5日と20日は歌詞と遊ぼう。

歌詞を読み、統計したりしています。

荒井由実『やさしさに包まれたなら』

-奇蹟はパスポート。つまり…-
こんにちは。雨が降ると顔がかゆくなりませんか?
MISSLIM(ミスリム)
今回は荒井由実やさしさに包まれたなら』を取り上げます。
ここでジブリの曲を取り上げるのは、つじあやの『風になる』に続いて2度目。
d.hatena.ne.jp
やさしさに包まれたなら』の歌詞は、

小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた

こんな始まり方をします。小さいころのことから始まるなんて、やさしいのは曲調だけでもタイトルだけでもないみたいです。
歌詞はこちら→http://www.uta-net.com/song/5808/
構成はこちら→A-B-A-B-B

繰り返しには意味があるのです。それは…

この曲、たぶん今までここで取り上げた曲の中では最も短い歌詞だと思います。連でいったらたったの5つ。しかも2連と5連は同じだし、2連と4連は2/3が同じです。同じ部分を省いていったらこの歌詞、たったの11行しか残らないのでした。短っ。
ついでにこの曲で特徴的なのは、曲の構成に盛り上がりとかが少ない、っていうことです。
これまで取り上げてきたほかの曲なら、サビではストリングスが入ったりコーラスが増えたりタイトルをリフレインしたりします。でもこの曲にはあんまりそういう特徴がありません。Bメロは長さも短いし、それが終わるとすぐにイントロと同じ伴奏に戻っちゃうのです。あれ、このちょっとの盛り上がりはもしかしてサビだった? みたいな。起伏は少なめなんですね。
という感じでこの曲、歌詞は同じ要素の繰り返しだし、曲調も変化の控えめな淡白さが続きます。でも、だからってこの曲が単調で退屈な曲だっていうことにはなりません。歌詞の繰り返しにはちゃあんと意味があるのだし、あの伴奏も意図があってのことなのです。
こういう曲と対照的なのは、例えばBUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』です。BUMP OF CHICKENの歌詞にはストーリーがあります。だから歌詞には単調な繰り返しは出てきませんし、曲調だって目まぐるしく変化します。『やさしさに包まれたなら』とは大きな違いです。
でもこの違いは、よい/悪いの違いではありません。描くものの違いです。
『オンリー〜』が変化するストーリーを描くなら、『やさしさ〜』は変化しない状態を描いています。『オンリー〜』が「する」ことを描くなら、『やさしさ〜』は「ある」ことを描いています。

描くもの 動詞 verb
BUMP OF CHICKEN『オンリーロンリーグローリー』 変化 する do
荒井由実『やさしさに包まれたなら』 状態 ある be

だからこの曲は、多少の繰り返しを恐れません。同じものごとを、いろんな方法で丁寧に描こうとするのが、この曲のスタンスだからです。

奇蹟は子どものものです。ただし…

さて、ちっとも歌詞に触れないまま長々と書いちゃったぞ。というわけで、今度は歌詞の世界に分け入ってみましょう。

小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ

最初の最初。1連を引用してみました。目を通してみれば、1連が前半と後半で2行ずつに分かれているのに気づきます。前半は子どもの頃の話。後半はおとなの話です。小さいころから大きなことへ。視点は緩やかに変わっていきます。
「小さい頃は神さまがいて/不思議に夢をかなえてくれた」って歌詞、イメージしやすいのはたぶん3歳とかそれくらいでしょう。そこそこ言葉が使えるようになって、物怖じしなければ知らない人とでも一応の意思疎通ができます。そうすると世の中には質問したいことがたくさんあることに気づいちゃうのでした。私がちょうどそれくらいのころ、私は母を質問責めにしては困らせていたそうです。
「ねえママ、この石なんでここにあるの?」
路上でのことです。昔の自分をいさめてあげたいものです。
そんな幼い私はとくべつ変な存在じゃありません。特に小さい子にとっては、世の中はかなり分からないことで満ちています。それなのに、お腹が空いたときには最後にはいつもだれかがなにか与えてくれたし、部屋の隅におばけがいても最後にはいつかは安心できたし、暗い夜が続いてこわくても最後にはちゃんと朝が来たのでした。しかもそういう経験は一度だけではなくて、そう“なり続けました”。小さい子にとってそういういろんなできごとはきっと、神さまの計らいに見えたりもしたことしょう。おとなの言葉で、そういうことを「奇蹟」って呼びます。
大人になると、そこに神さまはいないってことが分かってしまいます。お腹が空いたら自力でなにかしらを確保しなきゃいけないことに気づいてしまうし、おばけはなにかの思い込みなんだと自分に吹き込むようになるし、長い夜が明ける時間は地球の自転によってあらかじめ決まっていることだと知ってしまいます。子どものころは奇蹟だったのに、おとなになったら同じできごとが奇蹟ではなくなってしまいます。
でも、「やさしい気持ちで目覚めた朝」なら特別。おとなにも奇蹟は起こります。
いやまて。でも奇蹟は子どものものでした。どういうことでしょうか。
それはつまり、おとなになっても奇跡が起こるということは、子どものころに戻ったみたいになる、ってことです。子どものころの感覚になった日のことを歌ったのがこの歌なのです。

開いたらやさしさに包まれました。つまり…

カーテンを開いて 静かな木洩れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

第2連を引用しました。「目にうつる全てのことは メッセージ」って表現はまさにここまで敷いてきたストーリー線路ときれいに符合しますね。だって小さいころの私は、目にうつった路傍の石にすら特有のストーリーがあるんだと思っていたわけですから。それと同じです。「目にうつる全てのことは メッセージ」っていうフレーズは、子どものころの疑問に満ちた気持ちを端的に表現しているんだと思います。
ところで、カーテンを“開いて”なんて表現もそうですが、この曲にはなにかが開かれる表現がたくさん出てきます。1連に出てきた「目覚める」って表現は目を開くことですし、4連に出てくる「雨上がり」なんてのも広い意味では当てはまると思います。そしてそのどれもが、開く→やさしさ包まれる、という前後関係を作っていることに私は気づいちゃいました。
開いたら包まれる?なんか順番が逆のような気がしますが、そんなことはありません。なにかを開いたら、別のなにかに包まれていたことに気づいた、ってことですよ。つまり、この曲の中で開いたもろもろはみんな、もっと大きなやさしさに包まれていたのです。そうですよ。やさしさはずっと前から、主人公の周りをとりまいていたのです。この構図、Superfly『やさしい気持ちで』とまったくおんなじですね!

まとめ

前回はSuperfly『やさしい気持ちで』を取り上げました。共通点は「やさしい気持ち」というフレーズ(今回 出てくるのは正確には送り仮名のない「やさしい気持」ですが、同じ意味だと思うので見逃してやってください)。さっき先走って結論めいたことを書いちゃった気もしますが、なかったことにしてまとめてみます。
Superfly『やさしい気持ちで』では「やさしい気持ち」はまるで通貨のよう。最初、歌い手は「やさしい気持ち」をもらってばかりいたのに、じきにそれをあげることができるようになるし、最後にはみんながやさしい気持ちを贈りあうような街をイメージして曲が終わっています。やさしい気持ちがどんな気持ちなのか、この曲には書いてありませんが、そんなの詮索するモノじゃないですよね。なーんかすごくいいイメージで街は包まれゆくのです。

もう一度、やさしい気持ちで

しかも、こんなフレーズに私は注目しました。やさしい気持ちは目新しい気持ちじゃなくて、すでに私たちが知っている感情なんだよ、Superflyはそう歌いかけます。
荒井由実やさしさに包まれたなら』では、「やさしい気持ち」は「おとなになっても奇蹟はおこる」ことのトリガーです。「奇蹟」が本来は子どものものだったのだとしたら、ここに出てくる「やさしい気持ち」はおとなが子どもの感覚を手にするためのパスポートのようなものかもしれないですね!
そして2通りの出会いかたで

やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ

と歌詞は描いています。この部分はきっと、子どものころの感覚を表現した部分なんじゃないかな、と私は読んできたのでした。
こうして振り返ってみると、この2つの曲の「やさしい気持ち」はかなりよく似ています。どちらも「やさしい気持ち」はおとなになって手にするもので、それはすでに一度 手にしていたはずのもの。効能はちょっとはっきりしなかったりはしますが、プラスのイメージをふんわりと描くことのできるキラーフレーズ、ってあたりで強い共通点があるのでした。きっと今だって私たちの周りには「やさしい気持ち」がいて、登場のチャンスをうかがっているんでしょう。きっかけのトリガーは、どうやったら引けるんでしょうね。

(2016/01/17修正しました。)