずっと考えていて、思い出すまでに結構な時間がかかりました。やっとわかったー!
あのですね、私の知り合いに、20代なのに明らかに20代じゃない人がいるのです。外見も内面も40代。いや、控えめに見積もっても30代。その人に私は言ったんでした。
「あんたいくつだよっ!」
この発言は疑問文じゃなくて、ツッコミでした。じゃあ、この歌詞もそうだったとしたら? つまり、本当は年齢を知っているとしたらどうでしょう? たとえば、同中とか。たとえば同窓会とか。いろんな疑問がスムーズに氷解するのです。

ありのままでいたら愛されないと 思い込んでいた
私のイメージをほどいてくれた 彼女は誰なの?

1番のAメロを引用しました。この部分、いろいろ特徴的な部分はあるのですが、そのひとつは、歌詞全体でここにだけ「彼女」が出てくるっていうこと。2番のAメロには

ありのままでいても愛されている あなた

という部分がありますから、ここでいう「彼女」は「あなた」と同一人物のようです。どうして最初は三人称だったのに、途中から二人称に変わるのでしょうか。
ふつうに考えたら、三人称のだれかと、途中からは面と向かって話しかけるからです。だれだかわからない人だったはずなのに二人称にあっさり格上げされちゃうのはどうしてかといったら、それは、本当は知っている人だったからです。知っている人なのになんで「彼女は誰なの?」ってなっちゃうのかというと、きっと久しぶりに会ったからなのでしょう。次の連ではすぐに、「私」と「彼女」をひっくるめた「私達」っていう表現が出てきます。もともとふたりはすごく近い距離にいたんでしょう。そんなシチュエーションって、どんなシチュエーション?
やっぱり、テーマは同窓会なんでしょうね。
だいたい「マドンナ」っていうちょっとレトロな響きのする言葉も同窓会感をあおりますね。「クラスのマドンナ」っていう言い回しもありますが、これってリアルタイムで使うっていうよりも、過去を振り返って
「あのコがクラスのマドンナ“だった”よねぇ」
っていうふうに使うことのほうがしっくりくるイメージもありますし。
「マドンナ」といえば、最近でいったら斉藤和義『ずっと好きだった』にも出てくる言い回し。この曲はWikipediaにもあるように、同窓会を歌った曲です。どちらも化粧品のCMのCMソングとして使われているし、なんだか共通点が多いですね♪ じっくり読んでみたことはないですが、いつかは…。

Gift流、愛を勝ち取る方法。

ところでさっきも引用した部分ですが、1番で

ありのままでいたら愛されないと 思い込んでいた

とあったところが、2番になると

ありのままでいても愛されている あなたを見てると

と変わります。この曲ではほかにも、

悲しいけれど嘘はバレる その人らしくないとき

なんて部分もあったりして、ありのままでいることがよいことだ、っていうテーゼによって支えられています。で、ありのままでいるとどうなるのかというと、愛されちゃうのです♥
この、愛さ“れる”っていうのがひとつのポイントだと思います。私が中学時代に習った記憶が確かなら、受け身の助動詞「れる」でございます。
この曲が目指しているごほうびは「愛」。そしてそのためのスタンスは「ありのまま」でいること。ここで受け身が入ってくるわけですから、ありのままでいさえすれば、あとはもう愛は向こうから勝手にやってくる、っていうストーリーが背後にあるっていうことですね♪
ところで、この曲にはブリッジがあります。

時を重ねて
磨かれてゆく
奇跡を信じてる

っていう歌詞です。私はこの曲に、縁語があるのを見つけました。「磨かれてゆく」の縁語に当たるのは、1番の2つめのサビに出てきます。

泣いている横顔も 真剣な眼差しも
シュペリエルな シュペリエルな
原石みたいに

「磨かれてゆく」と「原石」は縁語ですね。「原石みたい」なのは「あなた」の表情ですから、この「磨かれて」は「愛されて」と対応する関係になっているのもわかりますね。先ほど確認したこの曲のメッセージは、原石が出てくるメタファーのパラレルワールドの中でもう一度 丁寧に再現されているみたいです。

  「あなた」の世界 「原石」の世界
主人公 あなた 原石
主人公のスタンス ありのままでいる 奇跡を信じる
そのごほうび 愛される 磨かれる

「奇跡を信じてる」は信じてるだけですから、たぶんなにか行動を起こしたりするわけではないんでしょう。それなら、「ありのままでいる」ともちゃんとシンクロしてと解釈していいかも。
ところで、カミナリグモ『ローカル線』を取り上げたとき、私はあまりにも主人公の「僕」が草食なので軽く感動しました。でもこの曲はそんな曲とはまたはっきりと一線を画していますね。『ローカル線』はいくら草食だとはいっても、ちゃんと

そうだ 明日 キミを 旅に誘うよ

っていう、“取りにいく”フレーズを特等席に用意していたのでした。翻って『Gift〜あなたはマドンナ〜』にはそんなフレーズはありません。自分のスタンスを磨いて、あとは“取りにきてもらう”のを信じる物語に住んでいるのです。なんというか、さすが女子って感じ。

あなたと私の再会の先に。

さて、そんなわけで最初の疑問に戻りましょう。ふつう「あなたっていくつなの」なんて言わないよね、ってのが最初の疑問です。でも、不思議で素敵で年齢不詳の「あなた」だけど、同窓会とかだったらありかな?っていう結論に至ったんでしたね。

悲しみも 喜びも 傷ついた過去さえも
シュペリエルな シュペリエルな
あなたへのギフト

引用したのは2番の2つめのサビ。この曲のタイトルを思わせる部分が登場する唯一の個所です。字面通りに読むなら、いろんなことがあったけど、その全部があなたへのギフトだったのね、てな感じの意味になるでしょうね。でもこの部分、なんだかちょっと引っかかりを覚えました。「ギフト」って言葉はタイトルに据えるぐらいだからこの曲の大事な部分だと思いますが、それにしてはちょっと上から目線が不自然じゃなぁい? 中高時代(ぐらいじゃないかと思うんですたぶん)のお友だちだったとしたらそんなに嫌みにも聞こえないけど、それでいいのかな?
ここ、単純に「あなた」に向かってしゃべっているわけではないとしたらどうでしょう。悲しみも 喜びも 傷ついた過去さえもギフトだと、“自分自身にも”言い聞かせているように見えませんか? だってこれ、同窓会の曲ですもの。
このふたりは、昔は「私達」だったのです。ありのままでいても愛されているあなたを見ている主人公は、そんなあなたの向こうに“だったかもしれない自分”を見ているんじゃないでしょうか。あなたがそうなれるのなら、私にだってなれるはず。そういう思いがこの歌詞の裏でうずうずしているみたいな気がします。
前に読んだたむらぱん『ちゃりんこ』も同じですね。昔の友だちに会うこととは、つまり昔の自分に会うことです。
でも、「じゃあ私も!」という安直な方向に舵を切ったりは、この歌詞はしません。なぜでしょう? なぜなら「ありのまま」がこの曲の大事なテーマだからです。主人公は「あなた」のようなありのままではなく、自分らしいありのままを、これから探していくんでしょう。そのための材料はもう手にしています。それが「ギフト」だったのです。きっとこの部分は、それを自分自身に向けて言い含めているんでしょうね。

つながリンク

前回はいきものがかり『ありがとう』を取り上げました。今回の土岐麻子『Gift〜あなたはマドンナ〜』との共通点は、「泣い…ても」。
いきものがかり『ありがとう』には、

ケンカした日も 泣きあった日も それぞれ彩(いろ)を咲かせて
真っ白なこころに 描かれた未来を まだ書き足していくんだ

という部分があります。この「泣きあった日も」が今回 該当する部分(わかりづらくてごめんなさい…)。
だいたい、こういう風に「も」が出てくるときっていうのは、その前後にもうひとつ、同じかたちの「も」が付きます。今回もそうで、「ケンカした日も 泣きあった日も」とつながっています。このふたつはどちらもネガティブ。マイナスなことをふたつ並べて、そんなことがあっても大丈夫、って風にポジティブな方向につながっていきます。
『ありがとう』は全体的に気持ちのいいぐらいにきらっきらしたポジティブな曲ですから、あんまりネガティブな要素は似合いません。歌詞全体を見通してみても、ネガティブな表現はこの2個所ぐらいですね。そのふたつは、「ケンカ」というふたりが対立しあうネガティブと、「泣きあう」というふたりが同じ方向を向いているネガティブと、ちゃんとキャラクタを違えてあるのがすごく巧み。そしてそれを「も」で繋ぐことによって、ネガティブなこともたくさんあった(けどいまは大丈夫)、っていうイメージをすごくコンパクトに伝えることに成功しています。「泣く」ってドラマを感じさせるくせにすごく短い言葉だからこそ、こういうことができるんですね。
一方で土岐麻子『Gift〜あなたはマドンナ〜』においては、

泣いている横顔も 真剣な眼差しも
シュペリエルな シュペリエルな
原石みたいに

っていう部分に「泣い…ても」があります。こっちもさっきと同じように、「も」でふたつがセットになっています。
こちらは、「横顔」「眼差し」っていう表現が出てきているので、さっきよりもずいぶん表現が具体的です。顔的な表現が多いのはもしかしたら化粧品のCMだから?って邪推したりもしたくなりますがそれはそうと。こちらの「泣い…ても」はきっと泣いている本人を目の前にしているのでしょう。だからきっとこんなにも表現が具体的になるのです。懐かしい人に再会したのかな? なにか暖かい声をかけられたのかな? 涙ひとつで、妄想はあちこち膨らみます。とはいえ、それも「原石」につながります。
泣くのってネガティブなイメージがあります。どちらの「泣い…ても」もネガティブです。でも、どちらの「泣い…ても」もただのスパイスで、両方とももっとポジティブなほうへとつながるステップになっているんですね。
ちなみにどうしてこんなにわかりづらい共通点になってしまったのかというと、ほかにおもしろい共通点が見つけられなかったからです。選曲がよくないのかなぁともちょっと思うんですが、この曲の歌詞をさくっと読んで同窓会の妄想が広がった時点で、あぁこれは引き返せないな、と感じてしまったのでした。